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ラジオはパーソナリティのものであるべき

ラジオ好きを自称している。
毎日開くアプリはラインとTwitterと、アラームとradikoくらいだろうか。

面白いラジオを聴き、その感想をSNSで追ってみたりするのが、楽しい。
いろいろな人たちの感想に触れることで、ラジオの面白さが倍増するからだ。


ラジオの単発特番なんかが放送されると、面白いかどうか、レギュラー化するかどうかなど、さまざまな意見が寄せられる。

そんな中で個人的にあんまり好きじゃない感想がある。

それは、ハガキ職人の力のみで面白くなったような口ぶりの書き込みである。

もちろんラジオにおいて、ハガキ職人を含むリスナーの存在は非常に大きなものだという認識については、1ミクロンの異論すら発する気はない。

リスナーの投稿から派生する展開や、あるリスナーの着眼点が爆発的な面白さを発揮することもラジオの魅力の一つであるのは間違い無いのだが、ラジオそのものの面白さをリスナーのみで想像することは限りなく不可能に近いものだというのが私の考えだ。

リスナーのメールさえも、パーソナリティの器や作る世界観があってなんぼだなってことだ。
パーソナリティあってのメールであり、パーソナリティあってのリスナーであると。

私はラジオが好きだし、ハガキ職人の皆さんを尊敬しているし、リスナーには会ったこともないのに共感感覚を持っている。

だがしかし、あくまでラジオはパーソナリティのものであり、パーソナリティの作り出す媒体であってほしい。

パーソナリティとリスナーがみんな楽しめるラジオが、いつまであり続けていただきたい。

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