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怒りの熱が中々冷めない


今、怒りのままにこのnoteを書いている。

今日は職場でちょっとトラブルがあった。
(細かいことは言えないが)職場内の別の部署の若手(少し先輩)にミスがあり、それの解決へ向けて手伝うことになり、一緒に作業をしていた。
ある程度方向性が見えた段階で相手の上司が現れて、なんとか見出した解決案に対し「そんなことはできない」「そっちがなんとかしろ」的な主張で怒鳴り散らしてきた、もともとそっちの部署のミスなのに。
挙げ句の果てに50歳を超えた大の大人が、「あっそ、じゃあ知らない、好きなやれば?」と拗ねてどっか行ってしまった。

なにかこちらにミスがあったらわかる。
そもそもそちらのミスをカバーし、同じゴールに向かっていたのに、逆ギレをくらい、とんでもない怒りが込み上げてきた。


まぁ、ここまで普通に仕事の愚痴なんですが、今回の経験で自分の“怒り”の性質を思い出した。

職場での怒りが家に帰っても消えない。
飯を食ってても、飲み込むたびに怒りを思い出す。
YouTubeを見ても、広告を見るたび怒りを思い出す。
漫画を読んでも、1話終わるたびに怒り思い出す。
多分だけど、夜寝て目が覚めても怒りを覚えているし、なんなら寝ながらでも覚えている。

こんな経験何度もしてきた。

そう、僕の怒りはとにかく消えない。

基本的に飽きっぽい性格なので、ゲームとかに注ぐ熱量は短期間であっさり消えるのに、この燃え盛る怒りの熱だけは、自分の中でずっと燃え続けるのだ。

だがしかし、僕は自分自身の持つ“怒りの持続性”を憂いたりはしない。


何故なら、喜怒哀楽の中でも、“怒”はとりわけ「その人がなんたるかを表している」と思っているからだ。
「何に喜ぶか」よりも「何に怒るか」が、その人自身がどういう人物であるかを浮き彫りにする。

僕は「正しいことをしているのに否定される」ことが、とりわけ許せない。
そして、これは僕という人間を形成する大切な要素だと信じている。


だから今日もこのnoteを書きながら、怒りを思い出す。
そして、怒りながら寝て、怒りながら起きて、怒りながら明日を生きていく。


きっと僕は怒りながら生きて、怒りながら死んでいく。

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