見出し画像

奥塩原・元湯ゑびすや「梶原の湯」

塩原温泉郷の最奥に位置する元湯にいってきた。めざすは「ゑびすや」の梶原の湯と弘法の湯である。前者は塩原最古の湯、後者は濃い硫黄泉だが間欠泉であるところが面白い。

画像1

元湯温泉は名前の通り、塩原温泉発祥の地だ。平安初期に徳一大師が発見したと伝わる。 江戸初期には「元湯千軒」と言われる賑わいを呈していたそうだ。しかし、1659年(万治2年)の大地震による山津波で当時あった七湯のうち六湯が埋め尽くされた。現在の元湯には三軒の湯宿があるが、いずれも明治以降に漸く復興したという。

[走行データ]
ルート:上三依塩原温泉口駅→元湯(ゑびすや)→塩原畑下バス停
距離 21.3km
最大標高差 299m
平均斜度 全体:-0.5% 上り:6.3% 下り:5%
獲得標高 上り:451m 下り:556m

雪道を滑らないようにゆるゆる進む。雪道ライドではタイヤとともにブレーキがとても重要。新しいのにしてあるので安心だ。

画像2

それにしても通っている車は4WDばかりだ。一輪駆動はなかなか大変だ。

画像3

着いた!

画像4

こちらが塩原最古の「梶原の湯」。濃い炭酸泉のぬる湯だ。塩原で毎年9月に行われる「古式湯祭り」の際には、御神湯として塩原の各温泉に分湯される由緒正しいお湯である。「うちの湯は他と比べて濃いとよくいわれる」と女将さん。

画像6

こちらは硫黄泉の弘法の湯。5、6分置きに湯が噴き出す間欠泉だ。かなり熱めの湯で刺激があってピリピリする感じ。ものすごい厚さの析出物。この湯は効きそうだ。

画像5

元湯温泉は名前の通り塩原温泉発祥の地だ。平安初期に徳一大師が、この地を発見したことに始まる。その後、江戸初期には「元湯千軒」と言われる賑わいを呈していたそうだ。しかし、1659年(万治2年)の大地震による山津波で当時あった七湯のうち六湯が埋め尽くされ、多くの旅館は別の地に移転したといわれる。現在の元湯には三軒の湯宿があるが、いずれも明治以降に漸く復興したという。今日訪れたのは「ゑびすや」、江戸時代の大地震で難を逃れた唯一の湯である。名湯の誉れ高い梶原の湯と弘法の湯に入った。梶原の湯は、1186年(文治2年)梶原景時とその子影季が平家に与した那須与一の兄等を討とうとして傷を負い、治療の為入浴したと伝わる。