あのたび -サントスさんの情報ノート-
チェンマイでどうしてもSanookゲストハウスへ行きたかった理由がある。手書きの情報ノートだ。令和の現代ではスマホやネットで良い情報がたくさん見つかる。しかし20年前の2003年時点では、ガイドブックと旅人の噂だけが情報源だった。
この情報ノートのほとんどの記事がサントスさんという謎の旅行者によって書かれており精度が高く役に立つものばかりなのだ。どれだけこのノートが凄かったかというと、今でもそのスクショがネット上に残っているといえば理解してもらえるだろうか。
どうやらその後Sanookゲストハウスは閉館し、しかしあまりにも貴重だと言うので、GREEN HOUSEという宿へノートが移動したらしい。当時のチェンマイを知りたければこれを読めばよい。周辺の街への行き方も相場も詳しく載っている。
暑いチェンマイを歩き回りようやくSanookゲストハウスを見つけ、宿を移った。予想以上の情報量に感謝。旅人間でノートの取り合いだ。そこの情報で美味いめし屋を知り、夜はチェンマイ門付近の屋台で15Bめしと15B肉まん。満足。
情報ノートには今後行くであろう、パイ・メーソート・メーホーソン・スコタイ・カンチャナブリのバス情報やマップまである。必死に書き写した(当時スマホがないのでスクショできない)。チェンマイで有名な象の背中に乗るツアーや、隣の国のラオス情報まである。
ここでベトナムのハノイ以来のネット屋へ行く。当時のアジアでは大きい街にネット屋があり、1時間いくらでPCを使わせてもらえる仕組みだった。回線は遅いし日本語が使用できないことも多々ある。といっても連絡したい人が日本にいるわけでもない。メールで一通、体に気をつけてねという便りがあったくらいだ。たったそれだけでほろりとくる。日本を出てから3ヶ月が経っていた。
他にも貸本屋!というものがあり日本の漫画や文庫を貸してくれる店があるという。読んだことがなかった森鴎外の「雁」を読む。1日で読んで返却した。日本語に飢えていたからかひどくおもしろかった印象がある。
ここチェンマイでは旅慣れた英語堪能な日本人旅行者によく会った。ヒゲの方はラオスのルアンパバーンでも子どもたちと戯れて長期滞在していたし、ここでも19・20歳のタイ人女の子と仲良くなり家まで遊びに行ったという。ボクも海外へ出れば嫌でも英語ができるようになるだろうと思ったが全くそんなことはない。だまされやしないかという心配が先に立ち、なかなか踏み込めない。
とりあえず数字と簡単なあいさつだけはその国の言葉で言えるようにしていたくらいだった。
チェンマイにはKFGというチキン屋があちこちにあった。KFCのパチもんなのだが安くてうまく何回も通ってしまった。これもサントスさんの情報だったと思う。その情報を元に次に向かうのはパイという街だ
(つづく)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?