最終章 - 現し世のオルゴール 1


目次 → 「煉獄のオルゴール」
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 扉の先など、とうに決まっていた。最初に見た光景の連続、開いては散っていく朝顔、臓物を飾るハニカム構造のオブジェクト、そして瑠璃という優一そっくりの顔をした少年、いくつもの疑問と不可解さを飲みこんでこの狂った世界を歩いてきたが、ここがようやく終着地点だ。

 逸る気持ちを抑え込むのに必死だった。なぜなら、この答え合わせは自分ひとりでしても意味がないものだった。
 空白は未だ数多く残っている。けれども十二分に答えにつながる情報を僕は持っている。それだけが、この世界から僕を、ひいては「僕」を脱出させるための布石になるはずだ。

 静かに扉が開け放たれ、そして閉じていく音が後方でやかましいほどに響いていたが、そんなことも気にせず僕は大きく背を伸ばす。必要なのは、深呼吸と確実なリラックス。
 これから行うのは、いわば精神の勝負である。

 そう腹を据えると、僕はまさに真後ろで息づいた瑠璃に声をかける。

「見てきたよ、この世界の真実と、僕のことを……」

 対して瑠璃がどのような言葉をかけてくるかは疑問だったが、幾分どれであっても驚くつもりはなかった。その予想通り、瑠璃は僕の来訪を称える。

「それを待っていたよ。大丈夫だった? 君の記憶は見つかった?」

 そう、僕はまさに生前の僕の記憶を探して、この狂気的な世界を彷徨してきた。けれどどうだろう、僕はそれに対して欠片とて実感がわかず、今になってはその目的など過去のものとなっていた。
 では、僕は一体何を探しにこの世界にいたのだろうか。答えは至極単純である。

 僕は、この世界から脱するための手段を求めてこの世界を駆けずり回っていたのだ。

「……瑠璃、その前に一つ、聞かせてほしい。本当に、ここは死後の世界なのか?」
 彼は僕の言葉に当然ながら訝しげに「どうしてそんなことを聞くんだ?」と言葉を返してくる。だが不思議なことにそれ以上言葉をつなげることはなく、静かに僕のことを見るばかりだった。

「僕の話を聞いてほしい、この世界を見ていくうちに、君とは違う見解を僕は持っているんだ」

 思考もせずにそんな言葉が飛び出た。考えなしというよりかは、腹に据えた気持ちがそのまま言葉として表出され、心のなかに一本の筋が通ったように僕は言葉を続けようとする。
 すると、その前に瑠璃はこちらの言葉を疑問符を浮かべて遮った。

「ちょっとまって、どういうこと? 君は、生前の記憶を探しに行っていたはずだろう? ここは死後の世界だ。君が何を見てきたとしても、何が起きたとしてもそれは決して覆らない……そうだろう?」

 瑠璃の言葉に僕は「そう、思いたいんだね」と哀れみの言葉をかける。言葉を言い終わるのと同時に振り向いてみると、そこには確かに優一の姿をした瑠璃が立っているはずだった。

 けれど、僕の瞳の中に映っている瑠璃は、もう今までの彼ではなかった。
 形容するのであれば、あのオルゴールを回していた怪物と寸分違わない。なにか違うのだとすれば、瑠璃が使う言葉や態度が随分と優しいことだろう。
 だからか、異形の外見が幾分マイルドになってこちらに伝わってくるが、それでも彼の姿が異常な存在であることは変わりなく、これが瑠璃の正体であったことに気付かされるまで、数刻の逡巡が起きるほどだった。

「一つ、最初から最後まで、僕の話に付き合ってはくれないか? 僕がこの世界で見てきた全てから、一本の筋を通してみせるから」

 僕は異形の風貌の瑠璃に対して、できるだけ優しい言葉を放ってみる。すると彼は聞き分けが良いというか、既に何かを諦めたような表情で首肯して、即座に押し黙ってしまう。

 その態度に一瞬の疑問符をこちらが抱くことになったが、すぐに僕自身首を縦に振ってしまうような納得感を伴って、小さく語りだす。
 勿論、すべての言葉はたった一つも思考のない、感情がそのまま意義となって生じた現象だった。

「まず、この世界は、死後の世界なんかじゃない。死後の世界の割には、他の幽霊とか、彼岸の概念が全く反映されていないのがその証拠だ。

 この世界を作っているのは、最初の水瓶や、デタラメに混じり合う僕自身の記憶、そして、おぞましいオルゴールの音色……。これらはすべて、死後の世界というよりかは、僕自身の気持ち、いや、錫野折人という一人の人間の記憶や想念によって作り出された世界だ。

 まぁ、現実の僕が何をしているのかはさっぱりだけど、僕がこの世界にいるって言うことは、現実の彼もまた現し世に出ることのできない状態なんだろう。
 だからこそ、この世界は死後の世界ではなくて、どっちかって言うと、あの世とこの世の狭間にある想念の世界に近いかもしれない」

 僕がつらつらとした調子で答えていくと、瑠璃はなにか言いたげであるが、どうやら最後まで話しを聞くという手前、途中で話に割って入ることはしないらしい。
 それに気がつくと、言葉を切ることなくそのまま次の話へと口火を落とす。

「最初、というか今も、僕は自分自身のことを、錫野折人本人だと思っていたけど、厳密には少し違う。僕は、この世界から脱出を願う気持ちが、人格として動き出したものだ。

 より簡単に言おう……この世界で、意識を持って行動しているものは、すべて錫野折人という人物が、人格を持って動き出したものだ。君もまた、その一つ……死後の世界であると思い込み、そこを管理するものとしての役割を信じる、彼の人格の一部だ」

 そう断言すると、今まで口を挟まなかった瑠璃も苦言を呈してくる。

「何を言っているんだ……? 意味がわからない。僕が元々、その錫野折人という少年から生まれたものだというのなら、どうしてこの世界に君を、彼を留めようとするだ?」

 そこは、いつからか自然と疑問に思っていた。けれど、瑠璃に説明をするごとに、その正体が明確になっていく。
 瑠璃は「気持ちの整理をつけてこい」と、聞こえの良い優しい言葉を述べてくれた。だが、その実「死後の世界に行こう」という言葉の真意を固く守っており、僕の思い描く救済とは全く別のことをしようとしているのだ。

 これらの情報から導き出される事実はまさに最悪だった。

「……彼は、錫野折人という、人間は本気で死にたがっていた。それは、きっと本心ではない。彼はそう選択せざる負えない状況にあり、とうとうそれを選んでしまった。それが、君自身だ」

 瑠璃という存在の正体にして本質、それはまさに「自殺願望」が人格を持った姿だった。
 必死にこの世界を「死後の世界」だと言ってはばからず、しかも思いを整理して死にいこうと婉曲的に言い放つ。瑠璃にとっての救済はまさに「死」そのものであり、これ以上生きることを拒絶していることに等しい。

 対して僕はどうだろう。
 この世界が「死後の世界」であるという事実に疑問を活気し、必死にこの死の淵から這い上がろうと藻掻いているではないか。僕にとっての救済は「優一そのもの」であることを知っていて、生きることでその救済はより深化したものになると信じているからだった。

 今まで内在されていた大量の気持ちが噴出し、ありありとした記憶と感情が僕へと戻ってくる。

 そう、僕は間違いなく、自殺を選んだ。当然だろう。最愛の人を手にかけ、それで生きていけるほどに僕は強くなくて、だからこそ死を持って救済を選んだ。

 この事実がまさに「瑠璃」という存在を十二分に表していた。

「……僕は、君に真実を告げたいだけだ。君が死後の世界だというこの世界で僕らは確実に生かされている。恐らく現実の、僕らはまだ死んでいない。だからこそ僕らはここにいるんだ」

 僕が見つけた真実は以上である。勿論、余白は多いが、それでもこの真実が本筋から大幅に外れているとは到底思えない。
 それに対しての答えは、瑠璃が十二分に語っているようだった。彼自身、そのことに気がついていたという様な、けれども悔しさを孕んだ表情に胸が苦しくなる。

 彼の気持ちは僕にも痛いほど伝わってくる。
 錫野折人という人物が、僕らの本体であることはまず間違いない。だからこそ、自分自身がそんな劣悪な環境で生きてきて、死そのものを救済として考える歪んだ思考に出たのは悲劇としか言いようがない。
 しかも生きて帰ったとしても、そこにある現実は何一つ変わることなく佇み続け、その荒波に飲まれてしまうかもしれなかった。

 けれど、僕は現世にしがみついていたかった。生きていれば確実になにか、一矢報いるチャンスが有る。僕をこんなふうにした僕自身に、そして環境に一矢報いて、優一に謝るチャンスを、僕は求めていた。

 正直これから先どうすればこの世界から脱することができるのかはわからなかった。だがゆっくりと伏せられていく瑠璃の態度と、顔を上げるまでにかかった時間を考えれば、彼が自らの「救済」を少しも諦めていないのはよく理解できる。

 同時に、その醜悪な本性がさらされる。
 優一の顔だった表情と声音はすっかり失われ、記憶の最奥で僕自身に言われた言葉の形容がパズルのピースのようにハマっていく。
 そう、これこそが、僕の顔であり、瑠璃の本当の姿なのだ。

 皮膚がめくれ上がり、もはや人の顔であると判別のつかないほどの狂気を孕んだ顔。本当の顔とどれくらい似ているかなど関係ない。この世界で作り出される多くの人格は顔を持たず、恐らく本人の意識の比重によってその形を変えていく存在。
 僕が終始、あのような狂気に満ちた顔をしていたのは、錫野折人本人が「生きる」ということを蔑ろにし、苦しみだと感じていたからだ。奪われた顔が指し示す事実に気がついてもなお、瑠璃は怒りを孕んだ顔でこちらを見る。

 彼は今まさに、「死」を持って救済を遂行しようとしている。僕らはともに同じ目的を標榜していたはずなのに、その手段によってここまでの差が生まれてしまった。
 それを正すことができるのは、紛れもなく「生きる意思」として現れた自分自身だけだった。


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