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7/30 ここ数日の総括 - 免許合宿編完結

免許合宿中進行し続けた湿疹とかの影響で体調が悪く、まったく書けていなかったが調子がすこし上向いてきたので書けた。
湿疹は本当に最悪で、多動との相性が良すぎるのも最悪だと思う。考え事をしているときの多動でする行為が「掻く」に置き換えられてしまい、それが症状を悪化させたという感覚がある。かゆい場所を掻くより報酬系神経回路にキくのは、きっと違法薬物くらいだろう。湿疹を一心不乱に搔きむしるとき、明らかに報酬系がおかしくなっていることを感じた。ADHD患者はただでさえドーパミンが足りず、報酬系がバグっているのに……。

7/8 安倍晋三元首相が暗殺された日

少し早めの昼食を食べていたときだった。食堂に設置されたテレビからにわかにニュース速報の音が鳴り、合宿所に常駐している職員がその速報を確認しに来た。私は速報の音を聞いても顔をあげなかったが、職員の動揺した様子を感じて顔をあげた。速報の文章はあいまいで、何が起きたのかすぐには理解できなかったが、何かが起きたことは理解できた。

私は自分の部屋に戻って、備え付けのテレビをつけた。断片的な「速報」と、現場の起きたことを女子高生にインタビューした映像が繰り返し流れた。何が起きたかを語ることには責任が伴う。それをこういう形で回避するのは、賢いとしても倫理的ではないと思った。

見ているうちに安倍はドクターヘリに乗せられて大きな病院へ運ばれたが、心停止の速報との時間差から彼の死が近づいていることは明白だった。私は数日前に救急の講習で示された救命曲線のグラフを思い出した。

私はこの前日に参議院選挙の投票を済ませていたが、この事件は選挙結果を大きく左右するだろうと思った。本来は左右されるべきでないと思うが、人間はそういうふうにはできていない。

7/9 犬の夢を見た(ペットロスについての文章です)

夢の最初の印象は、おもちゃのような小さくて愛らしい犬だった。現実には飼ったこともない、ミニプードルのような雰囲気の犬。だが私はその犬をみて、彼を飼う前に飼っていた2年前に死んだ犬のことを思い出し、夢の中で悲しんだ。すると目の前にふわふわとした毛並みの、美しい犬が現れた。ミスドのフレンチクルーラーみたいな、くるりと丸まった柔らかくて可愛いしっぽ。そこで目が覚めた。自分がまだペットロス的な悲しみを抱えていたことが意外だった。

この日は午後から高速教習の日だった。見慣れた道を通り、高速に入った。最初はもう一人の教習生の運転で高速を走り、パーキングエリアで休憩をとった。その先で高速を降りて折り返して、私に運転を代わってまた高速を走った。初めての高速は、風が強くすこし恐怖感があったが、楽しかった。
あと、単純に合宿中は出かけるとしても徒歩圏内にしか行けなかったので、かなり開放感があった。もう卒業できそうだという実感が強まった。

7/10 『闇の左手』読み終わった

最後の日の教習内容は、次の日の卒業検定で走るコースを確認する教習だった。教官も完全にリラックスして雑談モードになっていたので、もう特に教えることないんだなと思った。

食堂の昼食は比較的クオリティの高めの天丼で少し驚いた。というかキスの天ぷらが乗っていたのに驚いた。これまでの食事のなかで一番おいしかったかもしれない。

この日の夜に、ル=グウィン『闇の左手』を読み終わった。合宿中にこの本だけは読み終えるつもりで持ってきた本だった。この小説が書かれたのは約60年前だが、現代においても支配的な男性的社会秩序が個人に及ぼす影響に対するル=グウィンの洞察は少しも古びていない。「有害な男らしさ」という言葉でなされるような表面的な分析より、「シフグレソル」の概念のほうがはるかに問題の正鵠を射ている。

『闇の左手』の舞台である、惑星「冬」でもっとも重視される概念「シフグレソル(Shifgrethor)」の本質は、私の理解では、「無謬であること」だ。忠告がシフグレソルを傷つけるものであるのは、考えが間違っていると指摘することに他ならないからだ。作中世界の高貴な人々があいまいで意図の読めない発言をするのは、誤りを指摘されないように、かつ誤りがあった場合にも相手がシフグレソルを傷つける恐れを感じることなくゆるやかに方向修正させていくことができるようにそうするのだ。

想像してみてほしい。「あなたの数量さえ増やせばいいという考えは間違っています」と指摘することと、「あなたの理念を、私の理解に基づいて積極的に推進していくと、ある究極的な状況においては数量の代わりに品質を上げるということも必要となるように思われますが、私の考えは間違っているでしょうか?」と提案することの差を。
ここではシフグレソルはメンツと言い換えてしまっても問題ないだろう。そしてそれはつねに本質の周縁をぐるぐると回るような、迂遠で手続き的なやり方で守られる。後者のやり方で、例えば「理念」がなんであるかとか、「究極的状況」とはどんなときなのかとか、そういうことについて説明してしまった場合、また別のシフグレソルにとって危険が現れることになり、それは好ましくないのである。

ル=グウィンは、このシフグレソルという制度が社会の安定と停滞を生んでいると作品世界を規定した。変化はそれによってシフグレソルが守られるときのみ起こる。主人公であるゲンリー・アイは、はるか祖先で枝別れした異質な人類が築いた人類共同体の代表使節として惑星「冬」を訪れる。彼がもたらす予測不能な変化は、「冬」の支配者たちのシフグレソルを危険に晒すだろう。

だが、そうした社会的前提抜きの、完全なる個と個としての対話が成立しさえすれば(これは「シフグレソルを解く」と表現されていた)、そうした迂遠さを排除して、直截に真実や本心を語ることができる。シフグレソルを守ることを日常心がけている惑星「冬」の人々にとって、それは恐ろしいことだ。だが同時に、読者である我々は、膝を突き合わせて話すその甘美な瞬間を知っているし、絶えずメンツバトルに巻き込まれる空虚感も、そしてその孤独も知っている。

この小説は現在「フェミニストSF」と呼ばれている。その理由について少し書く必要があるだろう。
惑星「冬」の住民は、「ケメル」と呼ばれる性的活動期のみ相手に応じて男女に分化し、活動期の終わりに再び非性的(男性的に描写されるが、性的に不活性である)な状態に戻る。「ケメル」の期間には抗しがたいほどの強い性衝動にとりつかれるため、「ケメル・ハウス」という、ケメルに入ったもの同士がその期間をやり過ごすための施設が存在することも描写されている。えっちだ...…。
そんな(地球人からすれば)奇妙な生態を持つ人々の国、カルハイド王国で宰相を務めていたエストラーベンとゲンリーの関係が変化していく様子が、この物語のクライマックスを構成している。
遠い惑星から使節として「冬」に送り込まれ、まったく違う生活様式と性を持つ人々の中で彼らを変えようと尽力したが、すべてはむなしく徒労と帰したゲンリー。ゲンリーの到来を好機と捉え、人並みならぬ理智を武器に「冬」の人々に文化的・技術的飛躍をもたらそうとしたが誰にも理解されることのなかったエストラーベン。二人の孤独は、過酷な雪山でわずかな温もりを分かち合うことを通して融けあっていく……。
この段階における二人の関係性は同性愛的でもあり、異性愛的でもある。これを正しく名指す言葉はおそらく「クィア的」だろう。

作者であるル=グウィンが女性であるという点を鑑みれば、女性の視点から書かれた、ジェンダーに関する問題が扱われたものであることには違いないので、「フェミニスト文学」と呼称される必要条件はとうぜん満たしている。
だが、この小説に女性は一人も登場しない。視点も大半のパートでエストラーベンかゲンリーに置かれているし、ゲンリーは男性である。女性的な「冬」の住民も登場するが、その「女性的だ」というゲンリーの感想は、現実の彼らの性のあり方によってただちに攪乱される。「冬」の住民たちは、ケメルの時期に性決定の方向づけに影響を及ぼすホルモンを人為的に摂取することで、任意の性に変化することができるため、彼らにとって性別というのはその程度のものでしかないのだ。つまり、非常に女性的に見えても伴侶を何度も孕ませていたりするし、男性的イメージとともに描写される国王が伴侶に孕まされることだって起きるのだ。私はそのジェンダーとセックスの攪乱こそがよりこの小説の主題に近いと思う。この意味でも、この小説は正しくクィア的な小説だ。

確かにジェンダーの問題はフェミニズムの領域から出来したものだ。ジェンダー論すなわちフェミニズムである期間は相当程度長く、よってこの小説も、ジェンダーの問題を扱っているからフェミニズム文学と言われる。
だが、私にはそのラベリングはもはや浅薄ではないかと思われる。私は「フェミニズム文学」というラベリング自体が、男性中心的だった文壇においてこうした問題を取り扱う作品が市民権を得ていくための階梯の一段目に過ぎないものだと感じるからだ。

ジェンダーやセクシュアリティがなんであるかという問題は女性にとってだけ問題になるわけではない(=もはや狭義の「フェミニズム」的問題ではない)。社会全体にとっての問題であることをよりはっきりと主張すべきだ。そういうわけで、「フェミニズム小説」という評は、『闇の左手』に内在する社会と人間に対する洞察の射程が広いということを一面的にとらえているに過ぎない。私はこの小説を「クィアSF」と呼び、近似する主題を持つ小説群をその周縁系に位置付けることを提案したい。

7/11 卒業検定受かりました

卒業検定の日。正直緊張していたと思う。朝8時集合というのだけでも緊張するのに、落ちたらもう一泊が確定するのでもう最悪の精神状態だった気がする。試験を同時に受けるのは、私と同日に入所した女性2人と、マニュアルコースで、私の2日前に入所して何度か話すうちに仲良くなった18歳の男子の3人だった。全員顔見知りではあったので、そういう意味では安心感はあった。

コースが正直あんまり頭に入っていなかったのと、緊張でアクセルを踏み込めず速度が出せなかったのを注意されたこと以外は割とうまくやれたと、今振り返ると思えるが、試験直後は「絶対落ちた」と思っていた。自分は基本自信家だと思うのだが、こういう時にネガティブになる傾向がある(というか、もう落ちていたことにしてダメージコントロールをしようとする)。受かって良かったです。

同日入所の女性2人はいとこ同士で、一方とは何回か話す機会があったのだが、もう片方とはそれまであまり話していなかったのだが、同時に受かったのもあり最後に少し打ち解けられてよかった(連絡先などは聞いていないので、それきりだが)。実際2週間の免許合宿がこれで終わりだと確定した瞬間の開放感はかなり良かった。同じく合格した18歳男子にハシャいで「いま時速80kmぐらい出てるわ」とか言うくらいには浮かれていた。

そして諸々の手続きをし、昼食のカレーライスを食べ、荷物をまとめた。Amazonでポットを買っていたので、その段ボールに入りきらない荷物を詰めて自宅へ発送した。宿舎に着払いの伝票があって、集荷依頼までやってくれたのでとても助かった。それでも荷物はアホみたいに多く、こんなに荷物を持ってきたやつはアホじゃないかと思った。

なんとか持ち切れるように詰め込んだり捨てたりして、駅まで送ってくれる送迎バスに乗った。最初はバスに2人乗っていたのだが、途中で1人降りて、運転手の女性と私だけになった。なんとなく話がはずんで、仕事の話だとか、出身の話だとか、いろいろ話した。年齢の話になって、お互い28歳だということが分かってかなり盛り上がった。私は話が通じるとわかるとすぐ好きになってしまう癖があるので、もうこの時点でかなり好きだったのだが、荷物が多いのを心配して手伝おうと運転席から降りてきてくれた姿を見て超かわいいじゃん(好き)となってしまった。だがバカなので名前すら聞かずに帰った。

この日は信じられないほど暑く、立っているだけで汗が噴き出すような気温のなか最寄り駅から荷物を抱えて自宅まで歩いた。久しぶりの自宅に不思議な感覚を覚えたが、さっさとシャワーを浴びてアイスを食べて横になったらすぐに意識が消えた。

7/12 本免筆記試験受かりました

母に送ってもらって、鴻巣の免許センターへ行って本免の筆記試験を受けた。かなり人がいてびっくりした。全埼玉県民がここに免許を取りにくるのだから当然ではある。外国語をしゃべっている人が比較的たくさんいて、書類を書いているふりをしながら耳をそばだてて、知らない言語を何語かなと類推してみるのは楽しかった。

試験室に入ると退室不可能・飲食禁止ということになっていて、早めに入室すると1時間以上そのまま水も飲めずに待たされたのにはびっくりした。せめて何時に試験開始予定なのかは入室前の段階でわかるように書いておいてほしかった。

試験が終わると卒業検定のときのように、「落ちた」と思っていた。今回は試験前に落ちるぞとかなり脅されていたので、落ちて当たり前かなとも思っていたのも一因だが、実際大して勉強していなかったので、自信もなかった。たぶんただ運が良かったんだと思う。

電光掲示板の表示で合格が分かってから、ほっとした気持ちで免許センター内の食堂の醤油ラーメンを食った。煮干しが利いていてとても美味く、思い出の中で永遠に美化され続ける味となるだろうと思った。合宿飯が化学調味料の味すぎて、完全に飽きていた。

↑ここに貼るためにツイートしただけで食ったのはこの日。

長い長い手続きが終わり、免許証を獲得した私は暇だったのと携帯の電池がなくなっていたので、免許センターの横にある献血センターへ行った。湿疹のせいで献血はできなかった。そんなことをやっているうちに母が迎えにきてくれて、団子を買って帰った。

この日母から聞いた話が印象的だったのでメモしておく。母は児童養護施設で働いているのだが、ある日の早朝のニュースで、施設に入所している子の保護者の名前が流れたという。午前5時に偶然そのニュースを見た職員は、当日の朝に出勤する職員や当直の職員に迅速に連絡を行い、そのニュースが子どもたちの目に触れることを防いだ。だが、その行動を起こした職員は会議で批判されました。なぜでしょう? という話。

7/13,14 アホ寝

前日・前々日と早起きだったせいでひたすら爆眠したようである。記憶なし。14日も合宿期間に培った睡眠負債を返しているのだと言い訳しつつめちゃくちゃ寝ている。なぜなら湿疹がかゆく、眠りが浅いからです。

7/15 カルトについて調べたりしていた

元カルト信者だけど質問ある? | Tech Support | WIRED.jp - YouTube

15日にはこの動画を見たようだ。この動画に出てくるカルト教団について一通りWikipediaを読んで満足した。私は儀式にセックスを取り入れているカルト教団が(ただ性的に)好きだ。むかしの密教にはエロいやつがあり、それを知ったときはかなり興奮したのを覚えている。クンダリニーとかね。カルトに耐性のない人はカルトについて調べることも危険とはよく言われるが、本当にそうだと思う。耐性のある人間は、そんなことを言われる前に勝手に調べて勝手にサバイブしていると思うので。

この日はストレンジャー・シングスのシーズン4後半も観た。面白かったです。まだ見てない人もいると思うので詳細な感想は避ける。

あと、2時間くらいゲームをしたら頭痛くなって結構ウケた。

7/16 すげえ久しぶりの料理

それ以外の記憶なし。YouTubeでレシピみてその通りに作ったらかなりシャバかったけどうまかったです。合宿中は料理とかも出来なかったので久しぶりで楽しかった。

7/17 輪読座 ゴーゴリ「外套」

この回は個人的に反省が多い。自分の言葉を自分で持て余しているような感覚というか、コントロールできていないという感覚が話していて強かった。合宿期間以降の文学に対する知的コミットメントという意味では、『闇の左手』を読むのと前回の総括を書く以外のことをしていなかったので、シンプルにブランクかなと思う。

会では、私はアカーキーの「外套」は、アカーキーにヘーゲルの「対他」的自己認識を発生させる装置であると話した(話したかった)。そして、その認識こそが、つまり他者が自分を絶え間なく評価しているのだということに対する気づきこそが、少しの不満もなく生きていたはずのアカーキーの即自的生をひどく歪めてしまったのだ。

アカーキーのあまりにもナイーブな生のあり方を手放しで肯定することはできないが、「外套」に登場する人々の、周囲の人間を絶え間なく評価し、評価されながら生きる空虚な生もまたある意味で悲惨なものだという風にゴーゴリは示しているように思う。

アカーキー・アカーキエヴィッチという名前は、ナボコフ『ロリータ』の主人公ハンバート・ハンバートの名前に影響を与えているだろうし、ナボコフも機会があればこの会で読みたい。

ニコライ・ゴーゴリ 平井肇訳 外套 (aozora.gr.jp)

7/18 車に興味が出てきた

免許を取ってからこっち、かつては永遠に自分と関係のないもの(関係がない方が良いもの)だと思っていた車を運転することが許される身分となったわけであり、そうなるとがぜん車に興味がわいてきて、いろいろ見たり調べたりすることを始めた。

Netflixでこの番組をめちゃめちゃ見た。面白かった。
カー・マスターズ ~スクラップがお宝に変わるまで~ - Netflix

YouTubeでエンジンの仕組みを解説してくれる動画とかも併せて観るようになった。特にこのチャンネルの動画が分かりやすくて良かった。
めかの:【メカのロマンを探究する会】 - YouTube

よく考えたら、私は車やエンジンの仕組みについてぼんやりとしか知らなかった。こんなものが当たり前のように動いて日常生活を支えているという事実に衝撃を受けるくらい、知らなかった。さすがに丁寧な説明を受ければ理解できるが、一方で、やはり科学技術でさえ理解できない人にとってはある魔術にすぎないということがよくわかる。

7/19,20 記憶なし

たぶんやるべきことに押し流されながら上掲の動画とかを見ていた。それ以上の記憶がない。

このツイートの「良いニュース」がなんだったかさえ思い出せない。

7/21 ツナサンドを作った

7/22, 23 記憶なし

手抜きとかじゃなくてマジで記憶がない
メモを書け

7/24 まめやさんでモカを買った

母とひさしぶりにまめやに行って、モカ シダモ g2という豆を買った。

5月にコーヒーを自分で淹れ始めてから毎朝起きたらまずコーヒーを淹れるという感じで生活していたため、順調にコーヒーが生活の一部になっていた。カフェインは依存性がある。未来に違法になることはほぼあり得ないと思うが、価格が信じられないくらい上がったりすることはあると思う。100g800円くらいで素晴らしく美味しいコーヒーが飲めるうちにいっぱい飲もう。

以降2カ月くらい消失(ちまちまとメモはあるが時間が開きすぎてしまったので、現在(10/2)に追いつくために消失とする

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