鳶色の瞳~猫と僕の日々|#短篇小説
Chapter5.
鳶色の瞳~猫と僕の日々
モンは「アハ体験」の映像のように、少しずつ少しづつ成長した。モンと僕は、「人間」の状態でふたりで話すことが増えてきた。
あるとき、僕とモンはソファに並んで座っていた。
「名前で、呼んでいい?」モンに訊かれた。
「うん。大樹でいいよ」僕は、脚を組みかえながら答えた。
ーーーしばしの沈黙。
「あのさ。きみはどの時点から記憶があるの?」
「・・・ん?拾われたときから・・・覚えてるよ。
モンね、お母さんに咥えられて、道路を渡ってたの。
そしたら急に、お母さんが慌てて、モンを口から落としたの。
そのあと・・・ヒロキに連れて行かれたんだよ」
「そうか・・・」
もしかしたら、母猫は近づく僕の気配で恐れたのかもしれない。
「きみは、自分が“ニンゲンになる”って知ってた?」
「全然、知らないよ。まえ言ったでしょう?
・・・でも、“ニンゲンの言葉”は、分かってた」
「“ニンゲンの言葉”・・・例えば?」
「あのね、モンは、ユイのおうちにも居たでしょう?
ユイはよくモンに話しかけてたの。それは全部、分かった」
「ふうん・・・」
由依が暮らしの中で、事あるごとに猫に話しかけている様子。それを浮かべるのは容易かった。
きっと餌をやるときは、傍にしゃがみながら話をしていたに違いない。
「ねえヒロキ?ユイは泣いてたよ。
色んな人がユイにものを頼むんだって。お姉さんとか、ヒロキも・・・
けど、ユイはずっと辛くても人に頼れないんだって。損な性格だよね、って言ってた」
モンはそう言って、まっすぐに僕の顔を見つめた。
確かに、由依から何かを頼まれたことはない。百合の花のように、自立しているイメージしかない。
僕は胸を衝かれた。由依は今までに、SOSを発したい時があったんだ。年上だから大丈夫だろうなんて、彼女のことを何も分かろうとしていなかった・・・
そんな僕の心とは関係なく、言うだけ言ってモンは欠伸をした。
「ヒロキ、ねむくなった・・・。此処で寝ていい?」
モンは僕の身体に凭れかかった。今のモンは、中学生くらいに見えた。目を閉じた顔を僕の腕に擦りつけるようにしてまた欠伸をする。
身体の重みを預けるモンの姿には、まったく僕への警戒心が感じられない。見た目の成長とだんだん乖離してきたモンに対して、僕はいわく言い難い気分になるのだった。
時はまた過ぎていった。モンの顔に幼さが抜けてゆき、時と角度によって大人びて見えることがあった。モンはシャワーを浴びたあと、僕のダンガリーシャツを着て、こう言った。
「ヒロキ、私の髪の毛を切って。前髪だけでいいの」
「ーーーえ?髪の毛?切ったことないよ」
「私もだよ。ハサミを使ったことないから、自信がないの。
ね、もう長くてじゃまだから、ヒロキに切ってほしいの」
モンの髪の毛は背中の半分以上伸びていて、前髪もまっすぐ垂らせば顔が隠れるくらいになっている。「猫っ毛」というとおり黒髪にしてはふわふわした細い毛だから、かろうじて見苦しくないのだ。
「よし、分かった。・・・じゃ、バスルームで切るよ」
「ありがとう」
僕たちは浴室へ、ハサミと櫛と新聞紙を持参して行った。
モンはバスタブの縁に腰かけて、座った太腿の上に新聞紙を広げた。切った髪の毛を受けるためだ。
櫛でモンの頭頂部から前髪を梳かすと、顎先まで顔が隠れてしまった。
「・・・じっとしててくれよ」声が浴室に響く。
慎重にハサミを入れた。
ーーーシャキ、シャキ、と髪を切る音。
前髪を切る角度を気にしていたため、モンと僕の顔は間近くなっていた。
ぱらぱらとモンの髪の毛が新聞紙の上に落ちる量が増えると、ふたりを遮断していたものが無くなってきた。白いモンの顔が顕わになり、息遣いを感じるようになった。
不思議な鳶色の瞳をしているモンが、僕の目を不安そうに覗き込んでいた。
・・・そのとき、モンが僕の心の中に飛び込んでくる感覚と、それを受け止める感覚が同時に起こった。モンと僕の時間が止まった。
交差している目と目は熱を帯びた。・・・そして僕は気が付くと、
モンと唇を合わせていた。脚に広げた新聞紙はすべり落ち、髪の毛は散乱した。僕はハサミを床に置いた。
モンの身体は、最初驚いたように固まっていた。そのあとゆっくり手を伸ばして僕の首に巻き付け、ぎゅっとしがみついてきた。モンが回す手の力の中に、根源的な救いを僕に求めているのが、強く伝わってきた。
(ーーーモンも、こわいんだ。ニンゲンに変わる自分の将来が・・・)
僕は少しでも安心させられるように、モンを確りと腕の中に抱き締めた。モンの身体はボディーソープの甘やかな匂いがして、どこまでも柔らかく、力を入れ過ぎると泡となってつぶれてしまいそうだった。
モンが本当の「人間」だったら、犯罪になるのかもしれない。年齢なんて、真実は分からない。僕とモンは、その日、恋人になったのだった・・・。
モンは完全に僕に頼り切り、僕は守護神のようにモンを世話した。ミルクを皿から飲んでいるモンが僕を見上げるとき、どうしようもない切なさが、胸の奥にこみ上げた。
毎晩、走るくらいの勢いで職場から家に帰る。モンは、甘えたような声で鳴きながら僕を迎えに出て来る。モンの姿を見ると、僕は喜びに溢れた。半分猫のモンに、ここまで想いが傾くなんて、自分でも説明がつかなかった。
そしてそろそろ、モンとの日々が一年になろうかとする頃。
その日は、朝、曇っていたが、夜にかけて雨脚が次第に強まってきた。スーツにかかった雨を玄関口で払いながら、いつものようにモンに「ただいま」と告げた。
ーーー微かな音も聞こえなかった。もう一度、大きめの声で「モン?ただいま」と言ったが同じだった。靴を脱いで、名前を呼びながら部屋をひとつずつ廻ったけれど何処にも居なかった。焦燥感と悪い予感がにわかに押し寄せてきた。こんな時間にモンが家に居ないことは無かったのだ。
(内鍵のある窓から、出て行ったままなのか・・・?!)
曇り空を見て、すべての窓を閉めずに出た自分の迂闊さを後悔したが、もうどうしようもないのだった。
【continue】
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