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人類満開計画

 あなたが悲しいとわたしも悲しい、それってつまり欺瞞ですよね、でもこの場合は自覚の有無が重要で、自覚があるのならあなたはその発言をどうしても胸の内に留めておけなかったことを悔やむべきなんじゃないかと思うし、無自覚だったのならそれは、純粋さとか無邪気さでバッタの脚をもぎ取ったあの日のあなた、という形のひとつの呪いなんですよと思う。あなた、が居て、わたし、が居ると、与える、貰う、貸す、借りる、返す、奪う、奪われる、みたいなことばかり選択肢にのぼってきて、それはまるで日用品を買い足しに外へ出る日曜の午後みたいで、暗くて退屈で億劫だ。あなたの全てを可愛がって、抱きしめて、理解しようと考えることとか、どうにもしようがないくらいどうにかしてしまいたい、というのは確かにひとつの愛かもしれないけれど、愛するという行為はそういうんじゃ駄目なんだよ、と言われて、そう言われればまあ、それは理性的で的を射ていて反論のしようがない完璧な理論に聞こえてくるけれど、そんなでっかい声で、でっかいこと言われたらさ、馬鹿でっかい声で馬鹿でっかいこと言い返したくなっちゃうからやめてよね、ほんと。大体愛なんてことごとくなんらかの間違いなのだから、むしろ間違いじゃなきゃ愛じゃない。正しさも間違いもあるとは思うからあえて言うけど正しい愛なんて嘘だ!って格好つけて歩くんだよ、ティーンエイジャーなんだから。あなたが悲しいとわたしも悲しい、そんな優しさやら純粋さやらが欺瞞でもいいよ、言えないなって迷うことさえも愛なんじゃないかと勘違いできるし、でも違うんだ、いやでも間違いや傷にまみれてもう形も分からなくなってしまったようなこんな言葉未満の何かがもしかすると愛かもしれない......でも敢えてそれが愛と言いきれてしまうようなものが愛ではないよな、なんて何度も何度も。何度も、無限に繰り返される否定の中で愛というたった一文字が宇宙誕生的に爆裂して、折り合いつかない間違いと正しさの狭間でねじ曲がったり溢れたりして、いつか"愛"はどこかにズバッと生まれるだろうか。うぉーうぉーうぉうぉーあいに、きみに、うぉーあいに、うぉーあいに、うぉーあいに、あなたに。言葉を尽くしていいのだろうか、このような態度が仕草がやり口が許されるのだろうか、きっとこれは間違いだぞ、やめろ、やめろ、やめておけ、という気持ちに裏腹だ。大股で一歩踏み出した。どピンク色の感情。

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