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なぜ存在価値のない人間なんていないと断言できるのか?

人間の存在価値


前回は腕時計の価値について考えてみました。腕時計の価値は、時間を正確に知らせるという目的を果たしていることの価値と、たとえ動かなくなった腕時計でも、

亡き人の形見だから大切にしたいという目的があるのなら、その腕時計にも最高の価値があるということがわかりました。


つまりモノの存在価値はその目的によって決まるということではないでしょうか。

ではそれを人間の存在価値にも当てはめて考察したいと思います。

例えばプロ野球選手になって活躍したいという夢や目的がある子供が、苦労のすえ、世界一のプロ野球選手になったとしたら、その人の人生は価値があったと言えるのではないでしょうか。

では反対に、夢や目的は持っていたとしても、何をやってもうまく行かず、人からも信頼されず、仲間もできず、結婚もできない、そんな人生だったとしたら、「私は価値のない存在だ」と、自暴自棄になってしまうかも知れません。

でも、本当にそのような人には存在価値がないのでしょうか?


たとえ動かなくなった腕時計にも、その目的によっては最高の価値があるように、そもそもの人間の存在目的を知ることができたなら、たとえ価値のないような人生だったとしても、実は最高の価値があるのかも知れません。

では、そもそもの人間の存在目的は一体誰に聞けば良いのでしょうか?


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