私立学校の無償化に反対したい

 教育が無償化されること。それは手放しに賞賛されるべきことである。憲法第26条にも、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」とある。私もそう考えてきた。高等学校の再建に携わるまでは。

 私は学校法人の経営の一端を担う中で、「"私立学校"を無償化すべきではない。」と考えるに至った。なぜなら、無償化は私立学校の存立基盤を覆しかねないからである。今回はなぜ私立学校の無償化が、その存立基盤を覆してしまうのか、その論理と構造を明らかにしたい。

 学校法人で勤務していると、年に1回程度、組合から、無償化(あるいは奨学金や助成金の拡充)を求める署名の依頼がまわってくるのではないだろうか。そのとき、署名をするかしないかを決める一つの材料としていただければ、幸いである。

無償化すると進学実績が上がらなくなる?

 私立学校が無償化されるという場合、われわれは、当該学校に在籍する学生・生徒の全員が無償で教育を受けることが出来るという状況を想定するかもしれない。しかし、実際は、「一定の年収以下の家計の学生・生徒」は無償であり、その年収が上がるにつれ、負担が大きくなる場合が一般的である。それは、教育を受けられない者にその機会を担保することが無償化の目的だからであり、何より財源は常に限界があるからである。

 一例として、大阪府下の私立高校の無償化を確認しておこう。本記事執筆時点においては、年収が590万円以下の世帯の授業料は無償、590万円以上800万円未満の世帯は年間20万円負担、800万円から910万円未満の世帯は年間481,200円負担、910万円以上の世帯は全額負担となる(子どもの人数や当該学校の授業料などにより変動する)。

 さて、私は前回『「親ガチャ」と教育』という記事において、「インセンティブ・ディバイド」(≒意欲格差)と呼ばれる問題、教育格差の問題を論じた。詳しくはそちらをお読みいただきたいが、そこで論じた「親の世帯年収と子どもの学力は正の相関を示す」つまり、「親の世帯年収が高ければ高いほど子どもの学力は高く、親の世帯年収が低ければ低いほど、子どもの学力は低い傾向にある」という事実をあらためて確認しておく。

 では、以上で説明した無償化の仕組みと教育格差の問題を掛け合わせたとき、どんな結論が導き出されるだろうか。それは、家計年収が高くそれゆえ、学力の高い学生・生徒は、私立学校に進学した場合、無償化の恩恵に預かることは出来ないが、家計年収が低くそれゆえ、学力の低い学生・生徒は、私立学校に進学した場合、無償化の恩恵に預かることが出来るということである。そして、家計年収が高くそれゆえ、学力の高い学生・生徒は、国公立の学校に進学した方が合理的であるという結論に行き当たる。

 自分が中学校3年生の子どもを持つ親だと想像してみよう。家計年収は共働きで1,200万円、自分たちが裕福だという認識はないが、お金に困っているわけでもない。公立の高校に行かせれば、年間、10万円程度で済むが、私立学校に行かせた場合、無償化の対象外のため年間60万円近くかかる。大学進学のことを考えると出来れば出費は抑えたい。子どもは私立でも公立でも良いと言っている。調べてみたところ、その私立学校に通う生徒の半数以上は無償化の恩恵を受けているようだ。この状況で、あなたなら公立、私立どちらを選ぶだろうか(公立を選ぶ人の方が多いのではないか?)。

 この論理的帰結として、私立学校に進学する学生・生徒は、親の家計年収が低く、それゆえ、学力が低い生徒が多くならざるを得ない。そして、学力が低い学生・生徒は、勉強が苦手であり、その苦手意識ゆえ努力することも得意ではない。それゆえ、まず、学力が高い生徒が入学して来ないために、進学実績を上げることが難しくなり、また、学力の成長度合(入学時の偏差値と卒業時の偏差値の差分)を高めることも同様難しくなる。そして、進学実績が上記理由で上がらないために、さらに高学力の学生・生徒が入学してこないという負のスパイラルに陥る。

 なお、ここで述べていることは、あくまで統計的に見たときの話である。家計年収は決して高くないが学力の高い学生・生徒、家計年収は高いが学力の低い学生・生徒がごまんといることは、もちろん私も理解をしている。しかし、学校経営、学校マーケティング(?)という観点から見たとき、この傾向を無視することは出来ない(無視した学校は、存亡の危機に陥る)。私が言いたいのはそういうことである。

私立学校の自立性の根拠

 私立学校は、教育理念を実現するために、独自の教育活動を展開している。そして、その主な収入源は、学生・生徒あるいはその保護者が支払う授業料であり、それゆえ、彼らが第一のステークホルダーである。

 しかし、無償化された場合、まず起こることは「授業料の国・地方公共団体による上限設定」である。これは「無償化」の必然である。なぜなら、上限設定なしに無償化した場合、私立学校は、授業料を無限大に設定することが、経営体としては最適解となるからだ。奨学金の額に上限を設定すれば良いわけだが、そうすると無償化と名乗ることができなくなり、インパクトが弱く、為政者は喜ばない。そのため、国・地方公共団体は、「無償化の対象校は、授業料の上限を〇〇万円とする」や「無償化の対象校は、無償化対象の生徒の○○円を超える授業料部分は学校が負担しなければならない。」といった条件を付す。

 繰り返しになるが、私立学校は、教育理念を実現するために、独自の教育活動を展開している。そのために必要な経費は、当然、各学校ごとに異なる。しかし、無償化すると、自由に、収入をコントロールすることが出来なくなる。そしてそうなると、限られた収入の範囲内で出来る教育を行うしかなくなってしまう。

 こんなことを言うと、国や地方公共団体の官僚から「対象校から抜ける自由は各学校に担保していますよ」という返答が返ってくるだろう。だが、ほとんどの私立学校が対象校に名を連ねる中、それを蹴って経営を成立させることは果たして可能だろうか。何より憲法第26条がある中で、その選択は道義的に許容されるだろうか。

 また、無償化される以前、保護者は、「〇〇万円の授業料を払う価値がこの私立学校にはあるだろうか」とお財布に問うただろう。しかし、無償化されると、その問いが消え失せてしまう。そうなると、もう学生・生徒それから保護者は教育サービスの「消費者」ですらなくなってしまう。「うちの子に、良い教育を受けさせたい。そのためなら、身銭を切ることも厭わない。」これが、私立学校に子どもを通わせる親の原初的な在り方ではなかったか。その在り方自体を大きく歪めてしまうのが無償化なのである。

大阪府下の私立高等学校の現状

 今回この文章は主に大阪府下の私立高校をイメージしながら書いた。参考までに、大阪府下の私立高校がどうなっているのか、その現状について簡単に確認しておこう(全ての私立高校を網羅的に調べたわけではないためあくまで印象論として受け取っていただきたい)。

 大阪府は、2011年に私立学校の無償化制度を本格スタートさせた。それ以前、多くの私立学校は、少子化の影響で、その生徒数を減らしていた。しかし、無償化の影響で、その生徒数は一時的に回復した。これまで授業料等が原因で公立高校に進学せざるを得なかった生徒が、私立学校に進学出来るようになったからだ。

 しかし、それから数年後には、生徒数は減少に転じる。これは、少子化の影響もあるだろうが、先ほどから述べている通り、無償化の恩恵を受けて入学した生徒の質は、さほど高くなく、家計年収の高い保護者は、そのような生徒が行く私立高校にお金を払ってまで通学させる必要を感じなかったからであろう。

 また、大阪府の公立高校の入試は、高校側が入試問題の難易度を選び、それを開示している。例えば、本校は国語はAランクの問題、数学はBランクの問題というように。そのため、公立高校は、他府県よりも分かりやすく偏差値により序列化されており、自分と同じ学力層の公立高校に入学し大学進学を目指すということが、見えやすく、公立高校の魅力となっている。

結果、一部の超進学校を除き、特に中堅進学校は衰退の道を辿ることとなる。その結果、私立高校は、大別すると次の3通りの生き残り戦略の全てないしそのうちのいくつかを採用するようになった。

  1. 大学の付属校あるいは併設校として理念なき高大接続で生き残る戦略(大学の募集力に依存した生徒募集)

  2. 部活動など学力以外の活動で生き残る戦略

  3. 学力の高くない生徒を入学させ、職業教育の触りを行い、専門学校や大学等との接続を図る戦略(普通科の総合学科化)

 高等学校の目的は、進学実績を上げることだけではない。そのため、私は、これらの戦略を否定するつもりは毛頭ない。特に、中堅の進学校が軒並み入学者を減らす中、これらの戦略を取らざるを得なかったというのが、大阪の私立高校の実情であろう。

ではどうすべきか

 私は私立学校に公金が入ること自体を否定するつもりはないし、それが奨学金というかたちであっても良いと考えている。今回は大阪府という極端な事例を取り上げ、無償化がもたらす負の側面をあげつらったわけだが、必ずしもこのような末路を辿るわけではない。特に、国公立の少ない大学市場で見ると、無償化政策がもたらす影響はもっと限定的であろう。しかし、国・地方公共団体の予算にも限りがある以上、その予算が奨学金にまわるということは、学校に直接入る経常費補助金が減る可能性が高いこともセットで考えるべきだろう。

 私立学校も学校である以上、教育を通じて社会を良くするという役割を果たしており、その意味で公共性を有しており、私立学校の教育事業の受益者は、学生生徒とその保護者だけではなく国民全体だ。だから、税金が奨学金なり、経常費補助金なりで私立学校に投入されることは、合目的的である。

 ただ、私立学校の軸足はまずなりよりも、「私財をはたいてでも、子どもに良い教育を受けさせたいという保護者の思い」に応えることに置くべきではないだろうか。そして、そのためには、過度な税金の投入に対して、私学人は、拒否の姿勢を示すべきではないか。

 「お金が入ってくることを否定するとは、経営者として如何なものか」という声も聞こえてきそうである(今は、一兵卒だが)。ただ、私はこれまで論じてきたことから明らかなように、長期的な観点で事業の継続性を考えたとき、過度な税金の投入に反対した方が合理的であると考えている。だから、私は私立学校の無償化に反対したい。

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