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性と性(せい と さが)前編

 ときおり思う。各人の性(さが)を、男女という性(せい)によって分別できるのか、と。
 それについて考えるべく、今回は自分の過去に訊いてみることにした。自分の性が形成される過程に、性はどうかかわってきたのか。おそらく長い話になると思うが、これを機に振り返ってみたい。

現存最古級の記憶、幼稚園時代

 両親などの話すところによると、物心ついたときから自分は「乗り物好き」の道を邁進していたようである。たしか3歳のクリスマス、プレゼントにプラレールのセットをもらった朝の記憶を自分は未だに持っている。以来小4の冬に至るまで、自分が誕生日ないしはクリスマスにもらうプレゼントの中身はトミカかプラレールで一貫していた。携帯ゲーム機などには脇目も振らない、それだけ生粋の乗り物好きであったということだ。

 反面、自分の過半を占める「乗り物好き」以外のアイデンティティは、なかなかおもしろい様相を呈していた。ポケモンのアニメは好きだったが、男児を熱くさせる「戦隊もの」にまったく興味を示さず、戦いごっこをやった記憶がない。反面、少なくとも年中のときには女児に混ざってままごと遊びを楽しんでいた(ちなみに役割はパパであった)。砂場遊びが好きでけがをしがちであったが、祖母によく買ってもらったのはセーラームーンの絆創膏であった。
 このあたりからは、男性性にも女性性にも分類されない、未分化なカオスが見てとれる。この背景には、自分に明確な「男らしさ」だとかをあえて植え付けようとしなかった両親の存在があるのかもしれない。共働きであり、典型的な朝日新聞の読者であった両親は、伝統的な役割分担とはだいぶ遠いところにいた。現に小学校期の中頃まで母親は自分に「もし女の子になりたいって言い出しても、驚いたり怒ったりしないからね」といったことを話していた記憶がある。当時から今に至るまでシスジェンダー・ヘテロシェクシュアリティの男性であった自分は全くぴんとこなかったのだが、男性性の押し付けに無縁な家庭環境であったのは確かだろう。

小学校へ ──分化のはじまり──

 そうしたカオスに入りつつある切れ目を、自分は小学校1年生のころに記憶している。
 黒色のランドセルがしっくり来ず、紺色のランドセルを背負って入学した井上少年は冬を迎えていた。手袋が入り用だということで、放課後祖母に連れられて近所のドラッグストアにやって来た少年は迷っていた。売り場には黒と青というからきしぱっとしない色遣いの手袋と、白をベースにカラフルでかわいらしい動物(?)がぽんぽんと縫い付けられている手袋とがあった。
 少年はそのどちらにもぴんときていなかった。
何となく黒っぽいやつのほうが「自らの属性」に近いことは感づいていたが、暗い色遣いにどうもそそられず、むしろかわいらしい手袋の色使いのほうに惹かれるものがあった。
 少年は「こっちもありなんだよなあ」というようなことを言った。これに対し、同行していた祖母は「これだと学校にはしていけないね」と言った。少年は少々面食らったような気分であったが、そういうものなのかと存外に納得し、それでは困るからと黒っぽいほうを買って帰ったのだった。

 この一件は大変象徴的であるため先に取り上げたが、より日々の生活と密接に関係していたのが文房具、特に鉛筆を巡る例であった。
 入学したとき筆箱に入っていたのは、2Bの鉛筆が2本と6Bの鉛筆が2本、それと赤鉛筆が1本。学期が始まってからもその構成は変わらずにいたが、少年はプリセットされていた三菱uniの茶色い軸色に魅力を感じなかったらしく、次第にカラフルなキャラクターの描かれた鉛筆を好みはじめた。当時文房具は近所の小さな文具屋に小銭を持って一人で買いに行っていたのだが、色とりどりの鉛筆を物色し買って帰る行為はそれなりの楽しみであった。早々に顔見知りとなったおばちゃんは、新たな柄の鉛筆(時には消しゴムや鉛筆キャップ)が入荷すると決まって笑顔で自分に教えてくれた。特に朱色一色の、あの無粋な赤鉛筆にもカラフルなものが登場したときなどは、「ついに来たか」と明確に喜んで買って帰った記憶がある。
 しかし僕の使っていた鉛筆は周囲の男児の目には奇異に映ったようで、「なんでそういうの使ってるの?」だとか「おかしい」だとかそんなことを言われた記憶がある。対して僕は「目をつぶって選んだらこれだった」といった理由にもならない弁明をするのみであった。

 これらについて分析ぶった考察を加えると、うかがえる内容は次の2点である。
 第一に、小1の時点で自分には明確なアイデンティティと呼べるものがあり、それは世間が提示する男性性と女性性の間でさまよっていた。どちらも厳密に言えばしっくりこない、がしかし現実にはあらゆる面においていずれかを選択する必要があった。
 第二に、世間的にはまだ男性/女性からはほど遠いように見える小1の段階においても、部分的な男性性からの逸脱を怪訝に思ったり奇異に思ったりするだけの規範を持った児童は少なからずいたという点である。この状況は2番目の例から見て取ることができる。

 以上をまとめると、小学校に入ったのっけの段階から、ジェンダー規範のようなものがじわじわと形成されつつあって、自分はそのいずれかの規範に適合的な振る舞いを求められつつあったということになる。
 ちなみに鉛筆の件がその後どのように推移したかを補足しておくと、小2の段階で(何でかは知らないが)鉛筆はuniに統一するようにとのお触れが出されたことから、自分は否応なく筆箱を小豆色に染め上げることになった。執着するほどのこだわりもなかったことから自分はこのお達しを甘んじて受け入れた記憶がある。だがここで最も注目すべき点はそれから数年後、小学校中学年の自分は鉛筆を巡る件を振り返り、「あのときああいうお触れが出て結果的によかった」と結論づけていた点である。この事実は、小1における自分は「おかしな」状態であり、それがいかなる理由であれ是正されたことは結果的によかったのだと総括していることを意味する。つまりこの時点で、すでにジェンダー規範は自らの内に完成していたのである。

小学校中学年以後 ──怖いもの知らずの鉄道オタク──

 男性性と女性性の間で複雑な形成過程を経てきた自分のアイデンティティであるが、小4以降はまた少し異なった遷移を辿ることになる。

 というのも、ここからの3年間は諸条件が整ったことで、今から振り返っても最大限に自らの個性が発揮された期間であった。詳述は避けるが、小4のときに自分は初めて「鉄道好き」が自らの重要な構成要素であることを自覚し、そのように振る舞い始めた。鉄道マニアという逸脱した存在を白眼視する視線を自覚したのもまたこのときであったが、心強い友人などに恵まれ、当時の自分にはその視線こそが不当なものであるとして跳ね返すだけの勢いがあった。かくして、このように主流派集団からの「逸脱」を受け入れ、かつそれが「自分らしさ」であると開き直った自分にもはや敵はなく、結果として小学校卒業までの3年間は自分のやりたいことができた希有な期間であったと総括できよう。それは「鉄道オタク」という属性を核とした一点突破のようなものであり、男性性とか女性性とかいうことは一旦留保されることになった。

 しかしながら、中学校入学という節目は当然のことながら、自らが置かれる環境に多大な変化を及ぼした。以降については「後編」という形で改めて綴ることにしたい。

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