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訪朝記 1(北京から平壌へ)

2019年9月12日、春秋航空便にて新千歳から上海浦東空港へ。上海駅に移動し、夜行列車D706次に乗り明朝北京に到着した。

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出発前日に北京へとやってきたのは、Koryo Toursのオフィスにて催される前日ブリーフィングに出るためである。北京市内にある隠れ家のような事務所へとたどり着くと、中国ではそう見ることのない欧米系の人々が行き交っていた。
ツアー代の支払いを済ませ、GMである英国人・サイモンの話を聴く。内容は事前に送付されたマニュアルの内容の繰り返しであった。多くは「北朝鮮は西洋はおろか、中国とも違った国である」「指導者は絶対的な存在である」といった、日本人であればそれなりに想像できるような内容であったが、地理的に隔絶された西洋人にとっては多少の衝撃を以て迎えられたかもしれない。

翌9月14日、早朝6:45に北京首都空港集合。8:50に出る中国国際航空の便で中国東北地方に位置する瀋陽へと移動する。

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今回のツアーであるが、元々は北京を昼過ぎに出る高麗航空便で平壌へと直行する予定であった。ところが出発の2週間ほど前になって、「当該の便に北朝鮮の政府関係者が搭乗することになったことから、同日20時半発の便に振り替えてほしい」という連絡がKoryo Toursからあった。甘んじて受け入れるほかないわけだが、あろうことか出発1週間前、その振り替えられたフライト自体がキャンセルされたとの知らせが上書きされた。踏んだり蹴ったりであるがKoryo Toursもただでは折れず、結局早朝に北京を出て、瀋陽乗り継ぎで平壌へと向かう迂遠な経路を辿ることになったのである。

瀋陽の空港でKoryo Toursのガイド・マーカスからビザを受け取る。ビザは予めツアー参加者の分をKoryo Toursが一括で取得している。

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北朝鮮のビザと日本国の旅券。禁断の取り合わせかもしれない。

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カウンターで荷物を預けると搭乗券が発券された。北朝鮮のフラッグシップキャリア・高麗航空の便であるが、この券面から察するに地上業務は瀋陽空港に委託しているようである。

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出国審査を終えると、いよいよ高麗航空機との対面である。瀋陽便であるからと期待していたが、機材は北京線同様のTu(ツポレフ)-204であった。高麗航空は昨今まずお目にかかれないような老朽機を運用していることで高名であり、物好きにとってはそれが魅力に他ならないわけであるが、機齢10年ほどのTu-204は新鋭機と呼んで差し支えないだろう。

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紺色のタイトなコスチュームに身を包んだ客室乗務員の一団に続き、我々も客室へ。乗り慣れた旅客機とそう変わらない内装も、腰掛けると西側の機材では味わったことのない柔らかな座り心地に面食らう。

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離陸を前にして早速入国カードと労働新聞とが配られ、水平飛行に移るやいなや飲み物と軽食が提供される。平壌までの飛行時間は正味40分ほどであるため万事が慌ただしい。入国カード一式は計3枚あり、中には携行品に含まれる電子機器(カメラやスマートフォン、Kindleなどの電子書籍端末、MP3プレイヤー等)の台数や書籍の冊数を報告するための用紙もあって煩雑である。おまけにアジア人の我々にはハングル版が渡されてしまい、それが記入を一層煩雑にしたのはいうまでもない。

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快適だがなんとも慌ただしい飛行の後に平壌国際空港(順安空港)着。2015年に新築されただけあって、建物は至ってきれいである。
ここで入国審査を受ける。待機列を見るに、明らかに中国人が多い。西洋人主体のKoryo Tours一行は異彩を放っている。
軍人風情の係員が待つカウンターへと進む。自分の連れは入国カードに記入した住所について確認されたらしく、「Warabi city, Saitama prefecture!」などと唱えていておかしかったが、自分は何を尋ねられることもなく穏便に入国できた。

続いて荷物検査の列へと並ぶ。
我々にとってはここが正念場である。なぜなら過去に北朝鮮に入国した先達の記録を見る限り、この場にてパソコンやスマホといったデバイスはデータまで検査され、不適切な画像などがないかどうか確認されることがあるようだったからである。我々はそれに備え、前日の宿にて北朝鮮に関連する画像を端末から一掃することはもちろん、LINEアプリやメールアプリなど詮索の余地のありそうなアプリもまたアンインストールするなどの措置を講じてきた。果たしてどうなることか。

我々の番になる。やけにフレンドリーな兵士が登場し、携帯電話を出すように英語で指示を出す。封印でもされるのかと思いきや、どうやら「iPhone」や「SONY」といった端末の製造元を控えているだけのことのようで、用済みの端末は我々の手へと戻った。
並行して荷物がX線検査機へと通される。抜けた先の係員からは矢継ぎ早に"Laptop?" "Only one camera?"など携行品についての問いが飛び、言われるままに持っているものを提示する。持っていないものについては"No."と答えればそれ以上追求されることはない。カメラにしてもパソコンにしても、ついぞ中身のデータを見られるなどということはなかった。ただし書籍だけは1冊ずつページをめくっての確認がなされ、"Cartoon?"などと訊かれた。(単なる小説の文庫本だったので、"Novel."と繰り返し答えていたらそれで済んだ)

結局のところ、我々に関しては荷物の中身も端末の中身も改められることなく、晴れてターミナル出口へとたどり着くことができた。拍子抜けも甚だしかったが、行列を成す入国者ひとりひとりの端末の中まで物色するというのは、端から見ても果てしなく難しいことのように思えた。中にはスーツケースを開けられている旅行者もいたことから、X線検査で不審に思った荷物を検査することはしても、それ以上のことはしていないのかもしれない。

ともあれ、無事に入国を完了したツアー一行はここで現地のガイドと対面する。主幹とおぼしきベテランの女性ガイドが1人と、若い男性ガイドが2人。ここに運転手とKoryo Toursのマーカスを加えた5人が、以降の観光に同行するメンバーとなる。旅行者のほうは昨日のブリーフィングで見た顔に加え、北京からの直行便でやって来た者が合流して20人ほどの陣容となった。

促されるままに小綺麗な観光バスに乗せられると、平壌市内までの十数分でガイドから自己紹介、および北朝鮮の気候や歴史、地理的特徴といった基本的な説明が流暢な英語でなされる。バスは「ハイウェイ」と称された広い道路を、突き上げるような揺れに襲われつつ60km/hにも満たないような速度で進行する。

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まもなく風景が都市の様相を帯びてきて、我々の視線は窓の外に釘付けになる。シムシティの中のような画一的で、現実味の希薄な町並み、指導者の威容を誇示する建築物や像の数々が、本物の社会主義国に来たことを我々に自覚させる。

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最初に我々が降ろされたのは、主体思想塔を臨む大同江のほとり。
「写真を撮っていいか」と尋ねた客の1人にガイドが「もちろん」と答えたことから、一同カメラを出して撮影を始める。ガイドの口ぶりからすると、このように観光の予定に入っているような名所はもとより撮っても構わない場所のようである。事実、以降の旅程では撮影禁止の場合のみ事前に伝えられ、それ以外の場所を撮影する限りとがめられることはなかった。

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そしてその背後に位置するのが金日成広場。日本人が何度かは目にさせられているであろう、あの軍事パレードが行われるのがこの場所である。地面には整列の際の目印となる白い斑点が描かれていた。

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金日成広場のほど近くにある外国語書店に寄るとのことで、各自徒歩で向かう。平壌市民に混ざっての移動であり、ガイドがそばを歩いているとしても「こんなに泳がせていいのだろうか」と思ってしまう。

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書店は英語、中国語はもちろんのこと、ドイツ語や日本語に訳された各種書籍をも揃えていた。書籍のほかに新聞やCD・DVD、ピンバッジなども置く。さしあたり外国人向けの、外貨獲得のための先兵のような店なのだろう。
それはそうとして、この店の売り物には値札が付いていない。値段を知るには品物をカウンターに持っていき、「これはRMB(人民元)でいくらか」などと逐一尋ねる必要がある(北朝鮮に来た旅行者は人民元やユーロといった外貨を用いるのが通例であり、現地通貨であるウォンを使うことは基本的に許されていない)。訊いたところでは、文庫本サイズの冊子が1冊500円ほど、フルカラーで大判の写真集のようなものだと1,000円以上といった値付けであった。威勢よく大人買いしたいところであったが、日本人の場合無事に持って帰れるか確証がないため(北朝鮮への経済制裁のため、日本の空港で北朝鮮に行ったことが判明すると税関検査の上、土産物はすべて没収される)、冊子数冊に新聞1部、ピンバッジ1個を購入するにとどまった。

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買い物を終えた一行は三々五々にバスへと戻った。初日の観光の日程はこれにて終了し、この旅行中の宿である羊角島ホテルへと向かう。

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