20200314_救急車

知人が脳梗塞を発症した時に私が対応したこと、考えたこと+その後のまとめ。

この記事は、2015年に自分のBlogに書いていたものを、Blog改良に伴う記事の見直しにより移動したものです。今回、noteへの移動にあたりリライト、そしてその後について追記したものをUPします。

2015年の夏、知人が目の前で脳梗塞を発症しました。発症時に対応したことや考えたことなどを書き記しておこうと思います。

本音は起こったことをありのまま書きたいところですが、個人情報に触れる内容を書きかねないため、私が対応したことと、気づいたこと、思ったことに焦点を当てて書くことにします。

この経験を書き記したことが、いつかどなたかのためになれば幸いです。

ざっくり経緯説明。

夜、カフェにて話をしている最中、知人、突然発症。
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救急車で近くの救急病院へ。
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診断と応急処置をしている間に、救急救命士さんの力を借りて身内の方へ連絡。
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運ばれた病院では処置ができないと判断されたため、治療施設のある大きな病院へ行くことに。再び救急車で搬送。転院の旨を身内の方に連絡。
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転院後、身内の方到着。身内の方が主治医の先生とお話を交わし、書類にサインをされて正式に緊急処置。
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一命を取り留める。

発症〜救急車が到着。

それまでカフェで普通に話をしていたのが、突然豹変した知人。
数秒の間、動揺しつつも、半身が動いていない、大あくびを何度もする、よだれを垂らしはじめる状況を見ると、どう見ても脳がやられたことに間違いないと判断(この時点では、梗塞か出血か判断できず)。すぐさまカフェの店員さんに救急車を呼んでいただくことになります。

その後、救急車で運ばれるわけですが、その際、救急救命士にこう尋ねられました。

「発症した時間(時刻)はいつですかね?」

実は暴れる(というか、動かない身体を無理やり動かそうして、逆におもいっきり壁に頭や腕を当ててしまいかねない)知人の保護に気をとられ、発症時刻を確認していませんでした。

よくよく考えると、発症してからの時間が勝負なんですよね。
結局、救命士さんから救急車を呼ばれた時間、到着した時間をきいて、推測した時刻を答えるに至りました。

発症してからの時間によって処置できること、できないことがあるのを思い出して、確認してなかったことを悔いたのは言うまでもありません。

搬送中〜病院での救急救命士さんとのやり取り。

救急車の中で救急救命士さんに知人の個人情報を聞かれた後、さらにご家族・ご親族の了承がないと処置ができない病気の可能性があるということで、身内の方に連絡をとって欲しいと言われます。

注:このときははっきりとした病名は言われませんでした。確定の権利がないことと、他の潜んでいる病気の発見の見落としを防ぐためかと思われます。

私が知人について知っている情報は本名(戸籍名)、誕生日、職業のみ。身内への連絡先は一切知りません。

本来、人のカバンや携帯電話の中身を勝手に見るのはご法度ですが、この時は緊急事態。「申し訳ない」と手を合わせた後、罪悪感と焦りの気持ちを入り混じらせながら、知人が持っていたカバンから携帯電話と身分証明になるものを探しました。

ありがたいことに知人は日頃からカバンの中身を整理していたようで、どこに何をいれているかがわからない私でもすぐに運転免許証が見つけることができ、救命士さんに答えることができました。

整理整頓は相手も自分も救う、と心底実感したのは言うまでもありません。

また、身内の方への連絡に関しては、これまた申し訳ないと思いつつ、携帯電話の登録から探して電話をかけました(ちなみに、私は身内の方との面識はなく、不信に思われる可能性も考えられたため、救急救命士さんから話をしていただきました)。

この時、知人は携帯にロックをかけていなかったので、すぐに連絡できたのは良かったです(ただ、対応後に、もしロックかかっていたら?とは考え込みました)。

なお、搬送中に救命士さんが聞いてきたのは以下の通り。

・名前(戸籍名)
・現住所
・年齢&生年月日
・職業
・発症した状況
・持病があるかないか(糖尿病、高血圧など)
・普段から服用している薬の有無
・搬送者と付添者(この場合は私)との関係

注)発症時刻は先に伝えたので除いてます

転院前の病院受付とのやり取り。

最初に搬送された病院では処置が不可能だったため、別の病院に転院されることになるのですが、その前に病院の事務の方に呼び止められました。

「申し訳ございません。保険証の提示をお願いしたいのですけど…」

どうやら転院する場合はその時点でお支払い、ということになるようでした。

注)念のため。状況が状況なので気を使った言い方でした、と事務の方の名誉のために書いておきます。

ちなみに、保険証は知人のカバンの中にあったのですが、少々特殊なものであり、保険証かどうかが私では判断がつかなかったため、事務の方には後で対応します、と話をすることにしました。この件に関しては、身内の方に対して大変申し訳なかったのですが、転院先で事情を説明して、処置が落ち着いた後に対応をお願いしました。
(後で、事務の方は業務上、ありとあらゆる保険証を見てきてるはずなので、一旦見せて判断してもらえればよかったと後悔しました)。

あと、転院先では退院時にお願いします、ということだったため、もし、最初の搬送先で入院ということであれば、同じようなことになったのではと思います。

何度も同じことを聞かれても冷静に答える心が必要。

この一件で一番びっくりしたのがこれ。

最初の搬送中、転院搬送中、そして転院先の主治医の先生と、3回同じことを聞かれました(しかも質問の流れも同じ)。

「え、連絡連携どーなってんのん?書類も書きよったやん?」と疑問に思ってしまいましたが、冷静に考えてみると、非常事態でしっかり事実確認をしなければならない状態。伝えられた内容が、本当に間違いがないか念押しで聞いておかなければならないこともあるだろうし、付添人(私)から聞き出せていないこともある可能性もあるのでは?と思い直し、イラつく感情をぐっと抑えて同じことを話をしました。

判断を誤ると命を落とす状況でもあるので、命を救うため、根気よく詳しく話す(伝える)のは付添人としての義務かもしれない…と思いました。

また、何度も話すことで高ぶってた自分の気持ちを徐々に落ち着いてくる自分にも気づいたので、結果的には良かったと思います。

連絡先や職業など自分自身を伝えるツールはあるに越したことはない。

知人が発症した時、私も知人も車でカフェに行ってたので、しばらくの間、そのまま駐車場に置かせていただく必要がありました。

搬送前に、車の件をカフェの店長さんに交渉すると「万一のための連絡先を教えて欲しい」と言われたため、即座に出したのは自分の名刺でした。フリーランスゆえ、名刺はいつでも出せるよう普段から所持していたので、すぐに出すことができたのは本当に良かったなと思います。

その他、身内の方が来られた際、あいさつの時にお出ししたりなど非常に役に立ちました(一種の身分表明になりました)。病気になった本人の情報も必要ではありますが、付添者の情報もすぐに出せるようにしておく必要があるな、心底と思ったのは言うまでもありません。

冷静に動くことができた理由。

この一件が落ち着いた後で、仕事の関係の方々、その他一部の方に諸事情を説明したわけですが、「良く冷静に対応できたねぇ」と言われてしまいました。

注)この付き添いにより、仕事のスケジュールが遅れてしまうことになったので、代理店などに調整していただけるよう、お詫びの連絡をする必要がありました。

正直言うと、冷静だったわけでもないですが、以下3つの積み重ねが功を奏したのかと思います。

理由1.父から常々病人への対応・判断・行動の仕方の話を聞いていたから。
父は元々医療関係の仕事(医者・看護師ではない)に就いていて、身近に病人を見てきているのもあり、病気や対応についての話を良くしてくれてました。それである程度の脳内シミュレーションができていたのかなと思います。

実は、救急車を呼んだのはこの時が初めてなのです。痙攣や麻痺など本当に救急車が必要な事態についても話をしてくれていたので、即救急車を呼ぶという対応ができたのだと思います。

理由2.CSS Niteなどのイベントにスタッフとして参加したり、イベント運営をしていたから。
参加する側とは違って、スタッフという立場の場合、イベントがスムーズに回るように動く必要があります。特に運営者(責任者)の場合、隅々まで気を配ることが必要です。また、多くのことを対応・判断をしなければならないので、全てを要領よくこなすために冷静さも必要になるわけです。

恥ずかしながら、これまで運営スタッフとして参加させていただいたCSS Niteを始めとするイベント、そして2014年に松山で行ったIllustratorのイベントで、それができてたかといえば大変疑問ですが、それでもその時の動きや考え方が役に立ったのは言うまでもないと思ってます。

ちなみに。身内の方は夜遅くに突然呼び出され、遠路はるばる病院へ来られました。気丈に振る舞っておられましたが、動揺は私以上にあったのではないかと思います。処置中、少しでも気分を和らげるようトークをしたり、何か飲み物があったほうが良いな…と気づかえたのは明らかにイベント経験の賜物と思ってます。

理由3.その場で対応できるのが私ひとりだけだったこと。
対応できる人がパニック起こすだけだったら、何もできないのは言うまでもありません。

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総合すると、「今までの経験の積み重ね」と言うのがしっくりくるかなと思ってます。一見、必要でないように思えることが、巡り巡って役に立つことということが、この出来事で改めて確信しました。

治療に関わってくださった方々へ感謝。

知人に付き添いつつ、主治医の先生や医療スタッフの方々が、寸志乱れず一生懸命てきぱきと対応してくださるのを見て、改めて医療とチームのレン体感の凄さを感じました。救急救命士さんはじめ、良い方々に対応していただけ、本当にありがたかったです。

もしも私がいなかったら? 逆に自分が急病になったら?

いろいろ処置が終わり、落ち着いた頃にふっと考えました。

今回は、私がいたのは不幸中の幸いだったけど、もしもこれが知人ひとりだったらどうなってたんだろうか?逆に私がなにかの急病にかかったら?知人の様に自分で自分のことを伝えられない状況になった場合、普段からどうしておけばいいのか。

少し考えてみました。
(↓ここより追記になります)

1.iPhoneのメディカルID、Androidの緊急情報の登録
ぱっと思いついたのはこれです。まずはこちらを登録しておき、自分が意識がなくても持病や連絡先を登録しておくのもひとつかと(とはいえ、知られたくない情報もあると思うので、あくまで自分が記載するのが可能な範囲で)。

ただ、メディカルIDは学会のガイドライン外の手順であること、厚生労働省の公認ではないので認められない限り、実際に医療現場で使われることは難しいらしいです(下記URL内参照)。とはいえ、情報が全くないよりはましだとは思うので、手段のひとつとして記載しておくのはありではないでしょうか。

2.紙に書くなどして見つけてもらいやすく準備。

iPhone、Android持っていない方、デジタル登録ができない方向けとして。65歳以上の一人暮らし高齢者対象の情報ですが、対象外の方にも使えると思いますので参考として紹介しておきます。年代、行動範囲によって工夫をしても良いかと思います(個人的に、ペットボトルを使って立体的にすることでわかりやすくなるので、良いアイデアだなぁと思いました)

現時点、思いつくのはこんなところでしょうか。もし、他にも何か良い情報があれば教えていただけるとありがたいです。

《追記》知人のその後。

さて。知人のその後について、軽く書いておきます。

徐々に意識もしっかり戻り、復帰に向けてリハビリに励んだわけですが、結果を言うと、退職することになりました。仕事に復帰できるほど脳の機能が復活できなかったためです。

また、このことにより今までの生活も二度とできなくなったため、住まわれていた家や所持品諸々引き払うことにもなるわけですが……………。いろいろあった模様、とだけ書いておきます。

やりたいことを思いっきりやる。それもひとつの生き方ではありますが、やはり自分の体が健康であり、管理ができた上で初めてできること。日頃の健康管理を無視して生きることは、自由に生きる範囲も狭めていることでもある…。

お見舞いに行き、かつての姿からみるみる変わっていく知人をみるたびに、その思いにかられたのは言うまでもありません。

お読みいただきありがとうございます。ご支援いただけると大変ありがたいです。