「ヤクザと家族TheFamily」を観て、今の日本が失ったもの

先日「ヤクザと家族TheFamily」を観た。それはそれは素晴らしい作品だった。前半はヤクザ映画としてのエンタメ性もあり、「新聞記者」の藤井監督らしさが溢れているのは、後半の社会派としての組み立てが非常にうまい。そして悲しい。時代の流れによって、組織や社会も変わっていく中で、排除されるものは何もヤクザだけではない。はみ出してしまった者、社会不適合者への救いはあるのか?そんなことも考えさせられる。


今年、私が認識してるだけで3本のヤクザ(カタギになるとしても)映画が公開される。この映画を鑑賞した後に、1974年「The Yakuza」を観た。こちらはアメリカが撮った任侠映画。この作品の冒頭でヤクザの語源が字幕で流れる。「”やくざ”は八・九・三の数字に由来する。足して20、賭博では負けの数だ。(略)貧しい者を非道な御上から守ったとも言われ、それだけ腕と度胸を買われていた。今日も一部のやくざには武士道にも似た任侠の道が生きていると言われる。」


今の日本の御上(政府、役所)が非道であるからこそ、ヤクザ映画が恋しくなるんではないだろうか。非道な御上には『義理と人情』なんてものはない。アメリカ人に義理のことを聞かれる健さん。米「義務のことなのか?」健「重荷です。堪え難いほどの重荷です。」はー!健さんかっちょいいー!


だから不義理をしたら、指を詰めるほどの覚悟が必要だという世界なのです。それが今の御上にはまるでないのである。耐えがたいほどの重荷を背負って、それでも義理を通す健さんの姿に、時代おくれの日本の良さを感じた。女性蔑視とは違って、時代おくれの良さもありますね。とにかく「ヤクザと家族」は素晴らしい作品なので、ぜひ観てほしい。

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