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MLB「ヤンキースとレッドソックス」の因縁

圧倒的強さを誇った今年のレッドソックス

 2018年,ワールドシリーズにてボストン・レッドソックスが4勝1敗でロサンゼルス・ドジャースを破り,5年振り9度目のワールドシリーズ制覇を果たした。レギュラーシーズンにおいても108勝を挙げ,圧倒的な強さを誇った。今年のレッドソックスは新戦力としてアリゾナ・ダイヤモンドバックスから獲得したJD・マルティネスが打点王を獲得(打率・本塁打においてもリーグ上位),またムーキー・ベッツが首位打者を獲得,その他ザンダー・ボガーツアンドリュー・ベニンテンディらの若き力が躍動し,30球団トップのチーム打率.268を記録した。

 まさに敵無しといった今季のレッドソックスに多くの辛酸をなめさせられたチームがある。レッドソックスと同じ,ア・リーグ東地区に所属するニューヨーク・ヤンキースだ。ヤンキースは昨年59本塁打を放ったナ・リーグMVPのジャンカルロ・スタントンを2017年オフに補強。もともとヤンキースにはアーロン・ジャッジ(2017年52本塁打でア・リーグ本塁打王・新人王)やゲイリー・サンチェス(2017年31本塁打)がいたため,この補強によって地区優勝はおろかワールドシリーズ制覇までも容易に想像できたファンも多いであろう。しかしいざシーズンが始まると,一時期は首位に立ったがジャッジの怪我やスタントンの不振などでレッドソックスの勢いには追いつくことができなかった。
 また,8月2日から行われたレッドソックスとの4連戦に全敗し,息の根を止められたのだ。それでもシーズン100勝を達成し,ワイルドカードからALDS(アメリカン・リーグ・ディビション・シリーズ)に進出,再度レッドソックスにリベンジを挑んだのだ。敵地フェンウェンパークでの第2戦,日本の至宝 田中将大がレッドソックス打線を完全に黙らせ,勝利するも,そこからレッドソックス打線が牙をむき,あっさり敗北してしまったのだ。

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 ヤンキースファンの私としては,JD・マルティネスにあれだけ打たれ,スタントンが簡単に三振している様子を見ると,悔しくて堪らなかった。「JDを獲れば良かったんだ!」とまでは言わないが,スタントンがヤンキースファンの期待に応えられなかったのも事実だ。(それでも38本塁打は立派)
 さて,前置きが長くなってしまったが,今回は“「ヤンキースとレッドソックス」の因縁”と題して,両チームの長い歴史から紹介していこう。

20世紀と共に産声を上げた両チーム

 1901年,球界再編にともなってボルチモア・オリオールズボストン・アメリカンズが誕生した。オリオールズが現在のヤンキース,アメリカンズが現在のレッドソックスなのだが,MLBファンであれば「ボルチモア・オリオールズ」という名前にひっかかってしまうかもしれない。現在のア・リーグ東地区にはヤンキースとレッドソックスの他にボルチモア・オリオールズという球団もあるのだ。全く同じ名前ではあるが,現存するオリオールズの方は1901年にあった「ミルウォーキー・ブリュワーズ」という球団を源流としている。またまたややこしい話なのだがミルウォーキー・ブリュワーズもナ・リーグ中地区に現存する名前であり,こちらは1969年のエクスパンション(球団拡張)によってできた球団のため,1901年のブリュワーズとは関係がない。
(※ ちなみにボルチモア・オリオールズという名前の球団は1882年から1899年にも存在しており,こちらは経営難で解体されている。)

 オリオールズは1903年にニューヨークに移転,ニューヨーク・ハイランダーズという名称に変更。また1913年からはおなじみの「ニューヨーク・ヤンキース」という名前に変更された。
 アメリカンズも1908年には「ボストン・レッドソックス」という名前に変更されており,両チームはここから一度も名称を変更しないまま,現在に至っている。
 ヤンキースは1923年にワールドシリーズ初制覇すると5連覇(1949~1953年)・4連覇(1936~1939年)・3連覇(1998~2000年)を含む計27回のワールドシリーズ制覇を果たしている。ワールドシリーズ制覇回数はダントツの1位で,2位のセントルイス・カージナルスですら半数に及ばない11回制覇という数字である。
 レッドソックスは初めて開催された1903年のワールドシリーズを制覇するも1918年を最後に2004年までの86年間,ワールドシリーズを制覇することができず,2018年を含めると計9回という数字にとどまっている。

伝統と伝説を作り出したレジェント達

両軍ともに,その長い歴史の中で非常に多くの伝説的な選手を擁した。

ニューヨーク・ヤンキース
○「野球の神様」ベーブ・ルース(1920~1935年)
○56試合連続安打を放ったジョー・ディマジオ(1936~1951年)
○ルースとの最強コンビを組んだルー・ゲーリック(1923~1939年)
○“殺人打線”を率いたミッキー・マントル(1951~1968年)
○多くの迷言を残した大捕手ヨギ・ベラ(1946~1963年)
○通算防御率2.75の絶対的エースホワイティー・フォード(1950~1967年)○当時のシーズン最多本塁打記録を作ったロジャー・マリス(1960~1966年)
○「キャプテン」デレク・ジーター(1995~2014年)
○史上最強のリリーフマリアノ・リベラ(1995~2013年)

挙げればキリがないほどに伝説的な選手が多く,ここに名前が出てなくとも歴史に名を残す選手は数え切れない。アメリカ野球殿堂入り選手が39名,永久欠番に指定された選手が23名いることからもそのことが分かるだろう。特に永久欠番に関しては現在1~9番がすべて永久欠番に指定されており,2014年まで背番号2を付けていたジーターの引退を最後に,ヤンキース選手の1桁背番号を拝むことはもうできなくなった。

ボストン・レッドソックス
○最も優れた投手の名前となったサイ・ヤング(1901~1908年)
○MLB最後の4割打者テッド・ウィリアムス(1939~1960年)
○守備の名手ジミー・コリンズ(1901~1907年)
○20世紀最後の三冠王カール・ヤストレムスキー(1961~1983年)
○3度の本塁打王ジム・ライス(1947~1989年)
○首位打者5回獲得の広角打者ウェイド・ボッグス(1982~1992年)
○「ステロイド時代」を投げ抜き219勝ペドロ・マルティネス(1998~2004年)

ヤンキースに比べると少し見劣りするかもしれないが,アメリカ野球殿堂入りの人数は34人とヤンキースに肉薄している。永久欠番は11名とかなり少ないがこれには理由がある。レッドソックスには最近まで“レッドソックスでキャリアを終えた選手”および“アメリカ野球殿堂入り”という条項を満たさない限り,永久欠番には指定されないというルールがあったためだ。(2008年にルールが撤廃された)

バンビーノの呪い

 先述したが,レッドソックスは1918年から2004年にかけての86年間,一度もチャンピオンリングを手にすることができなかった
 これに関しては『バンビーノの呪い』という名の野球ファンの間で囁かれていたジンクスがある。

 バンビーノとは先程紹介したヤンキースの,いやMLB史上最も優れた打者であるベーブ・ルースの愛称である。知っている方も多いとは思うがベーブ・ルースはヤンキースに所属する前はレッドソックスの選手として活躍していた。当時は投手としても出場しており,今年はそのルースが打ち立てた「○○登板&○○本塁打」などの記録を大谷翔平(LAA)が更新したというニュースが日本でも多く報道された。
 ルースがレッドソックスでワールドシリーズを3度制覇する中,ヤンキースはワールドシリーズへの出場すら果たせていなかった。しかし1919年のオフシーズン,ルースがトレードでヤンキースに入団。ここから壮絶なる『バンビーノの呪い』が始まることとなる、、。

 ルースの放出については,当時のレッドソックスオーナーのハリー・フレイジーがブロードウェイ・ミュージカルの演劇プロデューサーを兼任しており,ルース放出の際にヤンキースから支払われる資金を作品の制作資金に充てるために慣行されたというのが有力な説である。
 実際,ルース以降もレッドソックスの選手が資金確保のためにヤンキースにトレードされていた。それだけでなく,フレイジーはレッドソックスの本拠地であったフェンウェイ・パークを担保に,銀行から融資を受けて演劇作成をしていたとのこと。

 ルース加入後(1920年~)のヤンキースは第一次黄金時代を迎え,1928年までにアメリカンリーグで6回優勝・ワールドシリーズで3回優勝した。
 一方,レッドソックスはルース放出を機に成績は下降線を辿ることとなる。結局レッドソックスが86年もワールドシリーズ優勝が果たせない間にヤンキースはワールドシリーズに39回進出,うち26回は優勝を果たしており,レッドソックスと対照的に北アメリカのプロスポーツ界で最も成功を収めたチームの一つに成長。このような理由から、のちにボストン・レッドソックスの低迷はニューヨーク・ヤンキースにトレードされていったバンビーノ(ベーブ・ルース)の呪いが原因であるとする「バンビーノの呪い」というジンクスが誕生した。このジンクスはヤンキースとレッドソックスのライバル関係の大きな象徴になっていくこととなる。


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(レッドソックスのバンビーノの呪いの一部をご紹介したい。)
○1946年のセントルイス・カージナルスとのWS第7戦にて,同点の8回裏にレッドソックスの遊撃手ジョニー・ペスキーが本塁生還を狙う相手の一塁走者を視界に捉えることができず,中継プレーに躊躇して失点,あと一歩の所で敗北。
○1949年,シーズン残り2試合を残し,あと1勝さえすれば優勝という状況でヤンキースに2連敗し逆転優勝を許す。WSに進んだヤンキースはこの年から5年連続でWS制覇を果たした。
○1972年,0.5ゲーム差でデトロイト・タイガース(当時はア・リーグ東地区)に地区優勝をかっ攫われる。この年はストライキによって通常シーズンより試合数が少なかったことや,雨天中止による振替日がなかったことからゲーム差をひっくり返すことが難しかった。
○1975年のシンシナティ・レッズとのWS第7戦にて,9回表にジョー・モーガンに勝ち越し打を浴び敗北。こちらもあと1勝が遠かった。
○1978年,2位ヤンキースに最大14ゲーム差をつけるも9月にヤンキースが猛追,直接対決で4連敗するなど逆転優勝を許す。レッドソックスファンからは『ボストン大虐殺』と呼ばれた一連の流れ。阪神ファンの当方としては2008年を思い出して頭が痛くなる。ーーー『Vやねん!タイガース』
○1986年のニューヨーク・メッツとのWS第6戦,5対3と2点リードしており,あと1アウトでWS制覇という場面で3連打→暴投→エラーが重なりメッツが逆転勝ち。第7戦もメッツが勝利し敗北。

このように「たかがジンクス」とは言えないほどに悲劇的な出来事が多いのだ。

『フェンウェイ・パークの乱闘』と"呪いからの解放"

 長年,レッドソックスファンはバンビーノの呪いを解くために様々なことをしてきた。
・エベレストの頂上にBOSのキャップを置いてくる
・NYYの春季キャンプに出向き,NYYのキャップを焼き払う
・フェンウェイ・パークを浄化するために悪魔祓いを雇う
・ルースが生前所有していたピアノをルースの故郷の池に落とす
(まるで道頓堀のカーネルサンダース)
 こうやって文字に起こすと何をやっているんだと呆れてしまう方もいると思うが当時のファンは至って真面目だったのだろう。

 2003年,そんなレッドソックスに再度,ワールドシリーズ制覇のチャンスが訪れる。ヤンキースに地区優勝を許すも,ワイルドカード(※)からALCS(アメリカン・リーグ・チャンピオンシップ・シリーズ)に進出。因縁のヤンキースとの決戦を迎える。
(※ワイルドカード  リーグ内15球団から地区優勝チームを除く12球団のうち,勝率上位1チームに与えられるポストシーズンへの参加資格。2012年からは上位2チームが資格を得られるようになった。)

 当時の両軍メンバーはまさにオールスター軍団

 レッドソックスにはマニー・ラミレスデビッド・オルティーズジョニー・デーモンジェイソン・バリテックノマー・ガルシアパーラトロット・ニクソンビル・ミラーペドロ・マルティネスの面々。

 ヤンキースにはデレク・ジーターバーニー・ウィリアムスジェイソン・ジアンビアルフォンソ・ソリアーノ松井秀喜ホルヘ・ポサダロジャー・クレメンスマリアノ・リベラの顔ぶれ。

 下馬評通り,拮抗した戦いが続きヤンキー・スタジアムでの第1試合では5対2でレッドソックスが勝利,第2戦では2対6でヤンキースが勝利する。
 球場をフェンウェイ・パークに移して行われた第3戦,ある大事件が起こる。2対2の同点で迎えた4回表,レッドソックスの先発・マルティネスから松井秀喜が勝ち越しタイムリーを放つ。続くカリーム・ガルシアの打席でマルティネスは頭部付近に危険なボールを投じる。故意か否かは重要ではなく,当然小競り合いが勃発する事態に。(ALCS期間中にガルシアがレッドソックスの球団職員と乱闘事件を起こしたのも発端の一因)
 当然ガルシアもやられっぱなしで黙ってはいられない。続くソリアーノの遊ゴロの際,フォースアウトを狙うセカンドの足に強烈なスライディングをかまし,再度小競り合いが起きたのだ。
 もうこうなると手がつけられない。続く4回裏に先頭のマニー・ラミレスに対してロジャー・クレメンスが内角高めに剛速球を投じる。開戦の火蓋が切って落とされたのだ。ラミレスは激高し,オルティスに羽交い締めにされ制止を受けるほど。勿論クレメンスも「Come on!!」と言わんばかりに食ってかかる。両軍総出の大乱闘である。
 そんな最中,ドン・ジマーベンチコーチが,乱闘をけしかけた張本人・マルティネスに駆け寄った。巨体を揺らしながら突進してくるジマーに対し,マルティネスも興奮していたのか,頭をつかんでジマーを張り倒したのだった


 流石のラミレス,クレメンスらもこれには冷静になり,乱闘が一瞬にして収まった。個人的にはMLB史上最も記憶に残る乱闘であると感じている。

 試合は結局,3対4でヤンキースが勝利したが両軍,後味の悪い試合となったに違いない。

 ただ,ファンは黙っていなかった。当時のブルームバーグ・ニューヨーク市長は「ペドロがニューヨークでまたあのような真似をすれば逮捕する」と発言。ヤンキー・スタジアムで観戦するレッドソックスファンにも何が起こるか分からないため,警告が出されるほどであった。

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 4戦目からも戦況は変わらず拮抗,レッドソックス・ヤンキース・レッドソックスと交互に勝利を挙げ,互いに3勝3敗で運命の第7戦を迎える。
序盤からオルティスなどにホームランが飛び出し,8回表までに5対2とレッドソックスがリードしていた。あと2イニング,そう思った矢先に最強軍団ヤンキースが牙を向く
 第3戦の乱闘を引き起こした先発マルティネスは8回のマウンドにあがると連打を浴びて2点差にされる。続投が裏目になり,続く松井・ポサダの連続ヒットで同点とされてしまう。

 そして試合は延長に突入,11回裏に代打で登場したアーロン・ブーン(現ヤンキース監督)が一発を放ち,またしてもレッドソックスが敗れる形となってしまう。


(動画に登場する眼鏡のおっさんは当時マリナーズに所属していたアーロン・ブーンの兄であるブレット・ブーンです。兄弟の目の前で放った劇的な一打でした。)

 翌年2004年には再度ALCSでヤンキースと対戦するも,ホームゲームの第3戦に19対8で大敗するなど初戦から3連敗を喫し,もう後が無い状況であった。

”『バンビーノの呪い』を解くことは不可能なのか・・・”

 ファンの誰もがそう思い始めた第4戦,レッドソックスが意地を見せる。1点ビハインドで迎えた9回裏,ビル・ミラーがヤンキースの絶対的守護神・リベラから起死回生の同点打を放つと,12回裏にはオルティーズがサヨナラホームランを放ち,1勝を手にした。さらにレッドソックスは続く3試合でも勝利し,大逆転でワールドシリーズ進出は果たしたのだ。
カージナルスとのワールドシリーズでも勢いそのままに4連勝,実に86年ぶりのワールドシリーズ制覇を決めたのだ。

意地の悪い一部のヤンキースファンは「86年も優勝できなかったのなら,次に優勝するのは86年後の2090年だな!」という煽りもあったが,3年後の2007年にもワールドシリーズを制覇,完全にバンビーノの呪いと決別をはたした

両チームの因縁は永遠に

 2003年のフェンウェイ・パークの乱闘の後もヤンキース×レッドソックスによる小競り合いは何度も起こった。
 代表的な一つとしては2004年のアレックス・ロドリゲスvsジェイソン・バリテックの乱闘であろう。
 ブロンソン・アローヨの死球に怒ったA・ロッド。アローヨに詰め寄った際にレッドソックスのキャッチャー、ジェイソン・バリテックともみ合いに。バリテックがA・ロッドの顔を手でわしづかみにして小競り合いが開始、両ベンチ総出の乱闘となった。

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 アレックス・ロドリゲスとレッドソックスの因縁というのもまた根深い。
 A・ロッドは2001年から3年連続本塁打王を獲得するも,2003年オフに高すぎる年俸をどうにかしたいテキサス・レンジャーズにトレードを画策される。最初に手をあげたのが何を隠そうレッドソックスだったのだ。しかしレッドソックスの提示した年俸低減措置に選手会が猛反発。結局ヤンキースが横から奪い取る形でトレードが成立したのだ。
 2004年のALCSでは,第6戦にピッチャーゴロを放つと,タッチアウトを狙いにきた投手アローヨのグラブに強烈なハイタッチをお見舞いし落球。一時はエラーと判定されるも守備妨害となった。ここ辺りから品行方正なシアトル時代とは一転,球界の悪役としてのイメージが付きまとうこととなる。

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 2013年にはバイオジェネシス・スキャンダル(前回のnote”MLB「ステロイド時代」について考える”に詳細が書いてあります)で大バッシングを受けるA・ロッドに対し,ライアン・デンプスターが故意死球を投じた。なぜかヤンキース監督のジラルディーが退場宣告を受けるも,次の打席でA・ロッドは『報復ホームラン』を打って,レッドソックスファンを黙らせるのであった。


(異常なまでのブーイングも,禁忌を犯した選手に対しては当然ともいえる。)

 また今年にはヤンキースのタイラー・オースティン(現在はミネソタ・ツインズにトレード移籍)がレッドソックスのブロック・ホルトに禁止されている危険スライディングを慣行。2003年のような嫌な雰囲気が球場を包む。
 やはり次のオースティンの打席,ジョー・ケリーが死球をぶち当てオースティンが逆ギレ。両軍総出の乱闘となり,両者退場処分を受けることとなった。「両チームに受け継がれる因縁のDNAは健在!」と思わせるワンシーンであった。

 そういえばヤンキースを『悪の帝国』と呼び始めたのもレッドソックスであった。2002年12月24日、ヤンキースは当時のキューバ代表のエース、ホセ・コントラレス投手をめぐる他球団との争奪戦を制したことを発表した。宿命のライバル、レッドソックスもコントラレスの争奪戦に参加していたが、苦杯を味わう羽目になった。
 レッドソックスはその数日前、巨人から海外FA権を行使した松井秀喜の争奪戦で、ヤンキースに敗れたばかりだった。松井は12月19日に3年総額2100万ドルでヤンキース入団の合意に達している。
あまりの悔しさからノーコメントを貫いてきたレッドソックスのラリー・ルキーノCEOは「いや、私はコメントすることにする。イビル・エンパイア(悪の帝国)がその触手をラテン・アメリカに伸ばすことになった
 このフレーズからヤンキースの“愛称”が誕生することとなったのだ。

最後に

 乱闘というのは現代の社会的倫理観においても到底許容されるものではない。あくまでスポーツである野球において,殴り合いというのはスポーツマンシップに反するというのももっともだ。
 ただ一つだけ言わせてもらいたいのが,ヤンキースとレッドソックスが戦うたびに生じる緊張感であったり,そこから生まれるドラマというのはある意味,乱闘や因縁と表裏一体にもみえる。2003年のALCSでのアーロン・ブーンの一発というのはフェンウエイ・パークの乱闘があったからこそ,あれだけ沸き上がるし,2004年のALCSでのレッドソックスによる破竹の連勝もA・ロッドの強烈なハイタッチ事件も要因となっていたに違いないのだ。

 来年もおそらくヤンキースとレッドソックスの一戦ではなにかが起こると思うし,それを期待しているファンも私以外にいるのではないだろうか。
 FA市場の動きによってはMLBの二大ヴィラン(悪役)であるブライス・ハーパーとマニー・マチャドが悪の帝国に入団する可能性もありえなくない。この2人が敵地フェンウェイ・パークで何か起こそうものなら、、、想像が止まらないストーブリーグである

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