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『ウルトラマンティガ』を観ました。(第31話〜第40話まで)

凡例のようなもの

 以下の感想は視聴当時(2020年5月16日〜2020年6月24日)にふせったー(指定した箇所を伏せ字にしてツイート出来るツール。追加で長文も付けることが出来る)を使用してツイートしたものです。省略した句読点の追加や、語句の統一程度の推敲はしましたが、ほぼそのまま掲載しています。
 今回は第31話から第40話までの分を扱いました。
 全体的にネタバレや、感想を読む方が視聴していることを前提とした内容です。まだ未視聴の方は、その点をご留意ください。

『ウルトラマンティガ』第31話を観ました。

 『ウルトラマンティガ』にたまごっちが出てくるという、時代を感じる回でした。
 レナ隊員が勤務中にたまごっちを持ち歩いていたのでびっくりしました。たまごっちはわたしが幼稚園時代、ちょうど『ウルトラマンティガ』が放送されていた当時にとても流行っていたと記憶しています。まさか『ティガ』にたまごっちが登場するなんて夢にも思わず、懐かしさを感じていますが、たまごっちの存在は今回の怪獣ビザーモと対比出来るものなのかも知れないとも考えています。
 ビザーモは南極で発見された、他の惑星からやって来た生命体だと言うことが分かりました。二酸化炭素を吸収し、酸素を排出することから、人類が宇宙に進出した時に移住先の星をテラフォーミング出来ることが期待され、人類との共存が可能だと思われていました。しかしビザーモ自身には共存の意思が全く無く、ただ電力を喰らって繁殖することを目的とする存在だったのです。
 電力を糧に自力で成長・進化し、しかし心を持たず、人間と共存出来ないビザーモは、ゲーム機の中の存在で人間が世話をしないと死んでしまうたまごっちと相反する存在だと思います。
 話の終盤で、レナ隊員の通信機に現れたずぶ濡れのダイゴ隊員は、あの中で生き残っていたビザーモなのかも知れません。このままにしておけば、ビザーモは通信機の中で生き残ったでしょうが、レナ隊員が驚いて取り落してしまったので、どうなったのかはようとして知れません。

『ウルトラマンティガ』第32話を観ました。

 「生きてさえいれば」という言葉が重い回でした。
 ゼルダガスによって全てを失うも、希望を捨てず、ゼルダガスを撲滅しようとする根津博士が登場しました。ゼルダガスは爆発しやすく危険であり、それによって未来のエネルギーとされる可能性も失いました。さらに失意の根津博士を、自宅に保管していたゼルダガスの爆発によって娘が亡くなるという事故が襲います。それでも博士は、ゼルダポイントに封印されたゼルダガスを撲滅するための研究を続けます。そんな博士がGUTS隊員達に向けて言った、「生きてさえいれば」という言葉は重いです。
 出現した怪獣シーラは、その博士の思いに追従するかのようにゼルダポイントを襲撃し、ゼルダガスの在庫を根津博士から受け取って宇宙へ飛び立ちました。今まで出現した怪獣を片っ端からやっつけてきたGUTS隊員達も、愛するアサミと、彼女を奪ったゼルダガス撲滅への思いを感じ取ると、シーラを宇宙へ送り出す手助けをしています。
 特にシンジョウ隊員が泣いていたのは興味深いです。シンジョウ隊員は、今まで身体が大きいだけで人間を恐怖させ、経済活動を阻害する怪獣に嫌悪を表してきました。今回の事件の原因になったゼルダガスを発見した根津博士にすら嫌な顔をし、研究を諦めるよう促す程でした。それだけに、愛するアサミのためにゼルダガスのことを諦めない根津博士とシーラ、ふたりの行動を見た時は、考えを改めさせられたのかな、と感じました。
 「生きてさえいれば」、この言葉は大切にしていきたいと思います。

『ウルトラマンティガ』第33話を観ました。

 新兵器に無闇に触りたがるダイゴ隊員が可愛かったです。
 〝美しき夜の種族〟こと吸血鬼が登場する、ファンタジックホラーな回でしたね。初期に登場した雑誌記者・オノダが再登場したのも嬉しい点でした。
 ムナカタリーダーはお酒が飲めないながらも、あのバーの常連で、オノダともよく会っているようですね。今回はオノダの掴んだ情報が鍵となって進みました。
 『ウルトラマンティガ』は他のウルトラシリーズのようにSF一辺倒ではなく、今回のようにホラー要素や和風伝奇的なもの、怪談話なども盛り込んでおり、怪獣の正体が妖怪だったりすることもしばしばありますが、今回の敵は吸血鬼らしいということには、GUTS隊員達も半信半疑でしたね。オノダにしてみても、吸血鬼の案件はGUTSの管轄だと思っているようですし、世間一般の解釈としても怪奇現象全般はGUTSの担当だと思われていると考えていますが、どうも隊員達はもっと科学的な現象を扱う組織だと思っているようです。
 しかしTPC本部が内部からの襲撃を受けた時は衝撃が走りましたね。眠っていた女性が問題の吸血鬼のひとりで、しかも隊長まで襲われたのは痛手でした。
 そんな中でも新兵器を開発して対応するホリイ隊員はすごいですね。吸血鬼が相手ということで即座に弱点を紫外線だと判断し、それを照射する装備を作ってしまうのはさすがです。そのために「吸血鬼は日光に弱い」という話に科学的根拠を付け加えていたのもびっくりでした。
 吸血鬼達のアジトを急襲した後は、ほぼ吸血鬼の登場するホラーの鉄板の展開だったと思います。十字架の描かれた棺まで登場したのには笑ってしまいました。GUTS隊員達も「こんな風景、ホラーで観たことあるわ」と既視感を感じていましたね。怪獣も巨大なコウモリでした。ティガが苦戦させられていたのには驚きでしたが、倒せて良かったです。ゼペリオン光線には紫外線も含まれているのでしょうか……

『ウルトラマンティガ』第34話を観ました。

 強硬派の印象を持っていたヨシオカ長官の新たな一面、そしてGUTS隊員達の過去を知ることが出来ました。
 サワイ総監が離島に独立国家を創立するという、普段の穏やかな性格からは予想も出来ないとんでもない行動に走るところから、この話は始まりました。この行動にはGUTSやTPCの上層部は困惑し、サワイ総監の過去を振り返る場面もありました。
 ストーリーの始まる9年前からサワイ総監は国連事務総長として活動していたこと、当時から宇宙人からの侵略行為を受けていたこと、GUTSの隊長となるイルマや隊員を目指すことになるダイゴとの関わりがあったことが語られたのが興味深かったです。
 また、今までTPC上層部の強硬派として見てきたヨシオカ長官の、知られざる一面も明らかになりました。登場するたびに何かとサワイ総監を始めとする穏健派の意見と対立し、説得、諌められるなどして渋々折れてきた印象がありますが、そんな意見を言ってきたのも自分のしっかりとした考えがあってのことだということがはっきりと分かりました。元潜水艦乗りとして、その特性を熟知し、今回初登場したメカであるドルファー202にも意見が反映されていること、射撃訓練を怠っていないことも明らかになりました。上層部の人間として責任ある意見を申し立てるだけでなく、前線に責任を持つための備えもして来たのですね。
 あまりに主人公側と意見が対立するので、敵役なのかと一方的に見てきたことを恥ずかしく思います。人間の多面性を感じました。
 今回はアートデッセイ号や上述のドルファー202を始め、沢山のメカが登場する楽しい回でもありました。またこのような回が観たいです。

『ウルトラマンティガ』第35話を観ました。

 主人公とヒロインが戦うことになるまさかの展開に、ハラハラさせられました!
 前回と繋がりのある話の構成になっており、今回登場した宇宙人が本格的に侵略を試みていたのが強く伝わりました。
 その宇宙人のデザインは特に古典的なSF作品によく見られる瞳が大きいもので、不気味さを感じます。遡ること24年前に地球に現れて回収されており、今回の侵略行為に関係するものと推測されて登場しました。24年もの間眠らされていたので身体の状態に異変を来していたのか、そもそも同じ種族とは言え個別の特徴があるのか分からないのですが、「本来の機能が果たせない」という言い方をして、レナ隊員を幻惑して身体を乗っ取ってしまいました。
 恥ずかしい話なんですが、レナ隊員に何かの異変が発生したのは分かったんですが、いざ眠っている宇宙人=「眠りの乙女」のケースの中からレナ隊員が出てきた時はびっくりしてしまいました。宇宙人がレナ隊員の姿をしているのは分かりましたが、まさか本人の身体を乗っ取っているところまでは理解が追いつかず、〝乗っ取っていた〟と分かったのはwikiの記事を読んでからです。
 とにかく、宇宙人がレナ隊員の身体を乗っ取ってしまったので、ダイゴ隊員はレナ隊員と対決する羽目になってしまいました。科学者によって封鎖された空間の中、相手を突き飛ばすなりして気絶させるしかないダイゴ隊員と、そんなことは関係無く自由に攻撃できる宇宙人レナ隊員との戦いは、結果が目に見えていました。
 宇宙人レナ隊員はコンロン山脈に向かい、怪獣に乗り移りますが、そんなことを知らないGUTS隊員達と宇宙人の手からレナ隊員を救うため、ダイゴ隊員はウルトラマンティガに変身してテレポートしました! ウルトラマンティガもテレポートを行えるのですね! 『ウルトラマン』でもウルトラマンがバルタン星人に立ち向かうため、テレポートを行っていますが、それは「寿命を縮める」という制限付きというものでした。『ウルトラマンティガ』でもペナルティが付くのか、ティガがコンロン山脈に現れた時には、カラータイマーが既に点滅していましたね。
 GUTS隊員達を困惑させながらも、無事に怪獣を倒し、レナ隊員を救うことが出来て良かったです。しかし、レナ隊員と宇宙人はどうやって分離したのでしょうか。怪獣を倒した時点で宇宙人が諦めて出ていったのか、ティガが光の力で分離させたのか分かりませんが、レナ隊員が目覚めた時にダイゴ隊員が待ち構えていたので、ティガが何とかしたのでしょう。

『ウルトラマンティガ』第36話を観ました。

 ヤズミ隊員大活躍でしたね!
 今回は怪獣ゴルドラスが登場しました。時空間を歪める能力を持ち、それによって過去のものが現代に次々に送り込まれたり、逆に現代のものが時空間に取り込まれるという事態が発生、昭和初期の少女がGUTSに保護されることになりました。
 保護された少女・テヅカ・ユリは、事情聴取にあたるヤズミ隊員に対し、強く不安を訴えました。時代が違うし、歳が近いとは言え、男性に意見出来る女性なんだということを感じました。ヤズミ隊員に連れられて街に繰り出し、サブウェイでサンドイッチを食べたり、ゲームセンターに行ってもぐら叩きをしたりと、今まで体験したことがない、きっとこれ以降もしないであろうことに、戸惑いながらも、果敢に挑戦していたと思います。その一方で、実家の場所が道路になっていたことが分かった際に見せた涙は、歳相応の女の子なんだと思わされました。
 逆に苦労していたのはヤズミ隊員ではないでしょうか。いつ老婆か骸骨になるか分からない、時代背景が全く違う少女にどう接するか、分からなかったと思います。最初に事情聴取に立候補しなかったところから見ても、歳の近い異性と話す機会すら少なかったのではと思います。
 でも逆に言えば、ヤズミ隊員が指名されなかったらホリイ隊員かシンジョウ隊員、あるいはダイゴ隊員が事情聴取を行っていたはずです。物腰が柔らかいとは言え、歳が離れている男性が親しく話すには、昭和初期の少女であるユリには難しいと考えます。
 ヤズミ隊員とユリの別れは、戦場に赴く軍人と送り出す銃後の女性のそれのように思えました。ヤズミ隊員の乗る自動車のサイドミラーに向かってユリが手を振ったのは、きっと心からのものでしょう。怪獣を倒すことでユリに時間を与えなければならない、ユリを消さねばならないヤズミ隊員の心情は計り知れません。発射ボタンを押した時の「さよなら」は印象的です。
 テヅカ・ユリは怪獣が倒された後、無事に家に帰れたのでしょう。男性にものを貰うことはきっと珍しかったでしょうが、それをずっと大切に持っていたのですね。子供時代のヤズミ隊員に会えたのは偶然でしょうが、ユリさんが無事にヤズミ隊員に貰ったものを返せたのだと思うと、胸がいっぱいになります。素敵な作品でした。

『ウルトラマンティガ』第37話を観ました。

 桜の魔力を感じる作品でした。
 和風で幻想的でとても美しい演出が特徴の作品でした。
 ストーリーは、「1ヶ月もGUTSが出動する事態が起きず、平和だったため、桜も咲いていることだし、GUTSの皆で夜桜を見に行こう!」というものでした。花見の現場で異変が起きる他は、皆でどんちゃん騒ぎして過ごしていました。一方でイルマ隊長は梶井基次郎『櫻の樹の下には』を、ムナカタリーダーは古今和歌集を引用して、桜の美しさや風流の心について説くなど、日本文化を解釈する場面が目立ちました。ウルトラマンティガが登場した後ですら、怪獣との戦いは舞台上で行われるなど、美しく、しかし挑戦的な場面が続きました。ウルトラマンでいかに美しい映像を撮るか、が本題だったようにも思えます。
 宇宙人の姿形も、まるで石仏のようだなという印象を持ちました。劇中に何度も様々な表情の老人の石像が代わる代わる映され、それを見慣れていたからというのもあると思います。正体を現す直前まで、GUTS隊員達の向かいで、しかし同じ野立てスタイルで花見を催していたのもあり、風景に馴染んだ姿だと思いました。
 わたしは個人的に、あまりにも皆が桜を美しいと言うので、「桜は本当に美しいのか?」と疑いを持っています。観たのが季節外れだったので(鑑賞日時:2020年6月19日)、その気持ちも落ち着いて来たところだったのですが、この作品を観て、更に桜への興味をそそられました。とても興味深く、記憶に残る作品だと思います。

『ウルトラマンティガ』第38話を観ました。

 人間の愚かさとイルマ隊長の葛藤が描かれた回でした。
 市民の安全と平和を守るための組織であるTPCが、怪獣出現の噂を流して軍事的恐怖政治を行いかけたのが衝撃の話でした。
 今まで何度も怪獣が出現してきた『ウルトラマンティガ』でしたが、怪獣出現時に市民の統制が取れず、穏やかに避難やその誘導が出来ないことに嫌気が差していた情報局のタツムラ参謀が、データを取る目的で怪獣出現の噂を流したのが始まりでした。
 この噂の厄介なところは、実際に怪獣の目撃例があるところです。結果的に姿形の存在する怪獣が出現していますが、調査に乗り出したGUTSのダイゴ隊員も怪獣を目撃した際に噂の怪獣だと認識したふしがあるので、劇中にそのような場面はありませんが、わたしは情報局が噂を流す際に姿形のディテールの説明も添えられていたのではないかと思いました。
 この計画に無理矢理協力させられたイルマ隊長は本当に辛かったと思います。確固とした正義を持ち、それに従って司令室で冷静に指揮を取る姿からかけ離れた様子を見せ、責任を取るために自ら出撃して決死の覚悟でティガに怪獣の実体を教えたのは、相当の覚悟があったからだと考えます。だからこそ、計画に参加したことで自分を責め、総監に進退伺を出したのだと思います。しかしそんなイルマ隊長をGUTSの隊員達は本当に尊敬し、信頼をおいていたのでしょう。
 イルマ隊長は、キリエル人登場回や今回等で、ウルトラマンティガへ何らかの言葉を発しています。その様子からは、ウルトラマンティガへの信頼や、超自然的存在への敬意のようなものも感じます。怪獣に突撃する際に、ティガに「怪獣は何故現れたの?」という一連の問いかけは、自分はもちろん人間には知り得ない答えを、人智を超えた存在である光の巨人・ティガに、自分と人々の愚かさを懺悔したようにも見えました。
 今回はイルマ隊長がティガのことをどう考えているかも垣間見える話だったと思います。

『ウルトラマンティガ』第39話を観ました。

 超人的能力を持つ人間の宿命を考えさせられました。
 『ウルトラセブン』を観終わった時、「もし、ウルトラセブンがM78星雲に帰還せず、地球でウルトラ警備隊員のひとり、モロボシ・ダンとして生きてくれたら……」と思ったことがあります。ウルトラセブンが体力の限界を迎え、しかし正体を知られる危険を犯すことも出来ず、ただ独りで苦しみに耐えながら、愛するアンヌ隊員を捨てて地球のために戦うしかなかったのが、観ていてとても辛かったのです。もし、あの後ウルトラ警備隊に戻っても、メンバー達は温かく迎えてくれるでしょうし、キリヤマ隊長も体力回復のために休暇くらいくれるでしょう。ただ、既にウルトラセブンは上司に「体力を回復させるには、M78星雲に帰るしかない」と言われていたので、どうしようもないのですが。
 でも、今回の『ウルトラマンティガ』で、その「もし、ウルトラセブンがM78星雲に帰還せず、地球でウルトラ警備隊員のひとり、モロボシ・ダンとして生きてくれたら……」の答えの一つを得られた気がします。
 殆どの歴代のウルトラマン達は、同じ防衛隊に所属する者であろうと、他人には正体を知らせずに隠して活動してきました。それは自分の他に理解者が無く、例え知らせたとしても、怪獣出現の暁には「ウルトラマンがいてくれたら……」になる可能性が大きいからです。正体が知られていない時点で、自分達人間の実力に諦めがついた瞬間に発せられるのですから、きっと頼られるに違いありません。また、ウルトラマンの力は超人的で、中には「神の御業」と例えられたものもありました。単純に光線技を出しただけでも、破壊力はとても大きいものがあります。軍事目的に使われるわけにはいきません。
 これがキリノ・マキオが言っていた、「超能力者は秩序を乱す」所以であり、錦田小十郎景竜の残していった「力ある者は常に孤独」というメッセージが示していたことだと思います。キリノ・マキオの挑戦はただの妬みや僻みだったと思いますが、言葉は的を射ていたと考えます。
 ダイゴ隊員は自分の秘密について「いつか話す」としていましたが、それが話される時は来るのでしょうか。それはきっと、世界が平和になった時です。

『ウルトラマンティガ』第40話を観ました。

 怪獣を倒したにも関わらず、怒られてしまうダイゴ隊員には笑いました。
 「宇宙線」というワードを聞いて真っ先に思いつくのは、『ウルトラマン』でガヴァドンが登場した『恐怖の宇宙線』という回です。子供が描いた絵が宇宙線によって実体化し、ウルトラマンと対決するというストーリーでした。今回は大人の見た夢の怪獣が現れ、街を破壊するところに、似て非なるものを感じました。
 大きく違うのは2点あり、「実体があるか否か」と「攻撃性があるか否か」だと考えます。
 『ウルトラマン』のガヴァドンには実体があり、ウルトラマンは難なく攻撃出来ていました。今回の『ウルトラマンティガ』の怪獣には実体が無く、像が人間の目に認識されているだけでした。触れるにはこちら側も夢を見るしかなく、ティガに変身するダイゴ隊員が入眠することで対抗出来ました。
 攻撃性は『ティガ』の怪獣のほうが圧倒的にありました。怪獣にはイクタ・カズマの精神が乗り移っており、彼が恋愛の鬱憤を晴らすために暴れていることもあって、破壊行動には躊躇がありませんでした。特にキタミ・トモコがフィアンセに連れられて住居を引っ越して行った時には、彼女を探し出して攻撃する気満々でしたね。
 ところで今回のムナカタリーダーは今までと一味違う面を見せてくれました。捕物帖や刑事モノにあこがれており、それらしき場面のモノマネまでこなしたことです。いつもクールで落ち着いた人物なだけに、衝撃的ですらありました。
 『花』回に引き続き、実相寺監督の映像へのこだわりは顕著に現れていました。シリーズが移り変わると共に、監督の作風にも少しずつ変化があるので、見比べるのも楽しいです。また拝見出来るのをワクワクしています。

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