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青い光の射す教室

わたしが通う学校は、海の中にあります。
目の前いっぱいにだだっぴろく広がり、陸と陸を隔て、ただ一面に青くて底が見えない、あの海です。


陸に住むわたし達が学校へ向かうには、階段を降りていかなくてはなりません。
その階段は、浜の商店街の中にあります。
浜の商店街は海沿いに色々なお店が並んでいる通りです。
どのお店にも必ず陸側からと海側からの入り口があるので、いつも人でにぎわっています。
そんな商店街の、本屋さんと果物屋さんの間、大人ひとりがどうにか入れるくらいの狭い隙間を通ったところに階段屋さんがあります。
中に階段があるだけだから、階段屋さん。この建物だけは、陸側からの入り口しかありません。階段は海の底まで続いているのですから。
とっても長い階段です。ひたすら降りて、教室に着くまでは10分くらい。だけど、みんなこの階段が気に入っています。
階段の、右と左の壁にはガラスの窓がいくつもはまっていて、そこから外が見えるからです。そう、海の中が。
小さな泡をまとって、ゆらゆら揺れる海藻たち。小さな目をぱっちりと開いてこちらを見ているお魚たち。キラキラ、光を浴びた透明な体がランプのようなクラゲたち。
そういった、陸の上には無いきれいなものたちを見ながら、わたし達は階段を降りていきます。


教室は日当たりのよいすてきな場所です。
大きな窓から見えるのはもちろん、海の中。教室の中に注がれるお日様の光は、海の青い色をしているように見えます。
水面が波打つたび、何かを探しているように、右から左へと教室をゆらゆら照らすこの光が、わたしは好きなのです。
国語や算数、理科、社会。机の上に開いた教科書の上を、先生がさし示す黒板の表面を、光はなでるように通り過ぎます。
どの科目も大好きですが、わたしがいちばん得意なのは水棲ほ乳類語、つまりイルカやクジラの言葉です。
彼らの言葉は音楽と似ていて、わたし達は自分の喉から出す音のほかに小さな海笛を使ってお話しをすることができます。
イルカが教室の近くまで泳いできたら、いつでもお話しをしていいことになっています。授業も中断です。
だって、次に話すチャンスがいつめぐってくるか、分かりませんからね。
イルカだけではありません。授業中でもおかまいなしに、窓の外には訪問者がやってきます。
平たい体で水中を飛ぶように泳ぐエイ、銀色の嵐のようなお魚の群れ、そして、海の人も。

海の人、とわたし達はそう呼んでいます。
海の人はわたし達と同じように、頭と腕と胸とお腹と背中がありますが、その下が異なっています。
わたし達にある二本の足の代わりに、うろこで覆われた一本の尾を持っているのです。
むかしの物語にあったような、人魚や水中人という言葉で呼ぶこともありますが、たいていは海の人と呼びます。
わたし達が陸の人で、あの人達が海の人。
そこにあるのは、生きる場所の違いだけなのだとわたし達は教えられています。


そうです、様々なことをここで教わるのです。
ここは、陸での生き方と海での生き方の両方を教わる学校。
13歳になる時、つまりこの学校を卒業する時に、わたし達はどちらの人として生きるのか選ぶことになっています。
いまは二本足で歩いているわたし達ですが、海の人になることもできる、ということです。少し不思議なお話でしょうか。
もともと人間はみな海から生まれた生き物です。そして、その頃の記憶は今も少しだけ、わたし達の細胞の中に残っているのだと言われています。
わたし達が赤ん坊として産まれてくるまでは、母親のお腹の中、その水の中で育てられているのが証拠です。
その記憶を生かして、子どもの間にちゃんと訓練をすれば、わたし達も海の人になれるというわけです。
やはりいちばん大切なのは泳ぎの訓練です。入学した時から毎日続けていれば、卒業する頃には5分や10分ほどもぐっていても平気になります。
もちろん訓練を受けない子もいます。陸の人として生きるともう決めている子たちです。
自分でよく考えた上で、海の人にはならないと決めたのならば、危険もある泳ぎの訓練には参加しなくてよくなるのです。


水が怖いから、サッカーが好きだから、色々な理由があります。
海の生き物となんか仲良くできないから、と言う子もいます。彼らは何をしても笑わないから、つまらないのだそうです。
海の人になりたい理由もさまざまです。
海に住む絶滅危惧種の保護をしたいから。
美しいマーメイド・モデルになりたいから。
ただ海にぷかぷかと浮かんでいるのが自分には合っているのだ、という子も少なくありません。
わたしはまだ、迷っています。
海で生きるというのは、とても魅力的です。
海の中に射す光が好きです。
陸にはない色をした生き物たちが好きです。
それに、イルカ語が得意だから、イルカ旅団の一つに入ってあらゆる海を旅することができるかもしれません。
イルカ旅団はみんなの憧れですから、その一員になった自分を想像するとすてきな気分になります。
だけど、それでも決心はできません。
卒業の日が近づいていると感じるたびに、むくむくと不安な気持ちが膨らみます。


そんな時は、校長先生のところへ行きます。先生はいつでもみんなの話を聞いてくださるのです。
けれど先生に会うのは少し大変です。なにしろ、校長室は学校のいちばん深いところにあるのですから。教室からは30分もかかります。
階段をいちばん下まで降りていくのは、ちょっとドキドキします。
ガラス窓の向こうの海の青色が、太陽から遠くなるのにしたがって、少しずつ暗くなっていくからです。窓の外には変てこな形の深海魚の姿があらわれ始めます。
階段がようやく終わる頃には、窓の外はほとんど真っ暗です。そうして、突き当たりに校長室の扉があります。
扉の前で、自分の海笛にふうっと息を吹き込むのがルールです。そうすれば先生に誰かが来たことが分かるからです。
先生からの返事が聞こえてきたら、入ります。
校長室は、突き当たりが一面とても大きなガラス窓になっています。
地上の夜よりも暗いその向こう側に、先生はいらっしゃいます。
校長先生は、人ではなくクジラなのです。
先生の大きな身体を、外に向いたライトの光線が静かに照らしだしています。

ーーー今日はどうしたんだい。

先生の優しい声が聞こえると、背中を押された気分になります。
わたしは、自分がどうなればいいのかまだ迷っていることをお話ししました。

ーーーそれはとても難しいことだろうね。私は選ぶ立場にあったことがないから、きみの気持ちは分からないけれど。

どことなく肩すかしな感じですが、わたしは先生のそんなところが、なんだか良いと思うのです。
教室のみんなに相談をすると、絶対海の人になるのがいいと決めてかかってくるからです。
学校でわたしがいちばん、水棲ほ乳類語が得意だから。いつも窓の外を見ているから。よく校長先生とお話しをしに行くから。
海の方が好きなんでしょ、と言われてしまうのです。
それはいい気持ちがしないのです、とわたしは先生に向かって呟きます。

ーーー確かにこれまで、よく私のところへ来ていた子どもはほとんど海の人になったからね。でも、だからと言ってきみがどうという話にはならない。

本当にその通りです、とわたしは満足してうなずきました。

ーーー私としては、海の人になるのも悪くないと思うけれどね。きみは人の割にセンスがあるから。けれど、きみには陸で生きたい理由もあるんだね。差し支えなければ、聞いても構わないかい。

わたしはひとつ、息を呑みました。
先生はわたしがそれを聞いてほしくてやって来たことを、どこかで感じたのでしょう。
耳がいい先生にはわたしの呼吸や、瞬きや、鼓動の音が聞こえていて、そこから感じるのかもしれません。

理由はーーーお母さんとお父さん、です。
わたしを陸の上で産んだふたりと、わたしはまだ一緒にいたいと思うのです。
もちろん、海の人と陸の人が浜の家で一緒に住むこともできるのは知っています。
けれど、そうではなく同じでいたいのです。
そういうのは、あまりにも子どもっぽいでしょうか。

わたしはガラスの向こうの先生の姿を、じっと見つめます。
二つの大きな目が、わたしを見つめ返しています。

ーーー親と、かならず一緒にいなければいけない理由はない。彼らは、自分を産んだ個体に過ぎないからね。

わたしにもよく分かっています。
それに、13歳という年齢でも、他のあらゆる生きものと比べたら親離れには遅いくらいです。
クラスの子のほとんどは、そんなことを気にせずに生き方を選んでいるように見えます。
やっぱり、少しおかしいことでしょうか。
わたしは、手の中の海笛をぎゅっと握りしめます。
だけど、先生の言葉には続きがありました。

ーーーけれど、だからこそ、その上できみが彼らと同じ姿で一緒にいたいと思うことは、きっと尊いことだよ。愛の形と言ってもいい。愛することは、きっとすてきなことだね。

はっとして、わたしは先生の方をまじまじと見ました。
その時の先生は、確かにおだやかに笑っているように見えたのです。
先生は、それからゆっくりと身を翻して泳いでいきました。
尻尾の先が見えなくなるまで、わたしは見送りました。
いつか、わたしが言葉を忘れてしまっても、この日先生が笑っていたことは、記憶に残りつづける気がするのです。


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