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南三陸町に移住しました

どこからでも海が見える町

2022年3月17日、まだまだ肌寒い季節に、宮城県南三陸町へ移住しました。

南三陸町は、宮城県の沿岸部にあります。東日本大震災の被災地であり、文字通り三陸地域に含まれ、海産物がめちゃくちゃ獲れる町です。僕が暮らすことになった部屋からも海が見え、町内のいろんなところから海を眺めることができます。

「漁師と仲良くなれば、海のものは買う必要がないくらいもらえる」「同級生が役場や町のいろんなところで働いている」「町内唯一のスーパーに行けば大体いつも知り合いがいる」「実は隣の街から通っている人が多い」などなど、典型的な田舎町の特徴を、引っ越してから2週間でいろんな人から教えてもらいました。

南三陸町をはじめて知った日

僕が南三陸町という町を知ったきっかけは、2011年に発災した東日本大震災でした。誰もが知るあの震災で、おそらく最も多くの報道がされていたのが南三陸町だった気がします。それから1年後にはボランティアとして石巻市などに入り、今後の人生に大きく関わる友人たちと出会い、毎年東北被災地へと足を運びました。

いつのまにか2〜3ヶ月に1度は東北へ行くようになり、決まって会いに行く人も増え、気がつけば2018年からは東北被災地に関わる仕事に就いていました。仕事で学生たちと一緒に行くことも、プライベートでふらっと遊びに行くこともありました。

それでも、実際に足を運ぶのは石巻市や気仙沼市、もしくは福島県がほとんどで、南三陸町は通りがけに寄っては行くものの宿泊したことはほとんどありませんでした。

それでも、通りがけに目にしていた海が鮮明に記憶に残っています。

「いつか」を動かしてくれたのは、父親でした

もともと、出身が同じ東北の山形県ということもあり、30歳が近づくにつれて「いつか東北で暮らして仕事がしたい」と考えるようになり、被災地を中心に東北という地域を知れば知るほど、どうしようもなく好きなんだという気持ちが大きくなっていきました。

その「いつか」は、僕が30歳だった2020年、父親が亡くなったときに現実になりました。

山形の田舎町で両親とばあちゃんが一緒に暮らしていたため、きっと自分が東北に帰りたいと思うのとは全く別のタイミングで帰らなければいけないタイミングがやってくるだろうと、20代のころはうっすらと思っていました。良くも悪くも、その中途半端に「いつか」を待っていた自分を動かしたのが、亡くなった父親でした。

父親の葬儀後、相続の手続きで戸籍謄本をもらったときに知ったのですが、父もじいちゃんも、その上のひいじいちゃんも、3人揃って60代で亡くなっていました。正直、知ったときは姉と笑っていましたが、きっと自分も60代で人生終わるのかもなと、それから思うようになりました。

30歳の自分はもう人生折り返し。それなら、「いつか東北で暮らして仕事をしたい」と思っていた「いつか」を待っている暇なんてないじゃない。

結局、「いつか」を動かしてくれたのは、亡くなった父親でした。

引越してから2週間、いつもどこかで海を目にする毎日

決断をして、転職活動をして、仕事が決まり、住まいが決まり、引越しをして、南三陸町に転入するまで約6ヶ月。

引越して南三陸町民になってから2週間、車で走ると必ずどこかで海を目にします。山形の内陸で山に囲まれて育ったので、海が見えるだけで新鮮な気持ちになり、思わずスピードを落としてしまいます。

きっとこの新鮮な気持ちがなくなったら、南三陸に馴染んだことになるんだろうな、なんて思いながら、暮らしていこうと思います。




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