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村松 将典氏 

「児童福祉のプロが考える遊びについて」

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                                   インタビュー&文:くつべらマン

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子ども達の笑いが溢れる中、ひと際大きな声で笑う大人がいた。世田谷区の公務員として児童館員を長年勤めていらっしゃる村松将典(むらまつ まさのり)さんだ。雨上がりの公園で、子ども達と泥遊びに興じる村松さん。常に等身大で子ども達と遊び、関わる村松さんが考える「遊び」とは?

Q.1)村松さんにとっての「遊び」って何ですか?

A.1)遊びの根本的なところは、「やりたいこと」だと思っています。遊びっぽい形をしていても、当人が「やりたくないこと」は遊びにならない。だから極端に言うと「やりたいから始まることは全部遊び」だと思うんです。

あとは「何かルールが決まっているようでも、それが変わっていったりする」「遊びっぽくなくても、やりたいから始まっている」「上手くいかなくてもいい」ものも遊びの特徴かな。

失敗しても面白いのが遊びで、それに当てはまるものは凄い沢山あると思うんです。コロナで不要不急って言って色んなものがカットされました。遊びも不要不急って思われがちなことから、様々な所で色んな活動ができなくなったんです。

その時に 「何が人生の中で大事かということ」を改めて考えてみると、やっぱり楽しく生きたいじゃないですか。そうなると、旅行や遊びに行くというのが生き甲斐になってくると思うんです。
それは不要不急じゃなくて、本質的なところじゃないかなって。

だから、子どもの遊びも大切にしたいと思って、仕事でも仕事外でも子ども達と本気で遊んでいます。仕事外に公園で遊ぶ時は、大人達に突然ビールを配ったりして。初対面のお父さんにも「ビール飲みますか?」って、明らかに怪しい声掛けするんですけど、それを機にコミュニケーションが始まります。繋がりができるキッカケ作りですね。

配るのはビールじゃなくてもいいんですけど、僕がビール好きなので。子ども達とはドロケイや缶蹴りとか、集団でできる定番の遊びや個人の名のない遊びまで、なんでもします。考えてはいません。

そうやって皆で遊んでいると、初対面の子もそうじゃない子も凄く仲良くなるんです。遊びの良さって、「歳が違っても共通体験をすぐ持てる」ところ。すぐに何かの関係づくりのキッカケになるのが、凄くいいなと思っています。普通だったら 40 歳のおやじと小学生が、「どう仲良くなるか、何を一緒にするか」って、あまり思い浮かばないけど、遊びだったら幅広く関係づくりができるから「遊びは凄いヤツだな!」と思いながら遊んでいます。

遊びを重ねていくと仲が深まって、「こういうこともやりたい」「大人のこういう所が嫌だ」とか、皆が色んなこと言ってくれるようになります。

それをフィードバックすることを繰り返していくと、子どもと大人の輪が小さくなっていき、顔が見えるようになっていくことで「街づくり」にも繋がっていくと思っています。

防犯防災、インクルーシブとか色んなことが言われているけど、 街の見えるところで誰かが遊び出せば、全部解決するような気がします。そのようなことを近所で自分が遊ぶ中で実感しています。それも 「遊びの力」なんじゃないかな。


Q.2)遊びの中で大切にしていることと、特に気をつけていることは何かありますか?

A.2)子ども達の遊びは、歓迎されるものばかりではないです。僕も危なそうだと思った時は「向こうでやったら?」などの交通整理をする時もあります。公園は皆の場所で、共存が絶対条件なので。それでもなるべく 「ダメ」とは言わないようにしています。

大人の声は大きくて強いので、一人の声が子ども達の遊びを奪ってしまうことがあります。考え方は十人十色だけれど、子どもたちの遊びに寛容な大人社会であってほしいなと思っています。

その為にも、例えば子ども達が遊び込めるように「ちょっと守る」「盾になる」みたいなことはしたいなと思っています。子どもが水道で水遊びをする事も良くあるけど、「止めな」と言われる前に僕が笑って、それを言えなくなるっていう「笑い封じ」もします。

大人の判断で止められる前に、そうやって笑ってストップを封じるんです。公園には、使い方で色々と禁止の看板が立っています。「禁止」って言う一人の声からそういう看板ができるけど、「いいよ」って声はあまり発さないから、声の大きいマイナスな方に街づくりが動いていくんじゃないかなとも思うんです。

だから「いいよ」っていう声、そういう発信もしなきゃいけないんじゃないかなと思っています。
街づくりの方(役所とか、管理事務所)に発信していくことも大事だけど、ただ現場で笑っていれば、子ども達はそのまま遊べるってことがあるので、そういうホンワカとした環境作りはしたいなと思っています。

大人と子どもが一緒に遊ぶ時は、子どもがやっていることを大事にしたいから、子ども達が本当に好きなことをできるように、良い距離感でいられるように、大人が主導し過ぎないことにも気を付けています。

あと、凄く仲良くなってくると、輪ができますよね。輪を作ることもしますけど、同時に輪を壊すこともします。

あえてその輪の外にいる子を入れて、一緒に遊ぶことによって、色んな人がその輪の中に入れる。
特に公園は皆が来る場所で、「あの子、あの集団が遊んでいるから入りにくい」ってなるといけない所なので。

初対面の人やお父さんとかにコミュニケーションを取ったり、他の子も一緒に遊べるようにって意識してやっていますね。

初めて来た子にとって、初回の印象って凄く大切だから、その時にどう関わるか。丁寧に関わって距離感を探りながら、相手との関係づくりをします。
少しでも繋がれるように模索しながらアプローチをして、次に繋がるようにしたいんですよね。


Q.3)不特定多数の人が集まると、年齢差や身体的な差などがありますが、大きい子や小さい子が一緒に集まったらどうするんですか?

A.3)皆で一緒に遊んでいますね。
小さい子がいた方が、その集団に入れるという子もいるし、同じ年齢だけの集団よりも遊びが広がることもあります。
それがいい循環になって、皆がそれぞれの得意なことで遊べるんだなって。

もし、それでバランスが悪いなと思っても一回やってみればいいんです。成立はあんまり狙ってないですね。

遊びはやりたいことが前提なので、もちろん、無理に入れない方がいいですけど。全く意図してやってないので、やりたいことをやればいいんです。

語弊があるかもしれないけど、みんな一緒なので。「小さい子が優先」みたいなのは、嫌だなと思っています。

特に兄弟だと、いつも我慢している子もいると思うので、小さい子優先にはしていないですね。
「我慢させる」は遊びの対極になるので、それも意識しています。



Q.4)意見がぶつかってしまった時はどうするんですか?

A.4)子ども同士のケースにはなるべく介入しません。子ども達に、大人に判断を委ねることに慣れて欲しくいので。対等な力関係じゃない時は見守るし、 子どもが大人に怒られている時は、間に立って盾になる時もあります。

子どもとその人のコミュニケーションの中で、怒られて「ごめんなさい」で成立すれば、それはもう間には入らないけど、たまに子どもが理不尽なことを言われて、「全然納得できない!」っていう時もあるので、そういう時は「大人の役目・出番かな」と思っています。最低限ですけど、大人の出番がある時は入ったりします。

自分の中での根拠はあるけど、自分の意見が全部正しいとは思ってないので、押し付けたりはしません。

ただ自分の根拠ある意見、「大事ですよね」という話は、色んな人と共有して、共感してくれる人を増やしたりしています。だいぶ目線が柔かくなったなって今は感じますね。

子どもの権利、子ども基本法などができて「子どもの声を聞く」 ということを国中で言われてるのが、 大切にしている根拠となっています。

でも、まだあまり知らない人も多い。子どもの声を聞くというのは、話を聞いてもらえる経験体験を子どもが積み重ねて、その上で子どもが本音を言えるようにならないと、本当の意味では聞けない。

ただ子どもに「何か聞かせて」と言っても答えられないじゃないですか。意見を言って大丈夫だよって、子ども自身が思わないと、言えないから。
そういうのを遊びの中で繰り返して、フィードバックも繰り返していく。それが子どもの声を聞くっていうことで、全部セットなんですよ。
遊びの中でそういうことを学び体験していくのが、いいなと思ってます。


Q.5)色んな立場の方がいる、他者を理解することについてどう思っていますか?

A.5)僕は元々、障がい者施設で働きたくて。
大学の時に障がいを持った子達と遊ぶサークルに入っていたんですね。重度の障がいを持つ子もいました。
それまで障がいを持った子と、あまり関わったことがなかったんです。

最初は戸惑ったけど、関わり続けると違和感がなくなりました。 「やってあげてる」でもなく、普通に友達です。

それは、自分の中でそういう出会い、キッカケがあったからそうなれた。出会えてなかったらそんな風に思えなかったかもしれないですよね。
まず出会いがなければ他者理解なんて全然できないことだから。

障がいを持った人が街に出ることは増えてきたと思いますけど、もっと当たり前のように近くにいればいいなと思っているんです。

街で色んな人と触れ合えて、意識しなくてもそういう関わりが持てるようになれば良いと考えています。他者理解なんて変に意識しなくても身近にいればできることなので、それが「いろんな街の中で進むといいな」っていう思いでいます。

街の中には色んな人が暮らしているので、そこをまず意識しながら繋げていければ、小さい力でもできることがあるのかなって思っています。その位しか個人ベースではできないのかなって思います。

「子どもの声を聞く」中で、子どもフリマをやりたいっていう子がいるんですけど、調べてみたら色々な届け出が必要なんですよ。

利益が発生しますし、しかも子どもっていうのは結構ハードルが高くて。でも地域のコミュニティの中で実施します。子どもから「やりたい」って言われたことは、出来るだけやるようにしています。

「子どもがやりたい」って言った中で、何か必要以上にハードルがあるんじゃないかって感じた場合は、大人がちょっと働きかけをしてハードルを下げられたらいいなと考えています。

自分がやりたいと思うように、他の人にも「やりたい」があるということに気付いてもらうのが大事だなと。そういう所から他者理解につながるんだろうなと思います。

そういう子ども発信のことで気付かされることも沢山あって、「遊び」「子どもの声」を通して、「その先にある何か」に変わっていくといいなって思っています。

他にも、きっと何か想いはいっぱいあるんですけどね。まだ言語化があんまり(笑)自分の中で整理しないといけないけど、何か色々詰まっているだろうなと思いながら遊んでいます。

そう笑って村松さんは、今日も子ども達と遊びの中に入っていく━━━。


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