見出し画像

実は得意だったこと

中学、高校時代は部活動に参加していなかった。
でも本当は陸上部が気になっていた。

小学校の時に遡るが、校内なわとび大会というイベントがあった。
どれだけ長時間、同じ跳び方でなわとびが継続できるか、という耐久レースのようなものである。
ホイッスルの音で参加する児童が一斉に跳び始め、縄にひっかかったらその場に座るというルールになっていた。
私は、「前回しその場駆け足跳び」という種目を得意としており、毎年その種目で学年1位になっていた。

あとは、持久走である。
校内マラソン大会ではクラス代表の駅伝選手に選ばれていたし、何気に持久力があり、心肺機能が強いのだとある日気付いた。
もし陸上部に所属して日々鍛錬していたら、高橋尚子選手のライバルになったかもしれない(まさか)。
そんなわけで、20代半ばから30代半ばまで、市民マラソン大会で走っていた。
幸いなことに、自宅近くにジョギングできる緑道があったから、日々のトレーニングの場として活用していた。
そしてこの頃にはもう、集会にも行かなくなっていた。自分の好きなこと、得意なことが徐々に見えてきた時期でもある。

まあ、よくよく考えてみたら、父方の親戚には、長距離走が得意で今でもよく走ってます、という面子が揃っている。ただ単に持久力ずば抜け遺伝子を無償で受け取っただけのことなのだ。

その反面、球技はからっきしダメで、体育の授業でバレーボールをやれば、うまくレシーブできずに、顔面で受け止めるマヌケっぷりだった為、体育の成績は「1」とか「2」とかをウロウロしていた。
まんまと騙された。
私にも体育で活躍できる場面があったのだ。

瞬発力はないが、持久力はある、というのは成人してからもアドバンテージになったりする。長時間の肉体労働もへっちゃらだし、ドラムセットに座っても簡単にはへたらない。
健康に産んで、育ててくれた両親には感謝しなくてはならない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?