絶命の森唄

震える指先で、僕は最期の声をなぞった。
消えていく音の群れに小さく笑いかければ、貴方が僕のことを見てくれているような気がして、一抹の不安すら溶けていく。

深き森に寝転がって、僕は唄う。
貴方との約束の唄を、何度も呟くように。

美しく揺れる貴方の体と、僕の体は何度も繋がっていた。しかしそれは一瞬で消えてしまい、たった一人残された僕の感情は徐々に蠢きを止めていた。

思い出すのは、貴方の最期。
微かな消毒液の香りが瀰漫する病室の中で、僕は貴方の名前を何度も叫んだ。それでも、貴方は僕に笑いかけるばかりで、全く自らのことを案じない優しさと、僕のことを想う声が胸を締め付けていく。
僕はその度に、心が深く貴方に侵食されるような不快さと、嬉しさを抱くのだ。きっと貴方はもう死んでしまう。消えてしまう。

でも、だからこそ貴方と僕は一つになれる。肉の拘束を解き、僕は貴方の心臓となり、脳となる。
この森唄を携えて、貴方の元へと帰結することができれば、僕の人生に一縷の光が残ることだろう。

所詮貴方に拾ってもらった肉体と感情だ。だから、こういう生き方をしてもいいかな。
きっと貴方は怒るだろう。自らの選択を促して、自分から離れてほしいと願うだろう。
それが貴方の優しさなのだから。でも、その優しさを捨て切ることはできなかったんだね。

貴方の最期の言葉を、僕は未だに覚えている。
「俺はお前のことを愛している」
その言葉は、貴方が僕に残したものの中で最も僕を縛るものだった。

僕は永遠に、貴方の所有物。
貴方が傍にいなくなってから数十年の月日が流れた今日も、僕は貴方の持ち物なのだ。

そして僕は、貴方と同じものに冒されている。
朽ち果てていく肉体が重力を感じ、この森という自然界に伏していく瞬間すら、僕の視界にあるのは貴方だけだった。
目まぐるしく変わる空などでも、けたたましく叫び続ける木々でもない。
残るのは貴方と過ごした安らぎの時間のみなのだ。だから僕も逝きましょう。貴方と同じ世界へと。

自らの死期を悟ってから、僕は貴方と行った森へと導かれた。
大量の生命が鎮座するそこで、唄うのはあの日の想い出。

「君が死んだら、僕も死ぬ。君とともに、逝きたい」
「それは駄目だ。俺はもう長くない。だから俺の分まで生きてほしい」
「どうして?」
「お前には、多くのものを見て欲しいから。そして、また会う時に、お前の見たものを教えてほしい」
「......じゃあ、今度は僕が、君に教えるね」

あぁ、僕は貴方に教えることはできるだろうか。
貴方が死んでから仮初めの日々を過ごした僕の、虚ろな視界を貴方に、どれほど伝えられるだろうか。
でも、この薄れいく視界はきっと貴方に伝えられる。徐々に重くなっていく肉体と、隣接する貴方の体温を胸にしていれば、きっと多く貴方と共有できる。

ほら、視界は暗くても貴方が見える。何も聞こえなくても貴方の声がある。何も触れずとも貴方の皮膚がある。
懐かしい、この香りと、この舌触り。
貴方との甘美なる口づけを、僕は待ち望んでいたんだね。

#小説 #BL #純愛 #死にネタ #死別

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