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あのたび -独立直後の東ティモール-

 インドネシア側クパンのOeboboバスターミナルから10000Rpでソエ(Soe)へ移動。Hotel Andaで一泊12500Rp(≒180円)。安いが水が出ない。インドネシアは熱帯の国だが海に囲まれており水は豊富なイメージだったが、ティモール島は水不足なのか水が出ない宿があり、買う水も多少高い気がした。

 パサール(地元民向け市場)を探すとデカイのがあった。ナシチャンプル2500Rp。石鹸1500Rpで購入。活気があったので夜にもう一度行ったが、19時にはすでに閉まっていた。
「私は日本語が少しできます」というおじいさんがいた。太平洋戦争の頃の影響だろうか。

 夜は少し寒くすぐに寝た。

 8月17日。この日はインドネシアの独立記念日。各地で祭り。ソエからアタンブア(Atambua)へバスで15000Rp。アタンブアから東ティモールへはもうすぐそこだ。東ティモールは、ボクが旅行した2003年のほんの1年前にインドネシアから独立したばかり。それまでは内戦をしていたらしいので治安には不安がある。

 アタンブアの20000Rpのホテルは蚊の襲撃がひどかった。30匹くらい叩いて殺した。イカンバカール(焼き魚)が旨い。7500Rp。翌日チェックアウト時、少女がお釣りを間違えた。インドネシアの札はゼロが多いので仕方がない。実質4000Rpで泊まったことになり申し訳ない。

 アタンブアから北の海近くのモトアイン(Motoain)へ4000Rp。ここが国境だ。インドネシア側はあっさり出国し東ティモール側で30日有効のビザのスタンプを押してもらい25$支払う。付近でオレンジを5個買う。50¢。東ティモールは自国の通貨がなくアメリカドルが使用されていた。

 独立直後のため国境の職員は国連の方たちのように見えた。

 首都ディリへ3$。1~2時間ほどのバンの座席から見る景色は、廃墟という文字がそのままの光景だった。建物は崩れ瓦礫となり道もでこぼこ。山も緑がなくはげている。つい1年前まで隣のインドネシアと戦争をしていたのだ。そりゃそうだろう。インドネシアは独立を阻止するために攻め続け、東ティモールはそれに強弁に抵抗し続けようやく勝ち取った。その直後の国である。まだ国として機能していない。

 崩れた壁にペンキで『NO FATE』と落書きがしてあった。運命なんて無いという意味だろうか。

 バンを降ろされ、さらに中心部へ10¢まで乗せてもらう。首都ディリ唯一の安宿というディリゲストハウスへ向かう。1泊5$。1食1$。ナシイカン大盛りで充分。他に周りに買い物できるような店はなく、食堂もない。ただただ荒廃していて、焼け残った建物がなんとか建っているという雰囲気の町。

 散歩をすると戦車が走っている。国連軍だ。再び戦争が起こらないよう、治安維持のために駐屯しているようだ。

 夜は8時ともなるとほぼ真っ暗。電気がついている建物はわずか。歩き回るのはあぶなそうなのですぐに宿に戻り寝る。こんなところまで来るのはボクだけだろうと思っていたのだがなぜか日本人が2人もいた!

 20年前の当時、どんな国でも行ってやろうという野心にあふれた日本人バックパッカーはホントに多かった。ような気がする

東ティモールルート

(つづく)


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