見出し画像

カウンセリング10回目

10回目のカウンセリング。車がないので電車とバスを乗り継いで向かった。

一つ前の記事「死にたくない」に書いた救急車で運ばれた話をした。トラウマになっているか確信的ではないが、その話を処理しておきたかった。

トラウマ反応とパーツワーク

救急車で運ばれたのは旅先で、高速バスで移動中にだんだんと体調が悪くなった。その3日後には、逆向きの同じ高速バスに乗って空港へ戻らなければならなかったが、高速バスに乗る2時間前に体調が悪くなった。動悸と浅い呼吸 (交感神経)、呼吸が極端にゆっくりになり眠くなる (背側迷走神経)のを繰り返し、何ともトラウマ反応らしい状態になった。高速バスにはどうしても乗らなければならないので、心療科の頓服薬を飲んでやり過ごした。

頓服薬を飲む前に、レンタカーの中でパーツワークを30分くらいした。フラッシュバックだとわかっていながら、それを頓服薬で抑え込んで良いものか悩んだからだ。あの瞬間に取り残されたエグザイルが、助けれくれって必死で訴えているのに、その苦しみを無断で消し去ってやり過ごしていいのか。
頓服薬を飲む前に許可を取らなければと思った。(最悪の場合、無断で服用したら頓服薬が効かないなんてこともあるかもしれないと思った。)

そのエグザイルを探しに行き、深く接触しないように気を付けながら、次のカウンセリングで扱うから待っていてねと伝えに行く。その子はガラス越しにいて、座り込んでいる。少し遠くて、私には気づいていない様子だった。どうにか呼びかけて、「心理士さんと助けに行く!」と叫んだが、ガラス越しなので伝わらず、でかいスケッチブックにマーカーペンででっかく文字を書いて見せた。その子はこっちを見て、頷いたのを覚えている。それから頓服薬を飲んだ。

トリガーは「高速バス」で、身体感覚のフラッシュバックと思っていいだろう。脱水症状の原因であるカフェインは、しばらくは摂取しないようにかなり気を付けていたが、高速バスは避けられない。頓服薬を持っていてよかった。


傾聴とEMDR

救急車で運ばれた話をざっくりと傾聴してもらったが、話しながら声が震えたりはしなかった。こんなことがあったんですよね、トラウマになっていそうだから処理して欲しい、と話しながらケロッとしていた。いつも通り、へらへらしてしまう。「死にたくない」と思った話も、「あんなに死にたいと思っていたのに、いざ死にそうになったら死にたくないだなんて、自分勝手ですよねー笑」みたいに言ってしまった気がする。自分でパーツワークをした話も今これを書くまですっかり忘れていた。

EMDRをしてもらったが、記憶が鮮明によみがえってくるわけではなかった。解離したままで処理がうまくできていないのかもしれない。今も、記憶が処理された感じがあまりしない。パーツワークで会いに行ったあの子を想像すると、まだあのまま俯いて、座り込んでるように思える。

EMDRでは記憶が遠く、小さく見えて、いつもみたいにフラッシュバックに飛び込んだような鮮明さや圧倒される感じがなかった。涙がたくさん出たり、息が吸えなくなったり、怖くて体が固まったりはしなかった。やっぱり処理できなかったのか。

解離についてはまた別の記事で書きたいが、私はたぶん解離している状態に慣れすぎてしまっていて「解離している状態」をなかなか認識できない。現実味がないとか、ガラス越しのようだとか、幽体離脱のような描写がされることが多いが、そんな感じは全くない。今、解離しているのかどうかが自分の感覚だよりではちっともわからない。

それで、EMDRでは処理したい記憶に飛び込めず、救急車にまつわるスモールトラウマがちらちら浮かんだ。母が救急車で運ばれた時(7歳)、以前自分が救急車で運ばれた時(21?歳)、友達が倒れた時(15歳)など。特に処理したいトラウマとして認識していなかったが、そうか、やっぱりあの時私は怖い思いをしたのか。と再認識できた。

今回は初めてEMDRの装置を見せてもらい、実際に使ってみた。これまでは心理士さんの指先を目で追う形だったので、装置を持っているとは知らなかった。バイブレーションする器具を手に握り、目線を左右に動かしながら、t手の中の器具が左右交互に振動するのを感じた。

記憶に入り始めたのか、左右の腕が重くなってきたところでEMDRは終了し、セルフハグを提案された。倒れた時は両手足が本当に重くて、動かせなかったのだ。その時の「身体の記憶」が出てきた。重たい腕を何とか動かしてセルフハグをしてみる。ここでEMDRを終了するのはなんだか釈然としないが、心理士さんの方がトラウマに詳しいし、不満に思う自分を押し込めてしまった。

セルフハグをしながら出来事の詳細について話し、少し安心したら涙が出た。急に右の鎖骨の下と首の右側が痛くなり、そこに手を当てて優しい気持ちを向けた。これはエグザイルが登場したということなのか、それとも中途半端にEMDRをしたことの代償なのか。痛みが落ち着いたらセッションは終了し、リソースに浸る間もなくカウンセリングルームを出た。

心理士さんの状態

最近思っていることだが、心理士さんにもノッている時とそうでない時がある。私の前の枠のクライアントにお会いすることはないけれど、なんとなく、その空気を引きずっているように見えることもある。心理士さんのパーツが見え隠れするときもあるし、落ち着いていて、温かくて、セルフに近い状態の時もなんとなくわかる。
カウンセラーは苦労が多い職業だと思うが、クライアントに愚痴を言ってしまうようならバランスが取れていないと言われても仕方ないとも思う。

心理士さんの状態を個人的に心配しているというよりも、カウンセリングの質が落ちることを心配している。私だって、必要があってトラウマ治療を受けているのに、心理士さんの状態が悪いせいで「表面上トラウマ治療らしいこと」をされても困る。見守ってくれる人、恐ろしい記憶に飛び込んでも引き上げてくれる人が、疲れ果てていてはうまくいかない。
ただ、経験豊富な信頼できる人だとは思っているので、他の人を探そうとは今は思っていない。初回から私のインナーチャイルドが出てきてしまうほど凄い人でもあるからだ。その時は傾聴が本当にうまいと思った。最近は何だか疲れている、カウンセリングを本当はやりたくないように見える日が多い。

まあ、難しい話だ。素敵な人だとは思うのだけど。
アニメではないが、カウンセリングにも「神回」みたいなのがあると思っている。すべてのセッションで大発見や大きな癒しがあるかというとそうではない。全体を見た時、どう思うのか。もう少し様子を見ようと思う。

また次回。