見出し画像

訪朝記 4(平壌市内観光)

画像1

やってきたのは平壌地下鉄千里馬線の起点である復興駅。地上駅と見紛うような立派な作りである。

画像2

改札口には自動改札機が並ぶ。市民はICカード乗車券で乗ることが可能なようだ。

画像3

我々外国人はそのまま改札を通過して、鬼のように長いエスカレーターを下る。これほど駅が地中深くにあるのは、地下鉄駅が核シェルターを兼ねているからだとされている。一人として歩く者はいないため、体感で3分から5分ほど黙って運ばれる。

画像4

下ったのち、さらに水平方向に移動した先に壮麗な島式ホームが現れた。到着した列車から大量の市民が吐き出されているところ。

画像5

小ぶりな車体が4両連なっている。旧ベルリン地下鉄の中古車両であるというから、車齢60年以上の古豪である。車両に合わせてか、トンネルの断面もまたかなり小さい。

画像6

ホーム手前にあった路線図。2路線が建設され、途中の駅で交差しているさまがわかる。

画像7

画像8

壁面はイラストで彩られている。これを見るだけで、社会主義国である北朝鮮の地下鉄が単なる移動手段ではないことがうかがえるだろう。

画像9

何本か見送ったのち、やってきた列車に乗る。ガラガラであったことから貸し切りか、と思ったが単に始発駅だったかららしく、後々市民も我々の号車に乗ってきた。

画像10

木目調の壁とビニール張りの座席からなる車内は薄暗い。

画像11

妻面には当然のように指導者の肖像画が掲げられている。

画像12

列車は轟音を立てて暗いトンネルを相応の速度で走り出した。かと思えば、さっそく次の駅で降りるようにとの指示がガイドからなされる。

画像13

画像14

次の栄光駅はガイドいわく、花をモチーフとした装飾と平壌の街並みを描いた壁画が特徴とのことである。これだけの駅だからこそ、いったん下車させて写真を撮らせたかったのだろう。

ここでも何本か列車を見送ったのちに列車に乗り込む。体感だが列車は3分おきくらいに運行されているようである。
ここ栄光駅は主要駅であるらしく、さっきとは打って変わって車内は満員となる。市民との間にはほとんど空間がない。乗り込んできた市民の表情をうかがっていたが、ことさらに外国人を好奇の目で見ることも煙たがることもなく、訝しげに一瞥するくらいがせいぜいであった。地下鉄はいわば訪朝客の定番観光地であるから、市民のほうも多少は観光客を見慣れているのかもしれない。

画像15

画像16

画像17

市民が操作するスマートフォンの画面をのぞき見するなどしつつ(ニュースだろうか、ハングルばかりが並んでいた)、凱旋駅に到着したので下車する。ここはリニューアルされて間もないらしく、明らかに他の駅より明るい。おなじみの壁画や像といった装飾に加え、真新しい電光掲示板が設置されているのが目に付く。

画像18

これは他の駅にもあったものだが、労働新聞が掲示されている。瓦版的な使い方がなされているようである。

画像19

画像20

エスカレーターに至るまでの通路には、雑貨店や書店といった商店がしつらえられていた。

画像21

そしてまたエスカレーターを延々と上る。
上りつつ、今までさほど接点のなかった男性ガイドのO氏からの質問攻めに遭う。「この腕時計は日本製か」「日本の製品で一番(国際的に)強いものはなにか」「日本でピース(たばこ)を買うといくらくらいするのか」など、日本に関する質問が大半であった。言葉数が少ないから何を思っての質問なのかは定かでなかったが、少なくともたばこへの興味は本物らしかった。最近では若者の間でたばこが不健康であるという認識が広がりつつあるものの、今でも多くの成人男性はたばこを嗜むとのことであった。見る限り、男性ガイドのY氏やO氏もその例外ではないらしい。外国人からガイドへのお土産は、相手が男性の場合はだばこがいいとは聞いていたが、それも大いにうなずける吸いっぷりであった。

画像22

画像23

駅を出ると目の前に凱旋門があった。昨日やってきた遊園地の近くということになる。
ここからピクニックの会場まで徒歩で移動する。駅まで回送されてきたバスから飲み物や弁当の箱を持ち出す。

画像24

傍らにあった金日成スタジアム。サッカーの代表戦が行われることで有名で、対韓国戦や日本戦が行われたこともあるという。

画像25

小山のようなところにのぼり、適当なところで弁当を広げて昼食とする。巻きずしやパサパサのサンドイッチなどを擁し、なかなかのボリュームである(左隅に写っているのはトランプで遊ぶ市民)

画像26

ところでこの公園、随所で市民がポップな音楽をかけつつ踊りに興じている(秋君撮影)。脇目も振れず踊り続ける熱心さには目を瞠るものがあるが、本当にいつもこんな感じなのかと少し疑問に思えるのもたしかである。
というのも、この写真のほかにチョゴリを着て踊るおばさま方数人がいたのだが、我々が食事を済ませる数十分のあいだ絶えず踊っていたのみならず、その間途切れることなく続けられていた完璧な笑顔に、自分は一抹の疑念を禁じ得なかった。

画像27

画像28

その作為性への疑念は、食後に連れて行かれたこの「伝統的ダンスホール」のような場所で頂点に達した。ひたすら流れ続ける音楽に合わせて踊り続ける市民たちは楽しそうであるが、そこに一切の会話・談笑・戯れは存在しない。笑みを浮かべてひたすら踊るのみである。

画像29

それは秋君(写真)といった観光客が加わったときも崩れることはない。突然やってきた交歓に一切動じることなく、完璧な笑みは死守される。今まで見てきた平壌市民の、不審と無関心からなる我々へのまなざし。それと対照されるこの奇妙なまでの歓待ぶりに生じた猜疑は、北朝鮮という国への猜疑となっていまも自分の心に植え付けられたままである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?