見えない精神、心を見えるようにすることが芸術です。
分断の時代だ。
テレビをつければ、アメリカの大統領選が話題になっている。
すでに敗北が確定的と言われるトランプも、自ら敗北を認めることなく、最後の可能性にかけて争う姿勢を見せている。
往生際が悪いな。と、いう見方もできるけど、結果を見れば、投票者のわずか1%前後に近い数字で勝敗が決するのだから、トランプ側の言い分もわからなくはない。
ほんの少しの得票の違いでこれからの世界が自分の価値観と真逆のものになるとしたら、それを素直に認めることは難しいだろう。
スポーツのように、試合が終わったからノーサイド。
敵も味方もなしに仲良くやろうぜ。とは、いかない。
なぜなら、敵と味方どころか、確実に勝者と敗者に分断され、敗者にとっては屈辱的な時間がこれから継続していくのだから。
日本でもつい先日、大阪市の廃止ついての住民投票が行われた。
こちらも見事僅差による否決という決着をつけたが、表面上はどう取り繕うとも、心から納得してる人は少ないだろう。
これは、多数決というシステムの欠陥であり、政治でも、その他でも、よりよいシステムを発案していくことが必須になると思われる。
争いに争いを重ねていくと、最後は大きな二つの戦いになることは、過去の
歴史から学ぶことができる。天下三分の計を考えた孔明は、やはり天才だったんだな。
多数決。と、いう欠陥に加えて、近年は、フェイクニュースの類も厄介な問題だ。
大阪市の都構想問題でも、大統領選でも、様々な情報が流されすぎて、もはやどれが本当の情報かわからない。
「本当」という意味では、どれも本当なのかもしれないが、見る角度によって、その情報の意味は変わるので、その取捨選択に時間がかかる。
時間がかかるから、自分にとって必要な情報だけを集めることに必死になり、反対の立場から見た情報の意味や価値を見いだせない。
結果、ますます分断の時代が深刻化していく。
ここまででどれだけのお客様が離脱したかわからないが、もちろんここからがこのブログの本題だ。
「分断の時代」は、最近コンカフェでも感じるようになった。
すでに現役のご主人様を引退して久しいが、それでもたまにはご帰宅をしている。
忙しい毎日でも、特に誰ともかかわることのない人生に寂しさを感じ、ツイッターだけを眺めて、この子はなんだか面白そうだな。と、感じた女の子に、タイミングが合えば会いに行く。
ところが、そのお目当ての女の子と仲良くなるのに、時間がかかる。
一度会い、二度会い、三度会い。
三顧の礼を尽くしても、フォローはおろか、認知さえされていないことも珍しくない。
彼女たちは、ひたすら自分の界隈を優先し、初見のお客さんが話しかける隙は無い。
もちろん、ただ店を訪れて、遠くから眺めているわけではない。
チェキを撮ったり、乾杯を入れたり、歌リクを入れてもなお、彼女たちの界隈の垣根を超えることはできないのだ。
正直、自分が愛想の良いお客とも思わない。
話しやすいタイプだとも思わない。
だとしても、さすがにここまで「内側」に入るハードルが高いとなると、どうやって「好き」を伝えたらいいのか、最近真剣に考えていた。
これは、私が勝手に考えたことで、別に正解。と、いうわけではないが、最近のキャスト・アイドルさんは、とにかく「敵・味方」の判別が厳しい。
敵・味方という表現は良くないかもしれない。
「客か客以外か」とでも、表現したらいいだろうか?
「お店」という大きな枠があり、大きな枠でお客さんを抱えていた時代から、完全に個人で顧客を抱える時代にシフトチェンジをしている。
自分目当てで会いに来てくれたり、お金を使ってくれることに「安心・信頼」をしていたら、自分の「時間」というリソースを使ってくれるが、まだ「客」か「客以外」かが判別できない状態では、キャストからはアプローチしない。
無課金では最低限のプレイ可能どころか、課金してなお、ハードモードでしかゲームをプレイできないのが、最近の印象だ。
だから、お店を訪れても案内されない。と、いう悲痛な叫びをツイッター上で目にすることになる。
それはそれで風物詩なので、ほほえましいことなのだが。。。
※文句言ってもまたお店に行っちゃうまでがワンセット。
彼女たちが、初見に話しかけない理由は「効率」「合理的」な判断もあると思うが、実はもう一つ理由があると思っている。
それは、
「自分自身に自信がない」
と、いうことと、
「チャレンジをして傷つきたくない」
と、いう感情だ。
これは営業の仕事をしている私だから感じる感覚かもしれないが、「仕事」とはいえ、断られることは些細なことでもとても悲しい。
例えば、ドリンクや歌リクの話をしたのに、注文してくれないのは悲しいし、外でビラ配りをして、受け取ってくれないのですら悲しい。
ビラ配りなんて、10回差し出して1回受け取ってくれればマシなほうなのは、わかってはいる。わかってはいるけど、ビラを差し出すたびに、彼女たちのココロは9回すり減る。
仮にビラを受け取ってもらって、お店に来てくれて、歌リクの注文をしてくれたとしても、それで満足できる「確信」はない。
歌リクを入れても満足してくれなかったら、傷つくし、もしそこで上から目線の変なコメントなんてされたら、たまったもんじゃない。
「歌リク」を受けたくて、人前で「評価」をされることを望んでいたはずなのに、その評価には、「良い」と「悪い」の可能性があるから、100%「良い」と言われる「安心」が無いと動けない。
だから、「私の味方」で間違いない界隈にはまってしまう。
いつでも、何をしても、認めてくれる安心感が無いと動けない。
お客さんも、いつのころからか、そんなキャスト側の心情を察してか、料理でも、接客でも、パフォーマンスでも。ネガティブな評価をすることはほとんどなくなった。
ポジティブな表現でも、うっかり地雷を踏んでしまう可能性もあるので、シンプルに、「すごい」「かわいい」「さいこう」だけが跋扈するコメント欄の出来上がりだ。
「すごすぎて語彙力を失う」というコメントを見かけるが、魂までは、失ってほしくないと思うのは私だけなのだろうか?
ただ、最近は紹介制のお店なんかも見かけるようになり、そもそもこういう風潮になってしまった原因は、むやみやたらに女の子を傷つけてきた、男性側にも問題があるのは間違いないが・・・。
「味方か」「味方以外か」という世界は少々寂しい。
フェイクニュースといえば、コンカフェ業界は、昔からフェイクニュース花盛りの業界だ。
お客さん同士で会話をすれば、
「あの女の子は、実は○○で」
なんて、話題は、すぐに出る。
オタク同士の話であれば、あいつはくだらない妄想をしているな。なんて、思えるが、キャストからそういう話が出ると、事態は急に変わってくる。
たちが悪いのは、そういった話が「本当」であればまだいいのだが、「嘘」を意図的に混ぜている場合や、シンプルに「勘違い」をしているケースまであり、オタクとしてはその真偽を確かめる術がない以上、疑心暗鬼の状態が終わることはない。
当然だが、その真偽について本人に聞いても否定するわけで、最終的には、自分が「誰を」信じるかによって、分断の世界が巻き起こる。
それが嘘であろうと、嘘でなかろうと、その界隈に所属するためには、その世界を信じるしかない。
そういえば、昔はすっかり仲良しのキャストさんやユニットだったのに、いつの間にか、きっぱり別れてしまった話も聞く。
みんな、仲良くは、幻想か。
分断の時代は、これからもますます深まるのだろうか。
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