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天命に抗ったレジスタンス「ジョシュ・ハミルトン」

 前回の記事にて「MLBドラフト全体1位指名」について少し説明をしたのを覚えているだろうか。ケン・グリフィー・ジュニアアレックス・ロドリゲスなどはその過重なるプレッシャーを撥ね除け,スターダムに上り詰めた選手だ。
 しかし中には,MLBへの昇格すらできずに野球からリタイアしていく選手が多くいるのもまた事実。今回は,”天命に見放されプレッシャーにも負け現役を引退”するも,天命に抗い球界屈指のスーパースターとして返り咲いた全体1位指名選手,「ジョシュ・ハミルトン(Josh Hamilton)」という選手の紹介をしたい。

「天賦の才」を発揮した高校時代

 ノースカロライナ州に生まれたジョシュ・ハミルトンは身長193センチという体格に加え,60ヤードダッシュ6秒7,マウンドに上れば96マイルを投げるような天賦の才に恵まれた少年であった。ハミルトンは高校の野球ではなく地元のシニアクラブで野球をやっており,公式戦では25試合で打率.529 13本塁打 35打点 20盗塁という驚異の成績を残す傍ら,投手としても7勝1敗 防御率2.50 91奪三振(奪三振率14.63)という活躍ぶり。そのためMLBスカウトらからは野手としてのヒッティング・パワー・スピード・アーム・フィールディングの5ツールに加え,投手としてのツールも兼ね備えた「8ツールプレイヤー」と呼ばれたほどであった。
 1999年には権威ある野球専門雑誌ベースボール・アメリカ選出の最優秀選手(高校生部門)に選出される。今年引退したジョー・マウアー(MIN)や大谷の同僚ジャスティン・アップトン(LAA)らも同賞に選出されている。
 そして1999年,MLBドラフトにてタンパベイ・デビルレイズ(現在は名称が変わりタンパベイ・レイズ)に外野手として全体1位指名を受け,大きな期待を受けてMLBの世界に足を踏み入れる。
 この時の担任の先生には「もし自分がオールスターに出場してホームランダービーに出たらピッチャーをやって欲しい」と約束をしたのだ。

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 何度も言うが「全体1位」というのは一種の呪いなのかもしれない。「結果を残さなければいけない」「期待に応えなくてはならない」といったような自責の果てに待っているのは決してスターダムではないのだ。ハミルトンはプロ入り後,この呪いに束縛され,苦難と波乱に満ちた野球人生を送ることとなる


「天命」に見放されたTB時代

 もっとも,ハミルトンは結果を残せなかった訳ではなかった。マイナーでの成績は順調そのもので,1999年はドラフト直後からルーキーリーグ・A-(ショートシーズン・エー)の試合に出場。72試合で打率.312 10本塁打 55打点 18盗塁 OPS.850という成績からも,その才質が尋常ではないことがわかるであろう。
 2000年はA(シングル・エー)にて96試合に出場し打率.302 13本塁打 61打点 14盗塁 OPS.823という十分な活躍。今であれば球界ナンバーワン・プロスペクトといわれるような立ち位置であった。(http://www.thebaseballcube.com/prospects/byYear.asp?Y=2001&Src=BA)
 そして更なる飛躍を目指す2001年,ハミルトンの身に悲劇が襲う。両親思いのハミルトンはシーズン開幕前のスプリングトレーニングに父と母を招待。試合の後に移動中,交通事故に巻き込まれ,両親と共に怪我を負ってしまったのだ。幸い命に別状はなかったものの,事故によって背中を怪我。ナイフで刺されたような痛みが襲われるものの,どのドクターに診てもらっても「異常はない」と言われてしまい,痛みの原因すら判明しなかったのだ。
 当然痛みを抱えたまま2001年シーズンを向かえ,27試合で打率.200 OPS.540という散々なものであった。
 恐らく人生で初めて味わうこととなった挫折。そこに「全体1位」という呪詛が重なり,ハミルトンを容赦なく奈落に突き落としていくのであった。そんなときハミルトンが手にしたのはアルコールコカインであった。「怪我」,「プレッシャー」,「期待」,自らを苦しめるすべてのことから解放してくれるのはもはやこの二つしかなかったのだろう。
 翌年2002年にはA+(アドバンス・エー)に出場しながら,そこそこの成績を残し始めるも薬物使用がMLBにバレてしまい,25日間の試合出場禁止処分更正施設への入所を命じられる。その後も体中に入れ墨を入れたり,遅刻を繰り返すなど素行不良が続き,2004年2月にも出場停止処分を食らい,事実上の球界追放宣告を受けてしまうのだった。

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(画像)当時の入れ墨と危ない目付きが分かる。

 アルコールとコカインに依存し,野球どころではなくなってしまったハミルトン。現役を離れ,更正施設に通うもやはりコカインをやめられない。施設への出入りを繰り返し,その数なんと8回。後に本人が「自殺も考えていた」と語るほどであった。結婚したばかりの妻にも見捨てられ,孤独に苛まされる日々が続いた。
 かつて天から才能を授かったはずのハミルトンが,奇しくも天に見放され,地獄の淵まで引きずりこまれてしまうという神話にありそうなお話。ここでジョシュ・ハミルトンという元「全体1位指名選手」の鼓動は止まるはずだった

 しかしそんなハミルトンに転機が訪れる。どこにも行くあてがなく,唯一受け入れてくれそうな祖母の家に足を運んだ。ここでもドラッグをやっていたが,祖母に見つかり「私の家ではクスリをやらせない。もし続けたいならば、この家を出ていきなさい。どうするかを決めるのは、あなたです」と力強く言われ,ハミルトンはようやく目を覚ます。
この時のことを「俺が愛している人たちを、俺を愛してくれている人たちを、どれだけ傷つけてきたか気付いたんだ」と後に振り返っている。この出来事がきっかけとなり、コカインとアルコールを絶つ決意をする。一度は止まりかけたハミルトンの鼓動は,微かながら,確かに音を立てて鳴動し始めた。

それから月日が流れ,誰もがジョシュ・ハミルトンの名を忘れかけた2006年6月,突如としてデビルレイズ支配下のマイナーチームにハミルトンが復帰したのだ。2005年には薬物依存から完全脱却,2006年初頭にはトレーニングを再開し,独立リーグにてプレーしていたのだ。2年のブランクがあったにも関わらずプロリーグに復帰するハミルトンも勿論すごいのだが,大胆な決断に踏みきったデビルレイズもなかなかのものである。(当然タダでという訳ではなく,週3回の尿検査が条件であった。)
 復帰後には怪我などもあり,2006年11月に40人ロースター枠から外れ,12月のルール5ドラフト(※)にかけられる。そこでシカゴ・カブスに指名を受けると同日にシンシナティ・レッズへ金銭トレードされる。

(※)ルール5ドラフト ――― マイナー選手の飼い殺しを防ぐためのMLB規則第5項に規定されているルール。ルール5ドラフトの対象になる選手は、「40人ロースター枠に入っていない選手」かつ「契約時に19歳以上だった選手は入団から4年、18歳以下は入団から5年が経った選手」というもの。例えば該当選手を獲得したら翌年はシーズンを通じてMLBのベンチ入り25人の中に入れないといけず,ベンチ入りさせない場合は元の球団に返すというルール。このルールによってチャンスを得た選手としてはハミルトンの他にヨハン・サンタナ(MINなど)やオデュベル・ヘレーラ(PHI)などが有名。

「天への会稽」を果たしたCIN時代

 シンシナティ・レッズとの1年契約を勝ち取ったハミルトンは,2007年のスプリングトレーニングから打棒を爆発させる。あの,交通事故という悲劇から実に6年が経過していた。レッズはハミルトンを開幕ロースター入りさせ,4月2日の開幕戦に代打で出場。プロ入り8年目にしてようやくメジャーデビューを果たしたのだ。ハミルトンの境遇を知っている場内の観客からは20秒以上のスタンディングオベーションで迎えられ,この時のハミルトンの心中がどれほどの歓喜に沸いていたかは想像に難くない。まさに天命に抗い,会稽を果たした瞬間。「全体1位」という呪いに束縛され,苦しめられたかつての彼の姿はそこにはなかった
 いままでの鬱憤を晴らすかのごとく4月に6本塁打を放つなど月間最優秀新人(ルーキー・オブ・ザ・マンス)に選出される。怪我や疾病などで90試合の出場にとどまるも打率.292 19本塁打 47打点 OPS.922という成績を残し,MLBでも十分に戦えることを証明したのだ。

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 そして同年12月,ハミルトンの価値を高く評価したテキサス・レンジャーズがトレードにて当時トッププロスペクトであったエディソン・ボルケスらをレッズに放出し,ハミルトンを獲得した。

「Top of the Top」 頂天に辿り着いたTEX時代

 新天地においてもハミルトンの輝きが失われることはなかった。2008年は開幕直後から打出の小槌の如く打ちまくり,4,5月の月間MVPを獲得。同年のオールスターにおいては外野手部門最多となる堂々の3,708,709票を得て選出された。ホームランダービーでは第1ラウンドにて28本を放つなど観客を沸かせた。この時のピッチャーはそう,かつて約束をした高校の担任の先生である。10年越しの約束を果たすことができたのである。
(動画)https://www.youtube.com/watch?v=FTH0jlCWlBQ&t=90s
8月17日のレイズ戦ではハミルトンの猛威を物語る出来事も起きた。レイズが4点リードで迎えた9回裏2アウト満塁,一発出れば同点の場面で打席に入ったハミルトン。当時レイズの監督を務めていた名将ジョー・マドンはマウンド上のグラント・バルフォアに敬遠を指示するという衝撃の作戦に出た。後続を断ったレイズは勝利するも実にア・リーグにおいて満塁での敬遠策は107年ぶりの出来事となった。(ナ・リーグでは1998年にバリー・ボンズが記録している。)
(動画)https://www.youtube.com/watch?v=z2lpG0lDkmo
 終わってみれば打率.304 32本塁打 130打点 OPS.901という成績でデビュー二年目にして初のタイトルとなる打点王を獲得した。

 翌2009年はスプリングトレーニングで27打点を挙げるなど順調な滑り出しをするも3度のDL入りを経験。89試合で打率.268 10本塁打という成績に終わった。また8月には女性と体に生クリームを塗った写真がネット上に流出し,謝罪会見を開くこととなった。

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(画像)実に楽しそうである。おいジョシュ,そこ代われ。

 このままでは生クリーム狂の変態としてキャリアの終焉を迎えてしまう。復活を賭けて望んだ2010年シーズンは4月と5月こそ不調に終わるも,6月に入ると23試合連続安打・猛打賞8回という離れ業を披露。(月間成績は打率.454 9本塁打 31打点でダントツの月間MVP)
 9月には怪我で離脱するも最終的に打率.359 32本塁打 100打点 OPS1.044首位打者とシーズンMVPを獲得。デビューからわずか4年目で野球界の頂に到達したのだ。いにしえ,ハミルトンを見放した神ですらこの時の彼の前ではひれ伏すしかなかっただろう。
 ALCSではニューヨーク・ヤンキース相手に4本塁打を放ち,リーグ優勝に大きく貢献した。

 2011年には自身が観客席に投げ入れたボールを捕ろうとした男性ファンが誤って転落,死亡するという痛ましい事故が起きてしまう。この年はオールスターに出場し,シーズン成績は打率.298 25本塁打 94打点 OPS.882で前年までとは行かぬものの求められた数字を残した。

 2012年には5月8日のボルチモア・オリオールズ戦で史上16人目となる1試合4本塁打を放ち,ア・リーグ新記録となる1試合18塁打を記録した。オールスターには史上最多得票となる11,073,744票を獲得し選出されるなど前半戦は本塁打数などで独走。チームも首位で駆け抜けた。
(動画)https://www.youtube.com/watch?v=kjqQge1ycD8
 しかし後半戦はハミルトンもチームも失速し,最終戦を残してオークランド・アスレチックスに同率首位とされてしまう。しかも最終戦はアスレチックスというドラマのような展開。5対5で迎えた4回裏,2死1・2塁のピンチでヨエニス・セスペデスが打ち上げたセンターフライをハミルトンが落球。これがきっかけとなりチームは大量失点。12対5で破れ,アスレチックスが13ゲーム差をひっくり返す劇的な逆転地区優勝を果たす。ワイルドカードでもチームは破れ,ハミルトンは戦犯としてチーム内外からの批判に晒されてしまう。シーズン成績も43本塁打 128打点を記録するが同年はミゲル・カブレラが三冠王を獲得し,1つのタイトルも獲得できないという,まさに泣きっ面に蜂の状態。
(動画)https://www.youtube.com/watch?v=o5Fx4z0V2mY
 この年のオフ,FAを獲得したハミルトンは5年1億2,500万ドルの超大型契約を引っ提げロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム(現ロサンゼルス・エンゼルス)に移籍。移籍後にはテキサスを「本物のベースボールタウンではない」と批判し,かつてハミルトンを支えてくれた多くのファンと喧嘩別れするような形になってしまう。デトロイトに移籍した某二塁手の「レンジャースには162敗して欲しい」よりは遙かにマシだが,この発言はするべきではなかっただろう。

「堕天」 終身名誉死刑囚と謳われたLAA時代

 当時のエンゼルスは2012年にも10年2億5400万ドルでセントルイス・カージナルスの英雄アルバート・プホルスを獲得するなど大胆な補強策をとっていた。しかしプホルスもSTL時代のような傑出度は残せておらず,過去に薬物中毒に陥った32歳のハミルトンとの大型契約には疑問の声が多くあった。
 1人のファンとしては「ここで疑問の声を払拭するのがハミルトン!」と書きたいところであるが,そうは問屋が卸さないのが現実。大方の予見通り,成績は大ブレーキ。2013,2014年ともに怪我と不振に悩まされた。
 その大型契約とは遙かにかけ離れた成績から,日本の某大型匿名掲示板ではいつしか「ジョシュ・ハミルトン終身名誉死刑囚」と謳われるようになる。(もともと,いわゆる不良債権選手には「死刑囚」という蔑称が使用されており,プホルスなどを含む不良債権を多く抱えたエンゼルスは「収容所」とも言われた。)
 2013年にグローブライフ・パーク・イン・アーリントン球場で行われたレンジャーズ戦では,先述の「本物のベースボールタウンではない」というハミルトンの言葉に怒ったテキサスファンが大ブーイングでハミルトンを迎える場面もあった。
(動画)https://www.youtube.com/watch?v=0bvn_C96OKs
 そして遂にファンもお手上げの出来事が起きてしまう。2015年2月25日,ハミルトンが決別したはずのコカインを摂取していたことが判明。出場停止処分等は受けなかったものの,多くのファンを失望させ失う結果となった。

 皮肉にも,かつてスターダムを駆け上がり,頂に登り詰めた男は聖なる「Angels」にて翼を失い,また地獄の淵まで潰えてしまったのだ。まさに「堕天」とも言うべき結末である。先刻,ハミルトンの野球人生を「神話」と準えたが,あながち間違いではなかったのかもしれない。もっともそれはダンテの「神曲」地獄篇のような禍々しいものであったのだが。

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(画像)レッドブルを愛飲するハミルトン。残念ながら翼を授けてはくれなかったようだ。

 再びあの場所に返り咲くことはできるのか

 エンゼルスに見切りをつけられたハミルトンは2015年4月にトレードで奇しくも喧嘩別れをしたテキサス・レンジャーズに移籍。しかしテキサスのファンは温かい拍手でハミルトンを迎えてくれた
(動画)https://www.youtube.com/watch?v=uTIZwcaw0w8
 しかし残念ながらそのファンの期待とは裏腹にシーズン成績は打率.253 8本塁打という低調な成績に終始し,出場試合数も50にとどまった。
 そして2016年には怪我で常に故障者リスト入り。1試合も出場を果たせないまま8月に自由契約となった。
 2017年1月には再度レンジャーズがマイナー契約でハミルトンと契約するも2月のスプリングトレーニング中に怪我。復帰の見込みがないと判断されまたまた自由契約となり,現在に至るのだ。
 引退表明はしておらず,おそらく今も現役復帰を目指しているが続報は皆無である。

 さて,現在37歳のハミルトン。現役復帰は現実的か?と問われると,いくらファンとはいえ首を縦に振ることは難しい現状だ。だがしかし,怪我・薬物依存・アルコール中毒からのカムバックを果たした彼ならば、、、と思うのは愚考であろうか?

最後に

 駄文を読んでいただき,ありがとうございました。NoteのMLB記事はこれでもう4作目となります。いままでとは違う書き口になってしまったのも一番好きな選手というところが大きいです。言うまでもありませんがハンドルネームの「助手」というのもハミルトンのファーストネームである「Josh」に由来します。
 ハミルトンをこれほどまでに好きになったのはいくつか理由がありますが,やはりあの「美しく流動するかの如くしなやかなスイング」であったり「どこまでも打球を飛ばすパワー」であったり「体躯をものともしないスピード」であったり「ミサイルのような肩」など5ツールプレイヤーとしての才能に惚れ惚れしてしまうからです。実際,現役復帰の続報が無い中でも私以外にもハミルトンの去就を気にしている方は少なくないと思います。それほど彼のプレーは見る者を熱狂させてくれるプレイヤーなのだと思います。

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 前回のA-Rodの記事では通算成績を貼らせていただきましたが今回は控えさせていただきます。なぜならまだハミルトンは過去のプレイヤーではなく,これからも現役のプレイヤーとして成績を積み上げる可能性があるからです。どうか私のわがままをお許しいただくと同時に,ジョシュ・ハミルトンという選手の再起を一緒に祈っていただければ幸いです

2019年8月19日 追記

 遂にこの日がやってきました。ハミルトンがアーリントンに凱旋。晴れてテキサス・レンジャーズ殿堂入りを果たしました。同時にハミルトンの現役引退は決定的となり,短くとも太いキャリアに終止符が打たれました。一時は選手生命の危機に瀕するも這い上がったスーパースター。彼の口から述べられたのは他でもないファンへの感謝の言葉でした。
 実働はたったの9年にも関わらず通算本塁打200本,ア・リーグMVP1回,首位打者1回,打点王1回,シルバースラッガー賞3回,月間MVP5回など未曾有の実績を築き上げました。彼のキャリアに終止符が打たれたとしても,1試合4ホーマーや満塁での敬遠,ホームランダービーでの28本塁打など,センセーショナルな記憶というのは我々野球ファンの心に永遠に刻まれるのではないでしょうか。

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 ただ,一人のファンとしてはもう選手としてあの雄姿を見ることができないのは大変残念でなりません。しかし,殿堂入りスピーチでのあの屈託のない彼の笑顔を見れたことは何にも代えがたい時でした。常にファンを大切にしてきた彼が自分の為により良い選択をしてくれたのだと思います。どうか彼には「自分のため」のセカンドキャリアを歩んでほしいと切に願います。

Thank you for #32 .

2019年10月31日 追記

 約2か月前,素晴らしいセレモニーでテキサス・レンジャーズ殿堂入りを果たしたハミルトン。僕はアーリントンの温かいファンに祝福される彼を見て本当に嬉しかったし涙が出そうになりました。
 しかし。9月に家族に椅子を投げつけた傷害罪で本日逮捕。

 どうしてそうなっちゃうの?もう本当に怒っています。あのセレモニーでファンに語った言葉はなんだったんでしょうか。

 反省し,更生を誓ってほしいです。別の意味で涙が出そうです。このアホー!


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