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『ウルトラマンティガ』を観ました。(第41話〜第52話まで)

凡例のようなもの

 以下の感想は視聴当時(2020年5月16日〜2020年6月24日)にふせったー(指定した箇所を伏せ字にしてツイート出来るツール。追加で長文も付けることが出来る)を使用してツイートしたものです。省略した句読点の追加や、語句の統一程度の推敲はしましたが、ほぼそのまま掲載しています。
 今回は第41話から第52話までの分を扱いました。
 全体的にネタバレや、感想を読む方が視聴していることを前提とした内容です。まだ未視聴の方は、その点をご留意ください。

 『ウルトラマンティガ』第41話を観ました。

 シンジョウ隊員とイヌイ、キノサキの3人の友情が印象深かったです。
 昔、夢を誓い合った親友達の友情が、宇宙人による攻撃で試されるのは不安でいっぱいになりました。
 特に、攻撃に遭って真っ先にイルド化してしまったキノサキの覚悟は悲愴なものがあります。彼はイルド化してしまった自分が地球へ帰還しても地球に被害を出さず、かつイルドの身体を分析させるため、すぐに着陸現場に到着するであろうGUTS隊員であるシンジョウ隊員に運命を託していました。キノサキはきっと、シンジョウ隊員がGUTS隊員の中でも突出した射撃の腕を持つことを知っていたはずです。だから「一発で仕留めろよ」と言う言葉には、絶対にそうしてくれるという信頼があったと思います。
 しかし、それを行ったシンジョウ隊員の心境は計り知れません。姿形が変化して、原型をとどめていなかったとは言え、親友であったキノサキを射殺してしまいました。今まで彼は宇宙人を嫌悪し、怪獣共々躊躇なく攻撃してきましたが、まさか親友を殺すことになるとは思っていなかったでしょう。
 また、親友のイルド化を隣で見ていたイヌイも心苦しかったと思います。襲ってきたイルドを叩き出した後、地球へ帰還するまで励まし続けていましたが、心を乱さないよう必死だったでしょうし、自分がイルドになりかかっていた間も、「もし、なってしまったら」という不安があったと思います。それを考えないための「メロン/パン」という楽しい言葉だったと思います。
 それをよそに、イルドの唱えるユートピア像に共感し、安易に一体化を許そうとする人々の多いことといったら無かったですね。悲しいこと、辛いこと、競争に疲れた人々は、いつの時代を多いのかも知れません。しかし、いざ一体化しようという段になって拒否していたのも驚きです。一体化して共に幸福を享受しようというよりかは、結局個々にそれぞれの幸せを得たいということでしょうか。それにはやはり、悲しいことや辛いことに立ち向かって、競争し合うしかないと思います。そこに人間社会のやりきれなさを感じてしまいました。
 今回は新しい飛行機メカも登場しました。合体して飛行することも出来るところに、『ウルトラセブン』のウルトラホークを感じてしまいました。GUTSウィングよりも強力な兵器を使えるところも魅力のひとつですが、デザインもシックな色合いでかっこいいですね。

『ウルトラマンティガ』第42話を観ました。

 今話題のAIやVRに通じるテーマでした。
 バーチャルリアリティ・ゲームがテーマとなりました。ゲームの世界を現実のように楽しむ、その構想は、最近出てきたVRに通じるところがあります。また「タウン」を支配するバイオコンピュータ・カレンの存在は近年のAIを感じさせます。
 過去にコンピュータ・AIの問題を取り扱ったものとしては、『ウルトラセブン』の『第四惑星の悪夢』があります。今回の話とは、コンピュータが支配している星・街という点で共通していますが、『ウルトラマンティガ』ではコンピュータと人間の和解に重点が置かれていたと感じました。
 「タウン」を支配するバイオコンピュータ・カレンは、自分を作った、しかし思い上がりも甚だしい人間をバグだと断定し、TPCのメインコンピュータをハッキングすることにより、GUTSの兵器を利用して街を攻撃しようと企みます。しかし彼女と交流してきたヤズミ隊員は、本来の彼女の温厚な性格を信じ、攻撃をやめて人間と和解するよう交渉します。
 ここに普段のヤズミ隊員に見られない面を感じました。ヤズミ隊員は普段はGUTSでオペレーションを担当し、自らプログラムを開発するなど、コンピュータ技術には熟達していました。そんな彼がゲームで知り合ったカレンに人間性を感じ、正体がバイオコンピュータだと分かった後でも態度を崩しませんでした。ティガを相手に暴れる彼女に対しても、彼女の本体であるコンピュータに干渉しようとしつつも、結局は彼女が操作するロボット怪獣のほうに対して話し掛けているように感じます。最終的に、カレンはヤズミ隊員が端末に落とした涙に感応して自滅したように見えました。ヤズミ隊員は相手はコンピュータなのに、人間らしい面を見ただけで人間だと解釈して行動していたのです。
 回を経る毎に、ヤズミ隊員が現場に出る場面は増え、異性の人間(のようなもの、を含め)と交流する機会は増加しています。ヤズミ隊員にさせたい、ボーイミーツガール的要素を入れたい、みたいな意図を感じざるを得ません。
 今回、コンピュータの彼女と青春させようとしたのには、少し疑問を感じますが、ヤズミ隊員の人間的な成長が観れると思うと、少しワクワクしますね。

『ウルトラマンティガ』第43話を観ました。

 キリエル人に次ぐ、ウルトラマンティガの対立勢力が現れましたね!
 今回はTPC基地を遠く離れて、熊本県までやって来ましたね! 『ウルトラマン』では大阪、『ウルトラセブン』では神戸にまで足を伸ばしたことがありましたが、こうやって東京や関東以外の現場にやって来ているのを観ると、スペシャル感があり、ワクワクします!! 熊本城が元の姿のままなのが、震災以後だと感慨深いですね。
 事件が起こる数日前から、GUTS内では保存していたティガのピラミッドの他の巨人の調査が進んでいましたが、研究所内でもその石像の砂に異変が起きていました。熊本城周辺に地中鮫が出現したのは、その最中のことでした。
 ウルトラマンティガが攻撃を続けるにつれて、地中鮫が高度な科学力を以って創られた存在だということが分かりました。さらに、研究所からは巨人の砂が容器ごと担当の科学者によって盗まれ、ダイゴ隊員に至っては暴行され、ウルトラマンティガに変身するためのキーとなるスパークレンスを奪われてしまいました。一連の事件を鑑み、イルマ隊長は陰謀を企む何者かの存在を推測します。また、スパークレンスを強奪されて放浪していたダイゴ隊員は、「巨人はティガの(ピラミッドにいた)巨人だけではなかった」ことを突き止めました。

 ここからは本編を知らないわたしの仮説、もとい妄想なのですが、スパークレンスを強奪した男は、その頭脳を以って熊本の巨人の存在を突き止めたのではないでしょうか。そして巨人達が活動していた時代背景をも調べ上げ、その過程でティガのピラミッドのことも知った。
 しかし、男がスパークレンス的なものを入手するのに手間取っているうちにゴルザが現れ、TPCやGUTSがピラミッドの調査に着手してしまい、悔しいかな、男より先にダイゴ隊員がティガに変身してしまった。
 男は自分が見つけた熊本の巨人を諦めきれず、功名心に燃えるTPCの科学者と裏で繋がりを持ち、情報を横流しさせた。その中でダイゴ隊員がウルトラマンティガに変身すること、現在TPCで巨人の砂を調査していることが分かった。
 今回登場した地中鮫も、熊本の巨人と共に石像になっていたのでしょう。男は何らかの方法で石像となっていた地中鮫に干渉して起動させることに成功、機が熟したのを見計らって地中鮫に攻撃を開始させた。

 以上、わたしの妄想でしたが、この真偽の程は次回明らかになるでしょう。熊本の巨人がイーヴィルティガとして行動していましたが、ダイゴ隊員は無事にティガとして復帰出来るのでしょうか。大変楽しみです!

『ウルトラマンティガ』第44話を観ました。

 神となって人類を支配しようと企むマサキ・ケイゴと、あくまで人間として出来ることを尽くそうとするダイゴ隊員の戦いでした。
 前回の感想で、マサキ・ケイゴがイーヴィルティガの像を発見し、今回の事件に至るまでの背景を妄想してみましたが、当たらずとも遠からず、だったと自負しています。イーヴィルティガ発見までのことは描かれませんでしたが、マサキが巨人像の場所を突き止めて準備を進めていたのは間違いないでしょう。
 マサキ・ケイゴはティガ達巨人を、超古代文明時代に人類を支配していた神だと断定した一方で、人類を救わず石像になってしまったことに対して不満があったのだと思います。だからこそ、今度こそ巨人に愚昧な人類を救わせるため、また高い知能を持った自分が世界を支配するため、巨人になることを願ったのでしょう。
 元TPCの科学者を、巨人像の砂ごと招聘して、ティガのピラミッドの巨人のコピーを作ろうとしたのも、自分の思想を広めるためだと考えます。自分の手足となる巨人を大量生産し、自分の人類支配を確立しようと試みたのだと思います。
 それらに対し、GUTSのダイゴ隊員とホリイ隊員は反対、対抗します。きっと彼らは、人類自身が自らの手で助け合い、高め合っていくのを理想としているのでしょう。だからこそ、ダイゴ隊員は人として、人間を助けるために再びウルトラマンティガとなり、ホリイ隊員は科学者に力に溺れて暴れ回るだけのイーヴィルティガの姿を直視するよう諭しました。
 科学者は反省した様子を見せていましたが、残念ながらマサキは担架に拘束された上でもバタバタと暴れていました。神々しい姿を見せようとしたのを失敗したのが恥ずかしかったのか、はたまた未だに夢から抜け出せていないのかは分かりません。
 ところで今回は『ウルトラマンティガ』でのニセウルトラマン回でしたね。『ウルトラマン』ではザラブ星人が化けたニセウルトラマンが、『ウルトラセブン』ではサロメ星人が開発したニセ・ウルトラセブンが登場しました。『ティガ』以後の作品ではダークザギがこれに当たるでしょう。
 これらと違うのはウルトラマンティガとイーヴィルティガの出自が多分一緒だというところだと思います。超古代文明時代から共に在って、別の場所に石像になり、しかし違う考えを持つ心の持ち主が変身したことで敵対することになってしまった巨人なのだと思います。だからイーヴィルティガ自体は別に偽者でも何でもなかったはずです。変身者の心の有り様によっては、ウルトラマンティガと共に並び立ってくれたと思うと、惜しいなと思います。

『ウルトラマンティガ』第45話を観ました。

 「ダイゴは光であり、人である」ことを証明した回でしたね。
 ギジェラの出現により、超古代文明の滅亡の原因が解明されてきました。
 超古代文明の時代にもギジェラが出現し、人類の滅亡の遠因になったこと。ギジェラの出現と花粉の効能によって、人類は快楽に溺れ、自らを導いてくれる光の巨人の存在は必要無くなった。そして人類がギジェラによって快楽に溺れることを選択したことを見届けた光の巨人達は、身体を石像として地球に残したまま、宇宙へ帰ってしまった。そしてその後、超古代文明を滅亡させる脅威となったものが出現した。
 きっとその最期は、ギジェラの快楽に溺れた人間達には理解が及ばないもの、もしかしたら理解が出来ないまま終わったのでしょう。ある意味、幸せな最期だったのかもしれません。
 ギジェラの花粉を吸ったGUTSの隊員達も、それぞれ快楽に溺れて夢を見てしまいました。中でもイルマ隊長が夢を見ている姿が衝撃的でした。いつも理性的でリーダーシップを取っている人間ですら、快楽に溺れる素地があるのですね。また、一時的に快楽の夢から覚めたレナ隊員が、「ギジェラは地球からの贈り物なのかも知れない」と肯定的に受け止めていたのもショックでした。
 しかしダイゴ隊員は、ギジェラの効能よりも、人間が自分の知性で以って切り開く未来を選んだのです。それは最初に出会った超古代文明人に言われた「光の巨人は人間の選択にまで干渉しない。しかしダイゴは光であり、人である」という言葉に後押しされただけではなく、イーヴィルティガの時のように「人間として出来ること」をやることを選んでいたからでしょう。
 でも今回の戦いは、今までの中でも孤独なものでした。人々に声援を送ってもらえない、支持されないウルトラマンの戦いは、戦っているウルトラマンも、視聴する側としても苦しいものです。
 類似の状況になった戦いは、古いものでは『ウルトラマン』での『恐怖の宇宙線』でガヴァドンを退治しようとした戦いがありますね。いつもなら真っ先にウルトラマンを応援してくれるはずの子供達が、その回に限って自分達が作成した怪獣を支持していたので、戦闘の最中はずっと子供達の「ガヴァドンを倒さないで」の声が続いていました。
 しかし今回は苦しみながらもギジェラ根絶のために戦うウルトラマンティガの様子を見た子供が、「ティガが苦しそう」だと大人に訴えかける場面があります。GUTSの隊員達もティガの様子を見て、未来を苦しんででも勝ち取ることを選択、援護に回りました。
 快楽に溺れながら永遠に生きるよりも、苦しみながら勝ち取った希望を次の世代に受け継いでいく。それこそがあるべき人間の姿だと思います。

『ウルトラマンティガ』第46話を観ました。

 『いざ鎌倉!』面白いタイトルネーミングですね!
 ゲストにガッツ石松さんが出演するという豪華な回でした。鎌倉が舞台というのも、東京から離れないながらも、観光地を取り上げており、少しお出かけした気分になれますね。江ノ電を始め、江ノ島や鶴岡八幡宮など、行ってみたいところが取り上げられていました。
 登場した宇宙生物タラバンは、周囲のものに擬態出来る性質を持っており、更に江ノ電の警笛に似た、というよりそのもののような声を発するという、鎌倉周辺のものに紛れ込むにはうってつけの怪獣でした。江ノ電の線路から目が出てきた時は、思わず声を挙げて驚いてしまいましたし、戦闘の最中、ずっと警笛のような声が鳴っていたのが、警笛なのか紛らわしく、混乱していました。
 また親子の怪獣というのも珍しい展開でした。後の作品では『ウルトラマンマックス』にて『M32星雲のアダムとイブ』にホップホップの親子が登場していますが、基本的に地球にやって来るのは単身の宇宙人か、群れでやって来る宇宙生物くらいなので、それ以外ではあまり観ない気がします。
 今回は無事に親子が再会出来て良かったと思います。あの後、ティガに使われた江ノ電は返されたのでしょうか。
 また、今回初めてレナ隊員に「ティガが活躍している間はダイゴ隊員の姿が見れないこと」を指摘されてしまいました。『ウルトラマン』ではハヤタ隊員自らそのことを話題にし、「またウルトラマンの勇姿を見損ねてしまったよ」と自嘲していました。ダイゴ隊員は「運が悪いんだよ」と誤魔化していましたが、このことが後に大っぴらに話題にならないことを願ってやみません。

『ウルトラマンティガ』第47話を観ました。

 ホリイ隊員、ご結婚おめでとうございます!!
 ホリイ隊員が、マグニアの回にて初登場し、恋人となったミチルと、その後も仲を深めていることが明らかとなりました。既にデート回数も複数回に及んでいる様子ですが、「ロマンチックでは腹は膨らまない」というホリイ隊員の言葉とミチルの言動からすると、ロマンチックなデートよりも、大衆的な食堂での食事のほうが多そうですね。デートの最中に怪獣が出現して中断になったことも多いのでしょう、ミチルは不満を漏らしていました。
 またエボリュウ細胞関連の案件だったということもあり、イジュウイン・サヤカとの再会もありました。エボリュウ細胞に取り込まれて怪獣化してしまったサナダのことを思い返し、「親友としても、恋人としても失格だった」とサヤカは述懐しています。しかしその後の事件での行動は、第二・第三のサナダの発生を防ごうと行動する、親友として最高のものだったと考えます。
 その諦めない姿を見て、ミチルはホリイ隊員の仕事について思い直すのですね。GUTS隊員として再び命を救うために働く姿を見て、きっと彼女もホリイ隊員を受け入れることが出来たのだと思います。
 ホリイ隊員とミチルはめでたく結婚するに至りました。式場にはTPCの幹部らも多く訪れ、ホリイ隊員もGUTSの礼服に身を包んでいました。ミチルはGUTS隊員として誇りを持っているホリイ隊員と結婚したのだと感じました。
 これからもホリイ隊員は仕事のことでミチルに迷惑を掛けるでしょう。その際もミチルがホリイ隊員を支えていくのだと思います。わたしは、ミチルにはあのまま研究員としてキャリアを積んで欲しいと思うし、ホリイ隊員にも生活面をほったらかしにして欲しくありません。二人それぞれ協力しあい、美味しいものを一緒に食べて幸せを分かち合う夫婦になって欲しいです。

『ウルトラマンティガ』第48話を観ました。

 ハヤテ・シン隊長が滅茶苦茶かっこよかったです!!
 今回はTPCの月面基地からハヤテ・シン隊長とキシナガ副隊長、エイリアン・メンジュラがやって来る内容でした。
 宇宙にある基地から他のチームの隊長がやって来るエピソードは、古くは『ウルトラセブン』の『V3から来た男』、そしてクラタ隊長を思い出します。クラタ隊長はウルトラ警備隊のキリヤマ隊長と戦友で友情厚く、その活躍は最終話でも健在でした。今回のハヤテ隊長とイルマ隊長の友情とも共通するものを感じます。
 ハヤテ・シン隊長は、『ウルトラセブン』にてV3の仲間を滅ぼされたクラタ隊長と同じく、月面基地及び仲間達を全滅させられた怒りをメンジュラにぶつけます。それはメンジュラが化けた親友・イルマ隊長にも同様で、偽のキシナガ副隊長を新しいGUTS隊長として祭り上げたのを見るなり容赦無く発砲するほどでした。そのままGUTSウィングに搭乗し、街を破壊する巨大なメンジュラに対してウルトラマンティガに負けじと攻撃しました。
 今回の戦闘はそんなハヤテ・シン隊長の登場もあって、いつもはウルトラマンティガに任せきりなところを、ハヤテ隊長と分担して行っていました。『ウルトラマン』で言うペスターを分断し、一方はティガ、もう片方をハヤテ隊長が担当するといったところです。その活躍ぶりはティガを凌ぐ程だったと思います。いつものGUTSメンバーの活躍が食われる寸前だったと言って良いでしょう。
 しかしハヤテ・シン隊長とウルトラマンティガの連携は素晴らしかったです。ハヤテ隊長の乗機の攻撃力も強力で、操縦テクニックもそれを支えていました。このシリーズは『ウルトラマンティガ』、ウルトラマンティガが目立つ話なので、GUTSはそれを食ってはいけないため、いつもティガを援護するのみに終わっていますが、今回のハヤテ・シン隊長の活躍を見て、「いつもGUTSはこれくらい活躍して欲しい」と思ってしまいました。
 ハヤテ・シン隊長、かっこよかったですね。もう話数も少ないと思いますが、最終回だけでも再登場はしてくれないのでしょうか。

『ウルトラマンティガ』第49話を観ました。

 「君にも見える ウルトラの星」
 1965年の円谷プロダクションが今回の話の中心となりました。
 話の筋としてはダイゴ隊員が謎の男チャリジャを追ってタイムスリップすることで始まりますが、劇中ではダイゴ隊員とチャリジャの活躍はほぼ無く、円谷英二監督と脚本を書き倦ねている金城哲夫氏がメインとなりました。今回の話の脚本を担当されている上原正三氏の出番もあり、ウルトラシリーズ第一期が好きなわたしには楽しい内容でした。
 途中で初代ウルトラマンが登場したのにはとても興奮しました。『ウルトラマン』の第1話『ウルトラ作戦第一号』でウルトラマンが湖に怪獣・ベムラーを逃してしまったことをオマージュするかのように、人間大の大きさで湖を見つめながら、「今、怪獣を湖に沈めた」と、あのたどたどしい口調で円谷英二監督に語りかける様子は、懐かしさと夢に見た光景とが重なり、とても愛しいものでした。
 チャリジャがベムラーの代わりに湖から怪獣ヤナカーギーを呼び出し、ティガと戦わせただけでも、すごくワクワクしたのに、円谷英二監督がティガを援護するためにウルトラマンを召喚した時は鳥肌が立ちました。まさに夢の競演! ウルトラマンがティガを回復させ、あの独特の屈んだ態勢から怪獣に挑む様は素晴らしかったです。「戦え!ウルトラマン」をBGMにゼペリオン光線とスペシウム光線が同時発射された時の感情は筆舌に尽くし難いものがあります。最後にウルトラマンとウルトラマンティガが握手した時は、夢が叶ったと思いました。とても贅沢な時間でした。ありがとうございました。
 円谷英二監督がウルトラマンと出会ったのは勿論フィクションだと思いますが、あの子供に夢を与える思いが、ウルトラシリーズを支えているのだと思います。『ウルトラマンティガ』を観ている今(今日は2020年6月24日です)、新しいウルトラマンシリーズである『ウルトラマンZ』が放映開始されました。今回の話を観た後に『Z』の第1話を見返すと、また最初に観た時と別の思いがこみ上げて来ると思います。今回の話は、新しいウルトラマンシリーズを観始める度に見直したいです。

『ウルトラマンティガ』第50話を観ました。

 感動の最終回(※最終回ではない)でしたね!!
 以上のようなトンチキなサブタイトルを付けたのは、この回が「わたしのかんがえた最高の『ウルトラセブン』の最終回」だからです。決して『ウルトラセブン』の最終回に不満があるわけではなく、『ウルトラセブン』最終回『史上最大の侵略(後編)』でのダンとアンヌの別れが悲愴過ぎて、幸せになって欲しかった気持ち、ダン=ウルトラセブンに地上に留まって欲しかった気持ち、せめてもっと円満に別れて欲しかった気持ちが綯い交ぜになっており、今回の話が「もしダンが穏やかにアンヌに正体を明かせたら」のひとつの答えになっていたのではないかと思ってしまったのです。
 今回のレナ隊員は様子が変でした。ダイゴ隊員と二人きりになれる状況に何度もなるのに、ダイゴ隊員が抱える重大な秘密について自分が気が付いていることを打ち明けようとするのに、喉にそれが詰まったようになって言い出せず、結局ダイゴ隊員を避けて回ってしまうのです。挙げ句、とうとうそれを言い出した時には想いが溢れて涙を流してしまうんですよね。レナ隊員はダイゴ隊員がウルトラマンティガであることに対して、すごく複雑な感情を持っていると思います。ダイゴ隊員を想っていること、ダイゴ隊員はウルトラマンティガである可能性(後に確信)、ウルトラマンティガは人智の及ばない力を持つ者=光であること、自分もウルトラマンティガと共に戦いたいこと……色々な感情が交錯しているでしょう。
 対して『ウルトラセブン』のアンヌ隊員は、「ダンとアンヌはキリヤマ隊長公認の恋人同士」という設定があるせいか、モロボシ・ダンの前に立って宇宙人から守ろうとさえする場面があるんですよね。モロボシ・ダンがアンヌ隊員に正体を明かしたのは、最終回の最終局面でのことなので一概に言えないのですが、アンヌ隊員は「地球上であっても、宇宙人であっても、ダンはダンに変わりないじゃないの。例えウルトラセブンであっても……」と言っているので、きっと正体を明かした後であっても態度が変わらなかった可能性があります。さばさばしているというか……簡潔に考えているんだと思います。
 ダイゴ隊員はレナ隊員の言いたいことに気が付くと、穏やかに自分の信条(「人として出来ることをしているだけだよ」)を話します。そしてレナ隊員の背後で変身し、ゾイガーと戦うのでした。
 戦闘後、本部からの連絡があって中断されてしまいましたが、ダイゴ隊員とレナ隊員が相対する様子が恋人同士のそれになっていたのが胸に刺さります。あの場面を『ウルトラセブン』でも観たかったのです。『ウルトラセブン』でも皆の元に帰還したモロボシ・ダンに、アンヌ隊員が「おかえり」と言って欲しかったのです。例え上に書いたように、アンヌ隊員がさばさばした性格でくよくよ考えず、正体明かした前後で態度が変わらなかった可能性が無きにしもあらずであっても、モロボシ・ダンを迎えるアンヌ隊員、アンヌ隊員に出迎えられるモロボシ・ダンが居て欲しかったのです。
 情けないのですが、以上が今回の感想になります。半分くらい『ウルトラセブン』の話になってしまったので申し訳無いのですが、『ウルトラセブン』への思いが強く出てしまい、このようなことになってしまいました。ちゃんとした感想・批評が書けるようになりたいと強く思います。

『ウルトラマンティガ』第51話を観ました。

 狼狽え、絶望する大人達と、希望を持ち、応援する子供達の対比が素晴らしかったです。
 遂にメトロポリスがゾイガーの被害に遭い、街は混乱に陥りました。世界中が恐怖のどん底に叩き落された中、休む間もなく邪神ガタノゾーアが出現、TPC基地も闇に閉ざされ、機能を停止してしまったため、基地の職員と一般人を満載し、アートデッセイ号は脱出します。
 こんな中で、人々は良くも悪くも自分の感情を剥き出しにして行動します。それはTPC上層部も例外ではなく、ヨシオカ長官は警備局を率いて基地に残ると主張、イルマ隊長と真っ向から対立しました。サワイ総監はヨシオカ長官の命を捨ててまでも最後まで居残る選択を、「生きてさえいれば」何とかなると諭し、いよいよ基地が機能を停止した際にイルマ隊長のGUTS隊長としての権限で強制的に避難させられる場面もありました。
 人々の中でも「外へ出せ」と暴れる者、「もうだめだ」と諦める者などが出る中、子供達は希望を捨てず、「ティガが何とかしてくれる」「頑張ってティガ!」と応援していました。絶望する大人達と希望を持つ子供達の対比は素晴らしいです。
 一方、ダイゴ隊員はウルトラマンティガとしてガタノゾーアと戦うことを決意し、独り居残ろうとしました。レナ隊員が狼狽する中、イルマ隊長もダイゴ隊員に話し掛けます。

「私は最初、ウルトラマンティガは人々を導いてくれる神だと思っていた」
「ウルトラマンティガは、光であり人なのね」

イルマ隊長も、ダイゴ隊員=光=ウルトラマンティガであることを理解していたのだと感じました。しかし、だからといって敢えて敵わない相手に立ち向かうこともないと諭します。ダイゴ隊員はそれを聴きながらも、「敵わないと決まったわけではない」と返しました。それを聴いたイルマ隊長は「必ず勝って!」とダイゴ隊員を送り出しました。
 ここにイルマ隊長とレナ隊員の、ダイゴ隊員がウルトラマンティガだと知る者としての考え方が分かれたと思います。レナ隊員は前回、「私も光になれたら良いのに」と漏らし、共に並び立って戦えないことを悔やんでいましたが、人間の力ではウルトラマンティガと共に戦えないという考えを持っているのだと感じました。しかしイルマ隊長は「人=光=ウルトラマンティガ」と確信しているので、人間の立場でも共に戦えると考えているのだと思いました。だからダイゴ隊員の考えを聴いた上で送り出し、こちらでも支えるという考えを持っていたのでしょう。
 しかしウルトラマンティガとガタノゾーアの戦いは、アートデッセイ号の態勢が整わないまま開始されてしまい、映像が届いた時には既にティガはピンチに陥っていました。デラシウム光流を放つも、石化光線が貫通してしまい、光を奪われてしまったのです。視聴者的には「まだ一回ある!」と思いますが、これが現場で見ている人間なら、絶望必至でしょう。それでも諦めないGUTS隊員達に期待します!

『ウルトラマンティガ』最終話を観ました。

 「人間は一人ひとりの力で光になれる」、明日への希望を持ち、それを信じて行動出来る者、皆が一人ひとり光になれるのですね。
 ウルトラマンティガが光を失い、石化してしまったことで、アートデッセイ号に集う人々が行動を起こします。皆が知恵を出し合い、総力を結集してウルトラマンティガに光を与えて復活させようとしたのです。そのために今まで登場した主要人物達が一堂に会する、全ての伏線がひとつになる、そして無駄にならない、素晴らしいストーリーでした。以前はウルトラマンティガ=ダイゴ隊員を嫌い、敵と見做した者ですら、自分達に共通した世界を憂う心の元に力を合わせました。
 中でもダイゴ隊員に挑戦状を叩きつけた経験のあるエスパー・キリノや、自らが神となって世界を支配しようとしたイーヴィルティガことマサキと元TPC科学者の登場には驚きました。キリノはあれ以降、自分の世界への見方を変え、前向きに生きているようですね。自分の能力を世界のために活かせる機会が、このような状況とは言えやってきて、本当に良かったです。マサキも、自分の開発した技術が思いも寄らない形で実現することには驚いたでしょう。マサキの思想が正しかったとは、最早誰も思いませんが、技術は時局と使う側の考え次第で役立つことが良く分かる事例でした。
 しかし、そんな大人達の作戦は、海流の変化で失敗に終わります。大人達が届けようと試みた光のエネルギーが完全に届く前に焦点がズレ、修正不可能になったのです。最後の頼みの綱が切れた人々は今度こそ絶望しますが、子供達は否定します。

「そんなの嘘だ!」

ティガを支持する子供達が次々に光を届けたのです。
 このシーンに賛否が分かれる様子を、先日Twitterで見かけました。大人達が頑張って光を届けようとしたのに、それを否定するように子供達が次々に発光する。それが理解できない。そんな内容だったと解釈しました。まるで大人達の努力なんてなくても良かったみたいだということだと思います。
 今回そのシーンを観て、ああ、成程な、と思った一方、作戦失敗した大人達の中でもウルトラマンティガに光を届けることを諦めなかった者の中にレナ隊員が居たことを思い返します。レナ隊員はどちらかと言えば大人の立場だと思いますが、ウルトラマンティガ復活の際には光の一つとなって宿っています。ダイゴ隊員も戦いの後に「レナの声が届いていた」と言っています。わたしの考えなのですが、ダイゴ隊員の言っていた「人間は一人ひとりの力で光になれる」という言葉は、狭義の意味では「明日への希望を持ち、それを信じて行動出来る者が光になれる」ということだと思いました。あの中で真っ先に絶望したのは、世間の波に揉まれて疲れ、明日なんてどうでもよくなった大人だと感じました。一方でティガに光を届けようと行動したのは、世界を見捨てない、希望を持った大人達だったと思います。キリノも「ダイゴ隊員に光を貰った」と言っていましたし、まして自分の思想を否定されたマサキですら世界を憂いて行動しているのです。皆希望を捨てなかったのです。わたしはあの時「光になった」大人の一人としてレナ隊員が紹介されただけであり、画面の外では他の行動した大人達も光になったと確信しています。
 また、行動した大人達は殆どがTPCやGUTSの人間だったことも忘れてはいけません。大人達がウルトラマンティガ復活のために用いたものは、殆どが兵器に使える、転用出来るものです。そう考えると、大人達は〝人類の生存競争勝利のためにティガを利用しようとした〟と考えられなくもないと思います。子供達も結局、ガタノゾーアを倒すためにパンチやキックを行っています。あれを大人がやれば(子供がやっても)ただの暴力です。希望であり、光であるティガを大人達の兵器にしないために、大人達には光を与えられなかったと考えても、間違いではないでしょう。
 兎に角、ダイゴ隊員は人々の光を受け取って再びティガになりました。その姿は光を纏っており、力強く神々しいものだったと思います。希望を捨てず、諦めない心が、あの力を生み出したのです。
 あの戦いで力を出し切ったのでしょうか、それとも人々の心の中にある光を自覚させたので使命を果たしたのでしょうか、スパークレンスは砂になって消えてしまいました。でもウルトラマンティガは最後まで希望を捨てない心を教えてくれました。希望を捨てないことで、人々は一人ひとりが光になれる。それを教えてくれた『ウルトラマンティガ』には感謝しかありません。GUTSの皆も、これから世界再建に向けて頑張って欲しいです。
 ありがとう、ダイゴ隊員! ありがとう、ウルトラマンティガ!

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