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4度目にして初めて思う

人生で初めての引越しは、大学入学直前の3月末。窓が大きくて日当たりが良くて、春でも暑い部屋だった。

進学先が決まって、受験時に父親が探してくれていた物件をいくつか見て周り、入居先が決まって。家電や家具を買い揃え、姉から味噌汁やハンバーグの作り方を教えてもらい。

あっという間に山形を離れる日になり、雪吹雪く中、母に見送られながら新幹線に乗ったのを覚えている。それから3時間、東京は暖かく、マフラーや手袋を外した。さらに東海道新幹線に乗り換えて2時間、地下鉄に乗り換えて20分。名古屋は、快晴どころか軽く夏日で、思わずコートを脱いだ。

少し歩いていると、ふと目に入ったのは桜並木だった。つい6時間前まで雪の中を歩いていたのに、目の前に桜がさんさんと花開いていて、桜だと理解するのに数分かかった気がする。気がついたら足が止まっていて、ただただぼんやりと見上げていた気がする。何分立ち止まっていたかわからないけど、ふと横目に入った女性が薄い緑のワンピースで歩いていて、スノーブーツを履いていたことが恥ずかしくなって。冬が春になったんじゃなく、自分が冬から春に移動した。

冬物なんていらないじゃん。なんて呟きながら、自販機で水を買った。


2度目の引越しは、大学5年目が決まったとき。家賃は安くなり、最寄りのコンビニはローソンからセブンイレブンになり、日当たりが少しだけ悪くなり、他の大学が近くにあったせいで夜は学生たちで騒がしくなった。

大学の近くにいるより、当時始めた震災復興支援活動の事務所とか、先に社会人になった彼女の家とか、そっちに行きやすい部屋に引越した。

違うことに取り組み始めたから、関わる人たちも変わって、思い切って生活環境も変えてみた。当時は、自分なりに思い切った決断をしたと思っていたし、人生の中でも大きな決断だった。慣れるまでに時間かかるかな、なんて思っていたけど実際はそんなこともなく。彼女と半同棲みたいな生活になりながら、相変わらず自分なりに忙しくて、今思えば、ただ周りに流されるだけの毎日だった気がする。


3度目の引越しは、転職が決まったとき。前の部屋から徒歩10分くらいの場所に、少しだけ広くて日当たりのいい部屋に引っ越した。それでも、相変わらず夜は学生たちが騒いでるし、最寄りのコンビニはセブンイレブンだし、2度目以上に変化のない引越しだった。

そのころだったと思うけど、ラジコのタイムフリー機能が実装されて、過去のラジオも聴けるようになった。引越してから1度も部屋にテレビを置いたことがなく、それでも全く困ったことがなかったほどのラジオリスナーだったから、ラジコが登場しアップデートされるたびに、生活時間がラジオに費やされるようになった。

悩みがあるときは深夜ラジオを聴きながら川沿いを何時間も歩いたり、朝からラジオをつけたままにして、そのまま仕事に行って帰ってきたり、メールを送って読まれるかどうかドキドキしながら何も手につかなかったり。

20代後半になり、付き合っていた彼女と真剣に結婚を考えながらも別れることになったし、フリーランス になりながらも結局自分がやりたい仕事なんてわかんないまま過ごしていた時期もあったし、さまざまな被災地に足を運んで自分で行動することの意味を感じながらも、できることのちっぽけさに悔しくなったこともあった。

人生の中で、1番ネガティブになっていたかもしれない。


そして、4度目の引越しが名古屋から南三陸への移住。山形から愛知に引っ越した18歳の冬とは全く別の不安と緊張があった。転職と移住。きっと今までの自分が全く通用しない部分もあるだろうし、それでも自分がやりたいことはあるし、それにもう名古屋で暮らして仕事をする意味がなかったし。

海の見える生活への憧れ。東北のために仕事をしたいというキャリア観。実家で暮らす母と祖母への心配。なにより、このままの生活を続けていたら、これから先の自分を何も変えられない気がして、それが怖かったのかもしれない。

移住して転職して環境を変えたら、何かが変わるかもしれないなんて、そんな周りに頼り切るような変化ではなく。やりたい仕事があって、東北で暮らすことで憧れていた生活に近づけて、そのために環境を変える。

そう言い切れるから、4度目の引越しは、緊張も不安もあるけど、今までで1番前を向いて決断できた。

移住して1ヶ月がたったけど、毎日海が見えるし、暖かくなってきたこれからは山で山菜が採れるし、仕事も忙しくなってくるし。決断した自分を褒めてやりたい。4度目にして、初めて思う。引越してよかった。

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