底つき体験は必要だったか
トラウマ治療へ踏み切るのに、底つき体験は必要だったのか。
私はトラウマ治療に出会う前から、それを探していた。投薬でもなく、普通のカウンセリング(傾聴)でもない、何かもっと違う方法を渇望していた。
しかし、全く違う時期に出会っても受け取れなかったような気がする。
2年間の底つき体験
私は自殺企図がひどかった時期が2年くらいあるのだが、やっぱりその時のことが今でも怖い。本当に死んでしまってもおかしくなかった。
三森みささんの漫画でもそういう描写があるが、本当に死にそうな時ってそんな感じなんだろうか。
本当にどうにかしなければそのうち死んでしまうと、本気で思った。当時、精神科に通っていて、投薬も院内のカウンセリングも受けていたけれど、良くなる気配はなかった。主治医を不審に思って転院しようとしたり、なんとかできることを探していたが、もがき苦しんでいただけだった。このときから、投薬でも普通のカウンセリング(傾聴)でもない「何か」を探していた。見つけられなかったし、病院からも提供されなかったが。
結局生活が成り立たなくなり、パーツの分裂が激しくなって一日の中で気分がコロコロ変わるようになった。過眠と不眠を繰り返して、食欲もなく、バイトにも大学にも行けなくなった。毎晩、ただ死なないだけで精一杯だった。
これが私の底つき体験である。結局、ブラックなバイトを辞めても、依存的な彼氏と別れても、抑うつ状態や気分の不安定さ、希死念慮も自殺企図もなくならなず、ひどくなるばかりだった。何かどうにかしなければならない”問題”が環境や人間関係ではなく「私の中」にあると気づき始めた。何回恋愛しても繰り返す、どこに行ってもついて回る問題が私の中にあるらしい。ただ、当時これに向き合う力はなかった。
当たり前だが当事者が自力でどうにかできるものではないし、トラウマ治療も心理療法も知らなかった。HSPやアドラー心理学、セルフコンパッションの本を少し買ったりしたがどれもちゃんと読めなかった。
見つけた時
休学して、よくわからないまま実家に帰り、衣食住と強烈なトリガーを提供される日々を過ごした。それから1年くらいして、三森みささんの漫画がたまたまTwitterで流れてきたのだ。
複雑性PTSD。主治医に相談したら鼻で笑われたが、自分で調べてカウンセリングに行き出した。調べるほど「見つけた」感じがした。私はこれじゃないか。心理療法を調べたり、図書館で県外から本を取り寄せて読んだりした。すぐに院内で主治医を代えてもらえるように看護師に交渉した。
トラウマ治療を扱っている心理士を見つけ、隔週で通いだした。ここでは前の心理士さんと呼んでいる人だ。隔週で約半年、12回通った。
この間に図書館で借りた本をもりもり読んだ。本は家族から隠していた。まさか親子関係が問題の根源とは。妹にも刺激が強そうなので、家族には漏らさないように気を付けた。「見つけた」時の興奮は隠しきれていなかったと思うが。友人との電話で熱弁したりした。
このときに、大きくベクトルが変わったように思う。地獄のような世界へ落ちていくのが止まり、回復が始まった。それまでは悪くなるばかりだった。
身近な人も
「見つけた」という興奮は、私の中だけで完結しなかった。友人や姉妹の性格、症状にすべて説明がついた。私だけじゃなくて、身近な人みんなこれじゃん。治療すればいいのでは!
結局そうはならなかったが、全員治療すればいいと思っていた。
まずは職業訓練中の姉に本を貸してみた。鈴木裕介さんの『がんばることをやめられない』が一番読みやすくていいと思った。しかし本を読み終えた姉は本に対する文句を私に言ってきた。「こんなことはもう知っている」「じゃあどうすればいいのかが書かれていない」など。全くのお門違いであるが、上手く受け取れない人もいるということがわかった。全員がこれをずっと探していて、ずっと見つけられなくて、渇望していたわけでなないのだ。きっと、受け取れるタイミングがあるし、そうでない時もある。
次は友人に同じ本を勧めた。その人はその本を買ってすぐに感想をくれたが、トラウマ治療には至らなかった。私に休学を勧めてくれた人で、同じくパーツや希死念慮の問題を抱えながら、どうにか生活をしている人だ。大学生の時に希死念慮が強く出て生活が崩壊し、休学から退学、精神科通院とカウンセリング(認知行動療法)を受けてどうにか社会復帰している。今は向き合う余裕がないのかもしれない。
精神的な傷つき度合い
少し違う話になるが「精神的な傷つき度合いが同じ人としか友達になれない」というのをどこかで聞いて、とても納得したことがある。健全に育った人は、しっかりした自他境界を持ち、自信があって、前向きで爽やかだ。羨ましく思うが、深くかかわると居心地が悪い。私だけが自信がなくてダメに思えてきたり、こんなことで落ち込むなんてと自分を責めたり、若しくは共感されなくて冷たいと感じるかもしれない。関わるたびに、住んでいる世界が違うというか、分かり合えない感じが強まっていく。
出典は忘れたが、そういう原理はあると思う。それで言うと今まで親友と呼ぼうと思ったことのある友人たちは全員親子関係にかなり問題がある。過保護だったり、虐待と呼んでもいいレベルだったり、DVであったり。自分の親子関係については記憶がなかったり、歪められていたりして過小評価しがちだが、友人の親たちはどうだ。直接会ったことがなくても、話からヤバさがわかる。そして、私も精神的な傷つき度合いが同じだという。うちの親も同じレベルか。深く納得した。
トラウマ治療が終わったら、自信のある爽やかな人間になれるのだろうか。健全なコミュニティに属して楽しく過ごせるようになるのだろうか。わからないが、回復すると人間関係が変わっていくらしい。自他境界の緩さ、自信のなさからくる変な人間関係がなくなるという。その最中にいるような気もするが、楽しみだ。キラキラな人たちに混ざっても引け目を感じず、緊張せずに会話を楽しんで、ひとりの時間も大切にして。
必要だったのか
友人も姉も妹も、妹の友達も、複雑性PTSDだろうけど、本人が探している時にしか受け取れないのかもしれない。それはそれでいいやと思えるようになった。特に妹には絶対に幸せになって欲しいが、今ではない。私がついていれば、必要な時に必要な情報を与えることもできる。
結局、自分で必要だと思わない限り、大きな方向転換には至らないのだと思う。あのレベルの底つき体験を経験してほしいとは思わないが、ベクトルを自分で変えるにはある程度のインパクトのある体験が必要なのではないか。
私の治療の原動力は言うまでもなくあの底つき体験だ。もう二度と経験したくないめちゃくちゃな日々だった。トラウマ治療を見つけられなければ、あのままひどい恋愛を繰り返し、自他境界はゆるゆるでトラブルに巻き込まれていただろう。もしくはここにいなかったかもしれない。
ただ、解離したままでもある程度やり過ごせていたのは事実だ。1人暮らしを始めるまで、性格の改変がうまくいったと本気で思っていた。これまでの自分や、本質である好きなこと、嫌いなこと、得意なこと、インナーチャイルドも全部押し込めて、なかったことにしていた。それでは問題がある事、それに向き合わなければそのうち死ぬことを肌で感じたからこそ、今思いつくテーマは全部処理したいと思っている。
底つき体験は必要だった。トラウマを負ったことから、死にそうになったことまで全部が私の人生に必要だったとはまだ思えない。当たり前だけど健全に育っていたら全然違う人生だろう。それでもまだ20代で、妹はまだ高校生で、なんとかなるのではないかとも思う。これから好きなことを仕事にして、健全なコミュニティに属して、素敵な恋愛をして、普通程度の苦労も味わって、世代間連鎖を終わらせるのは不可能ではない。
おわり。