毒親とわたし
よく毒親関連の記事で目にする「親をいまだに許せないので話をしてきます」とか「ずっと我慢していたのでもう洗いざらいぶちまけて、そして謝罪してもらいます」っていう内容。
わたしはね、そんなことはしない方が良いよって意見です。
話をして分かってくれる親御さんなら良いのですが。
いろんな意見があると思いますが。
まず種族が違うから、同じ日本語を話しても全く通じない。
毒親は被害者意識で生きている人が多いので、自分に責任が降りかかると思うと途端に逃げるか、攻撃してくるかどちらか。
毒親に育てられたわたしたちも、同じく被害者意識をもっているから、なんというか、どちらが正しいか、どちらがwinnerかの競り合いにしかならない。
毒親に理解を求めるのではなく、雑な扱いを受けた過去の自分を労い、じゃあどんな風に扱われたかったのか?を深く観る必要がある。
だって1番理解をして欲しいのは、自身の中の本当の自分。
そして被害者意識を手放すしかない。
嫌じゃん、毒親と同じ被害者意識で生きてるなんて。
被害者意識を手放す方法は、「あれ?なんでわたしは毒親と同じような目線で自分のことを見てるのだろう?」と視点をシフトさせることだと思っています。
わたしはバカでブスでデブの豚って思ってるけど、本当かな?それって本当なのかな?おかしいよなって。
コツコツやるんですよね。
すぐに元の、自分イジメする自分に戻っちゃうから、コツコツやるしかないと思います。
いつまでも親を恨んでいるのは、それだけ愛情をもらってこなかったあらわれ。
親が悪いと思いますよ、小さい子供に愛情をあげずに暴力振るったり、心に傷を負わせたり。
中には死んでしまう子供もたくさんいる。
だけどわたしたちは大人になった。
もう毒親から離れて暮らしてもいいし、好きなことをしてもいい。
毒親の思うわたし、というのが仮の姿であった、ということを認識する。
あとね!毒親も虐待されて育ってきたから可哀想なんだ、ってアレね、そんなことも思わなくて良いと思う。
人はいつからでも変われるのに、変わらずに自分をいじめて子供をいじめてきたのは、親自身。
自分は変わらない、と決めている。
変われない、というのは、変わりたいけどどうせ変わらないから諦めてますって表現。同じじゃん?やはり変わらないって決めている。
だから同情する必要もないし、かと言って恨む必要もない。
わたしもまだ被害者意識がブーメランみたいに戻ってくる時がある。
だけど人は変われる。
自分を変えられるのは自分だけ。
邁進しましょう。
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