感想 [1984]ジョージ・オーウェル、[自己家畜化する日本人] 池田清彦

どうも、1年次生をフル単で終えられて一安心しているらおです。
憲法とか、西洋思想史とか落としたかと思ってたけど何とかなっちゃうもんなんですねぇ。
まあ、全体の成績としては上出来とはとても言えないですけどね…

ほい、ということで今回はかの有名のディストピア小説、「1984」とたまたまその後に読んだ「自己家畜化する日本人」に関連が見られる気がするというお話。

まずは1984のあらすじ確認をば。
舞台は推定1984年、ビッグ・ブラザーをトップとする支配体制の元にあるオセアニア。
そこでの公用語である英語を元にした新言語、ニュースピークは年々語彙を減らしており、人の思考は言語によるという思想の元で、政治的な意味を持つ単語や複雑なニュアンスを持つ単語を消滅させることによって、(例えばfreeの中から精神的に自由であると言った意味がなくなったり、素晴らしい、美しいといった表現良い、もしくは超良いと言った具合に表現されたりする。)最終的には党の方針に合わない思考そのものを不可能にすることを目指している。
曰く、
無知は力なり、隷属は自由なり、戦争は平和なり。

その中で党の職員として勤務している主人公は思考を統制され、日々監視の元にある生活に息苦しさを感じており、バレない程度にそのルールを破り、ある女と駆け落ち的なsomethingをしようと…
という感じ。

続いてそれに関連しそうな自己家畜化略 の論点
人類はオオカミを犬へ、イノシシを豚へと飼い慣らしたように、自分たちを自分たちで飼い慣らしている。
上位のものへと反抗する牙を自ら無くし逆に支配者階級のものも下層階級のものがいなければ生きては行けない社会構造が出来上がった 。
その中で重宝されるのは上からの命令を何も考えずに受諾し、何一つ疑問も持たずに遂行する、役に立つ人物である。
現に我々の価値観では、役に立つことこそが善であり、反抗するものは悪であるということを幼い頃から刷り込まれている。
この傾向は日本人に多いとされる。

1984の世界では党の理念を無批判に受け止めるものこそが善であり、それ以外の思想は全て悪である。そして悪は隣人の手によって告発され、排除される。
これは自己家畜化の極地と言えるのではないだろうか。

実際、作中では、主人公は度重なる拷問、尋問のを受け、最後には「私はビッグ・ブラザーを愛していた」と心から思うようになっている。

まとまってないけど今日はこのへんで。文章書くのも練習中です。

なんか和辻哲郎の風土を読みたくなってきたかも。



では、また。

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