ささいな、大きなこと。

早いもので、入院生活も2カ月弱ラストランに入り日々の生活を振り返る。朝4時過ぎに起きて、身支度を整え、トイレへとナースコールを押す。
1日の始まりだ。
帰ってくると一人でできる体操を綿密に、時にはそれなりにうけながす。
それが終わるとテレビを見るか横になるかして時間を潰し7時前には食堂へと向かう。
いよいよ楽しい一時の始まりだ。
とにかく腹がへる。
コロナに感染したときは咳がひどく喉がことのほか痛く食欲も無くご飯を半分以上残す毎日だった。
そんな日々が10日位つづき、その反動か腹がへる。
何のへんてつもないおかず。
さほど多く無く本当に質素な食事であった。
しかしながら、楽しみであり、私好みの味付けで美味しく食べていた。
よもすると、ささいな事に振り回され修復するのに、力を費やしうんざりしたこともたたあった。
されど環境が違うと、ささいなことでも至福の一時に感じるものだ。
自分の好き嫌いで判断するのでは無く、与えられた物、事に感謝するその亊にあらためて気づかされた今日この頃であった
ささいな事と想わず、ささいなこと事にもおおきな事が潜んでいるのだろうか?反省の一時だった。

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