僕の初恋NFT事件
白亜紀が夜明けを迎えた頃、この地球上に初めて花が咲いた。
それは植物が陸上に進出してから実に3億年近い歳月を要した後だった。
そのできごとに比べれば、僕の初恋までの道のりなんて微々たるもんだ。
例えば人が花に惹かれるように、
人はまた初恋の思い出に惹かれる。
そう、僕には忘れられない初恋の思い出がある。
なにぶん、いま僕は緊急事態真っ只中のため、恋バナをしてる場合ではないので細かくは割愛するけど、
それこそその初恋は、その後の僕の人生を陰に陽に支えてくれてさえいた。
たとえこの社会がどんなに多様化していこうが、初恋とは、ずっと初恋のままだと思って疑わなかった。
──でもどうやら違うみたいだった。
ある日、突然にして、夜明けが僕を迎えに来た。
つまりそれくらい目の覚める出来事が起こった。
なんと、インターネットのマーケットプレイスに僕の初恋がNFTとして売りに出ていたのだ。
あろうことかオークション形式で、すごい値段に吊り上がってしまっている。
自分の初恋を二度見したのなんて初めてだ。
しかも“情熱価格‼︎”なんだそうだ。勝手するなよ。
画面上で淡い恋が滲んでいる。
頭が混乱するよりも早く、取り扱い業者に連絡しなくてはだ。
もしも、誰かが僕の初恋を落札してしまったらとんでもないことになってしまうし、少なくとも僕はとんでもなく困る。
業者のホームページに移行。
恋愛とファイナンスを合わせた造語のLoveFiの文字がデカデカとある。GameFiみたいなものだろうか。
社長っぽい人の似顔絵のところに吹き出しで『恋愛ってマイニングやん』とある。ちがうやろ。
スクロールしていくと、経営理念がタラタラとある。
『お客様の初恋売買のお悩みに応えて、お客様を豊かにするという基本観のもと、お客様ひとりひとりに寄り添い、最も信頼できるパートナーを目指して、初恋業務に取り組んでまいります。
さらにグループ内に蓄積された専門性を融合することで付加価値の向上を図り……』と続くので、すっ飛ばす。急いでいる。
連絡先を見つけてすぐにTELする。ここのオペレーターは特殊で、AIチャットbot1級を取得した人間が対応してくれるんだそうだ。そんな資格があるのは知らなかったけど、おそらくはAIチャットbotと同等な対応のできる人間ということなんだろう。
コール音のあとに、
“ただ今、電話はそんなに混み合ってません”という無駄なアナウンスがしばらく続いた後、ようやくつながった。
「大変お待たせ致しました。ご用件をお伺いいたします」という、僕と同世代くらいの男性のオペレーターさんの声だ。
僕「あー、あのですね、僕のですね、初恋が、そちらの取引システムで売りに出ているのを至急停止してもらいたいのですが」
オ「あー、はい、えーと、その前にですね、お客様、今のご発言を全部逆さまから言ってもらっていいですか、ご本人確認のために」
僕「え?もう言えませんよ。そんな確認方法あります?せめて音声とかで確認してくださいよ」
オ「あ、はい、いただきました。はい、確認できました。今のツッコミの速度と精度からご本人と確認できましたんでご安心ください。あと、あの失礼ですがお客様はサトシ・ナカモトじゃないですよね。だとすると初恋の値段爆上がりなので」
僕「違いますよ、サトシでもナカモトでもないです」
── 本人確認できてないやん。
僕「あれ?1級ですよね?」
オ「1級ですけども」
僕「……早くお願いします」
向こう側でカチカチとキーボード音のあと、
オ「お客様、今、登録時の状況を確認しましたところ、特に異常な点は見当たらないので、恐縮ではございますが、お取り消しできかねます」
僕「えーっそんなー」
オ「規約でそうなっておりますので」
僕「天地神明に誓って初恋を出品してません」
悪いことした人が会見で言うやつをパクってしまった。悪くないのに。
自分の頭の中で神聖不可侵だったあの初恋を売りに出すわけなかろうぞ。分かれや。
オ「んー、もしかして、お客様、今までに初恋のお話を誰かになさったことはありますでしょうか?」
僕「そりゃあ、恋バナくらいしますから、ありますよ」
オ「あちゃー、いやいやいやいや、よくあるんですよ。NFTトラブルで第三者が勝手に他人のコンテンツを自分のものとしてMINTしてしまうというのが。誰に話したか思い出せますか?」
僕「いろいろ話してるし、昔の話だから思い出せませんよそんなのー。なんとかしてくださいよー」
オ「そうしましたら残る方策といたしましては、お客様ご自身で落札していただくという……」
僕「勘弁してくださいよ」
リアタイで値段を確認する。地球を何回も初恋破産させてしまうくらいの額になっている。
オペレーターさんは「初恋が一点ものだからこそ価値がこれだけ付くのです」とかのたまっている。
こんなのは近視眼的な技術による恋愛の征服に他ならないっすよ。ちきしょー。
でも、窮すれば通ずじゃないけど、僕は少ない知識の中から、今コレな情報を思い出した。
たしかNFTというやつは、たとえ購入したとしても法的には所有できないはずだ!
僕「ひとついいですか、そもそもNFTを保有している状態というのは、NFTを移動するための秘密鍵を持っているに過ぎなくて、初恋そのものは所有できないはずでは?」
オ「ああ、民法が無体物の所有権を認めないってやつですよねー」
なんかちょっとなめた態度になったのなんなん?1級かよ。
僕「ええ、そうです。それです。だからこの場合、僕の初恋そのものは助かるのでは?」
オ「まことに残念ながらお客様、ついこの前、法改正したんですよ。政治家の皆さんが初恋をお金にしたくなったみたいで」
僕「えーっ、まじかー」
オ「結局、政治家なんて恋より金なんでしょうねー。初恋なんてものは“記憶にございません”てな具合に」
なんかちょっと笑ってるし、それにもうちょい言い方あるだろ。
なんかすごくイライラしてきてしまって僕はついに定番なあれを言ってしまった。
「あの、ちょっと話にならないんで、もっと上の人と変わってもらっていいですか?」
オ「お言葉ではございますが、Web3時代のDAOでは上とか下とかないんですよ今は」
うわー、DAOはたしかに資産家と労働者の格差をなくす画期的な仕組みだけど、この場合の僕みたいな問い合わせる側としてみたら、めんどくせー以外の何ものでもない。
僕「……」
オ「すみません、お話の途中なんですけども、お時間がきたようなので、うちの本気の約款をメールしときますんで。失礼しやす」
ガチャリ プー プー プー
おい、ちょまてよ。
寄り添うとか言っといて、無茶苦茶だな。経営理念を売りにだしちまえってんだ。もー。
僕は仕方なく送られてきたメールのファイルを開き、本気の約款とやらを読む。
何か解決の糸口が見つかるかもしれないので何度も読んだ。さすが本気の約款だけあって、字が素粒子みたいに小さくて、しかも大事なところがわざと文字化けしたりしている。消費者を煙に撒く気満々の作りだ。
しかし何度も何度も読み返したり炙ってみたりしているうちに、ついに見つけた!
唯一の突破口を。
たった一つだけ、売買自体を無効にする方法が書いてあったのだ。
それは初恋の相手に実際に会ってその場で面と向かってケチョンケチョンに辛辣な言葉で僕の初恋の思い出を全否定してもらうことによって、『ゼロ初恋』に戻す方法だ。
この際、僕の受けるであろう精神的ダメージのことなんて考えていられない。
すぐに僕は行動に移す。
初恋探偵に依頼して、あの彼女を探してもらった。
数日後、所在が判明。どうせ傷つくので、事前に細かい近況とかは聞かなかった。
そして会う日が決まった。
ことがことなのでせっかくの再会でもドキドキもワクワクもしない、と言ったら少し嘘か。
── 当日。
僕は初恋の相手と何十年ぶりかの再会を果たした。
思い出のあの公園の噴水の前で。
白いワンピースを着た彼女は美しかった。
僕にとってはまさに白亜紀の花だ。
事情を説明してもらってあるので、挨拶もそこそこに、
彼女のほうから徹底的に僕の初恋をケチョンケチョンにしてもらった。ちょっとマジすぎて怖かった。
野の屍と化した初恋の残骸くらいは残るかと思ったけど、それすらなかった。
完全なる ゼロ。
彼女「こんな感じでよかったかしら」
僕「うん、ありがとう」
彼女「いいえ、いいのよ、役に立ててよかったわ、それじゃあさよなら、── サトシくん」
僕「えっ⁉︎」
── サトシくん?
微笑みだけを残して、彼女は風のように去って行った。
寂しさを振り払い、気を取り直して、すぐにマーケットプレイスを確認。取り消されてる。よかった、これでオッケーだ。
体の力が抜けしまい、フラフラしながら噴水のところまで行って、顔を思いっきり洗った。
僕が失ったものはもう思い出せないのだ。
夏から秋に変わる風が公園に吹いた。
🔸 🔸 🔸 🔸
それからの僕について、手短に話そう。
結局僕は初恋から離れられなかった。
男なんてそんなもんさ、と軽く言えないくらいに……。
大事な初恋の思い出を失った僕は、その空白を埋めるかのように、病的なくらいにネット上で他人の初恋を落札しまくるようになってしまった。
どれだけ他人の初恋を手に入れようが、決して満たされることはないことくらいはわかっていた。
“孤独とは心の渇きなんだ”と、ある作家が書いていた。
今の僕にはもう、何が何だ、と断定することなんてできない。
何事も何事でないような、そして、すべてどうでもいいような、そんな気分で毎日過ごしている。
そういえば、そんな僕を心配してか、例のオペレーターが先日、連絡してきた。
奇跡的にそのことを思い出せた。
オ「お客様、例の件ですが、実は、問題の根幹を揺るがすような重大な事実が発覚いたしまして、そもそも、ブロックチェーン技術の基礎となったあの有名な論文が、お客様の初恋をヒントにして彼女様が作成して、インターネット上にあげたもので、その際に使った名前がサトシ・ナカモトだったという……」
終
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