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愛車シャレード

さき さなえ
 
大切なこまごましたものを入れた箱を整理していたら、車のキーが出てきた。こんなところに入れていた……取り出して手に取る。じっと見た。
 
2010年までの21年間、私はこのキーを毎日使っていたのだ。いつも玄関の台の上の箱の中に、家のキーと一緒に大切に保管していた。
 
愛車シャレード!
私があんなにまで愛した車!
 
取り出したキーをなでていると、次から次へいろいろ懐かしい思い出がよみがえってきた。
 
私はこの車を、飼っていた愛犬ミミのために購入したのだった。ミニチュアダックスフント、まだ3キロにも満たない仔犬のミミは、とても好奇心旺盛で、外の世界を見るのが大好き。

可愛いミミちゃん♡♡♡

当時、私は車は持っておらず、自転車オンリーだった。ミミを前かごに乗せて、近隣の公園などによく行き、ミミと遊んだ。ミミは家の中にいるより公園で遊ぶ方がずっと気に入っていた。
 
でも、もう少し遠出をしたい。そこで自転車をミニバイクに代えた。行動範囲はずっと広がり、私もミミも、結構楽しんでいたけれど、途中で雨が降り出したりするとお手上げである。ミミの頭をスカーフなどですっぽりくるみ、急いで帰宅した。
 
そして……私は……車が……欲しくなった……。
 
 
車は経済的にも、問題なく誰もが簡単に買えるものではない。でも車が欲しいという気持ちは日増しに膨らんでいった。私は車の運転が大好きなのだ。20歳のときに免許を取ってしばらく乗っていた経験がある。
 
思い切って車を購入することにした!
 
慎重に色々調べた。当時、テレビでハリウッドの有名男優が乗って盛んに宣伝していたのが国産の限定車「シャレード」だった。セダンで、大きすぎず小さすぎず、実物は、テレビで見るより断然格好良かった。色はメタリックグリーン。ひと目惚れだった。
 
頭金だけ用意し、あとは3年間のローンを組んだ。
 
 
シャレードが家に来たときはもう本当に嬉しかった。ミミのために購入したのに、まるで私が自分のために購入したかのような喜びようだった。
 
琵琶湖の近くの近江神宮で交通安全のご祈禱をしてもらった。
 
そしてまず取り掛かったことは、
 
後部座席にミミ専用の特等席を作ること。マットを全体に敷き詰め、その上に布団と柔らかいクッションを三つ置いて、ミミが自由にそこで眠ったり、右や左の窓から外をながめて楽しめるようにした。とても居心地のよさそうな空間が出来上がった。
 
ミミは10歳になろうとしていた。
 
 
それからというもの、ミミと私は、シャレードに夢中になった。
私はそのころ琵琶湖のほとりに住んでいたので、毎日のように琵琶湖の浜辺へ車でおりてゆき、水辺ですぐそばに止めたシャレードを見ながら、ミミと遊んだ。
 
自転車やミニバイクと違って、ミミがシャレードに乗って疲れることは決してなかった。雨が降ろうが雷が鳴ろうが、シャレードの中にいる限り安全だった。何ひとつ心配はなかった。運転する私を、完全に信頼してくれた。
 
市街地を走っているときは、行きかう車や人を窓から興味深そうに大きな眼で眺め、静かな山の中を走っているときなど、退屈するとクッションにもたれてうとうとしていた。
 
そんなとき、私は何度「今、私は自分の人生で、本当に幸せな時を過ごしている」と思ったことだろう……。こよなく愛する愛犬ミミとシャレードでドライブしている……!
 
私はシャレードを、ますます愛するようになった。でもミミは、私などより、もっともっとシャレードを愛していたと思う。
 
ミミのためにシャレードを購入したことは、大正解だった。
 
琵琶湖を周遊した。奥比叡ドライブウェイを走った。京都へは何度も行った。高速に乗って東京へも行った。シャレードはミミと私をたくさん新しい場所へ連れて行ってくれた……。
 
私は外出するとき、玄関でミミに「行く?」と声をかける。そうすると、もう大変、ミミは嬉しくて嬉しくて、尻尾をちぎれんばかりに振って私に飛びつく……。
 
懐かしい思い出……
 
でも、ミミは……
 
2000年7月七夕の日に、あちらの世界へ旅立った。19年3カ月の長い生涯を全うした。生涯の後半10年以上をシャレードと共に生きた。
ミミが、シャレードに乗ってどんなに幸せだったか、私はよく知っている。
 
 
 
ミミ亡きあと、ペットロス症候群に苦しみながら、車で外出するとき、玄関で「行く?」と声をかける。そこにミミの姿はなく、静まり返っている……。
後部座席には、ミミのクッションも布団も全部前と同じように置かれたままだ。私はひとりシャレードに乗って、ミミと私の思い出の場所を何度も何度も訪れた。
たまらなく寂しかった……。
 
 
シャレードは、ミミが旅立ってから10年後の2010年9月、21歳になっていた。
車検を済ませたばかりなのに、頻繁にトラブルが起きるようになった。業者は、部品を代えたらまた乗れますと言ったけれど、私はもうこれ以上、シャレードを酷使することは出来なかった。新しい車もいらない。過去何度も修理に出した。いくら修理費がかさんでも、他の車に買い換えることなど思いもよらなかった。ミミがあんなに愛したシャレードなのだ。
 
シャレードを手放す決心がつくまで2カ月かかった。たとえもう乗らなくても、出来ることなら駐車場にそのまま置いておきたいと思った。
 
 
シャレードを感謝の気持ちを込めて磨き上げた。そして引き取りに来た業者に渡した。彼の運転で走り去ってゆくシャレードを見送りながら、涙があふれて止まらなかった。
 
私は、ある古い新聞記事のことを思い出していた。シャレードに乗り始めた頃だったと思う。アメリカのある大富豪が、自分の愛車の墓をいずれ自分が入る墓の隣に作ったという記事だった。
アメリカのように広大な土地だからこんなことも可能なのだろう。でもその記事を読んだとき、私は感動し、心底、うらやましく思った。
 
 
 
別れとは何だろう。
 
愛する人との別れ。離別、死別。
どんな事情があろうと、別れは寂しいものである。悲しいものである。
対象が人であれ、愛犬であれ、愛車であれ、ふるさとであれ、国であれ、何であれ、「別れ」と言う言葉に明るい響きはない。
それがしばしの別れであっても、永遠の別れであっても……。
 
ミミとシャレードだけではない。私はこれまでの人生で、多くの別れを経験してきた。
両親との永遠の別れ、とてもお世話になった人との別れ、無二の親友との別れ……。
 
 
そして今思う。別れに当たって、より悲しいのは送る側であるということ。送られる側の寂しさは、送る側よりも……ずっと軽くて済むのではないか……ということ。
 
 
ミミとシャレードとの別れは、時が過ぎて、懐かしく大切な美しい思い出となった。
 
 

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