努力無意味論
世の中にはとかく「努力が大事」と言う人たちがいる。確かに受験など勉強して知識を増やして何かをクリアしてその先に素晴らしいものが待っているケースもある。
「努力最強論」とでも言うか。
しかし私はあえてその真逆である「努力無意味論」を唱えたいと思う。
才能が一番大事であり、努力とは才能を可視化する作業に過ぎないと思う。努力して芽が出る分野とは一部である。
例えば本屋に行ったとする。
新しい本がたくさんある。立ち読みしてみると何やらワクワクするようないろんな知識がありそうだ。大袈裟に言えば「新しい世界が開いている」ようにも見える。
しかしそれは「そんな気がする」だけだ。
本を読んで新しい世界が開いた気がしてもそれは気がしただけである。本を読んだとする、一部深く身に染みたとする。でもそれは自分のものになったわけではない。
本は人間の人生を長く変える力はない。せいぜい数日である。現実の行動に還元して毎日繰り返し無意識になって数年になるまで変化は起きないだろう。
ではその努力無意味論ではどう生きれば良いのか?
とにかくその努力にかけた時間が無意味じならないようにすることが大事だ。
主に二つのポイントを意識すれば良い。
まず楽しむこと
そして
早く通過すること(時間を短くする)
例えば本を読むとする。面白そうな本だ。
その場合はとにかく早く一冊読み切ること。
そしてイマジネーションを膨らませながらなるべく楽しみながら読むこと。
そうすれば本の内容に関わらず人生は充実するだろう。
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