『言の葉の森』より印象に残った言葉

『言の葉の森』チョン・スユン、亜紀書房、2021年より


身を捨てて ゆきやしにけむ 思ふより
ほかなるものは 心なりけり

 私の心が身体を捨ててどこかに行ってしまったのでしょうか。
思うようにならないのが心というもなのです。凡河内躬恒(おほしこうちのみつね)『古今和歌集』


家出

心は時々家出する。自分の心が家出した時、私は実際に大きなトランクを持って家を出た。遊びに行こうという心の声をきたのは、それが初めてだった。
私は長いあいだ、素直ないい子だった。独立心などこれっぽっちもなかった。高校生の時、同じクラスの子が二、三日家でしたのを見て、内心ひどく驚いた。大学生の家庭教師の先生と恋愛しているのがばれて、反対するお母さんに反発して旅行してきたと行った。うわあ、すごい。家出だなんて。家庭教師と恋愛するなんて。本を呼んで想像していたようだ。制服に包まれた私の心は、土に埋まった石ころよりおとなしかった。石ころはじっとしたまま夢ばかり見ていた。
 おとなになった。食べてゆく道を探した。恋愛をした。お酒を飲んだ。たびに出た。しかしそれは逸脱ではなかった。こんなに従順なままで終わるのだろうか。
 結婚して子供を産み過程をもって責任感のあるおとなになって社会に貢献……。ちょっ、ちょっと待てよ。私もかつては良妻賢母(!?)を夢見ていた。でも、何か違う気がした。思い切り好きなことをやってみたい。気の向くまま、足の向くまま放浪してみたい。土の中に埋まっていた石ころが、突然飛び出して揺れ動いた。
 会社を辞めた。荷物を詰めた。積立預金を解約した。飛行機のチケットを買った。日本で下宿を探した。雨が降った後に新芽が出るみたいに、私は一人で知らない場所に行って伸びをした。生まれて始めて自由を満喫した。独立。私を産み育ててくれた人たちや社会から離れた。それがはじまりだった。石ころだと思って心が、どこに伸びてゆくかわからない木の種であったたことに、ようやく気づいた。
 心がばりばりと裂けてゆく。心が揺れ、身体を飛び出そうとする、その時が人生で最も大切な瞬間だ。人によって形や時期は違っても、誰にでもそんな瞬間が訪れる。自分で自分を形成する時が。私の心は身体を捨ててどこに行ってしまったのだろう。そんな和歌が口をついて出るほど心がからっぽになった時。人生で新しい局面を迎えた瞬間だ。ため息ばかりついてないで、家でした心を探しに、さっさと身体をうごかすべきだ。普通はそんな時、それまで持っていたものをすべて捨てていかなければならない。それは難しく、勇気を必要とする。
 だが、いくら引き留めようとしても、すでに離れた心を引き戻すことは出来ない。心は思いどおりにならないものだから、身体が追いかけてゆくほかないのだ。心が家出した身体は、すぐにさびつく。蜘蛛の巣がかかる。廃屋になる。ちょっと押しただけで崩れてしまう。だから心が家出したときには、けっして見て見ぬふりをしてはいけない。


世の中は なにか常なる あすか河
昨日の淵ぞ 今日は瀬になる
(この世の中に変わらないものなどあるのものですか。飛鳥川では昨日は深い淵だったものが今日は浅瀬になっているではありませんか。)詠み人知らず『古今和歌集』


不可能なこと

三島由紀夫はエッセイでこんなことを書いている。

私は小説を書くに当たって、まず第一に、大へん困惑している。どうしようにもないほど困惑している。私が日本で、東京の一角で、一遍の小説を書きはじめるということは不可能なのではないかと思われる時がある。だから率直にいえば、私の小説は、この不可能事からの行く文化の妥協にはじまると言っていい。(「私の小説の方法」)

 私がこの本を下記始めた時がそうだった。ソウルの片隅で和歌をテーマにしたエッセイを書き手本にすることなど、とうてい不可能だと思えた。そこでぐずぐずしていたなら、永遠に会うことはできなかった。こんな文章で、こんな形で、あなたと私が。
 だが考えてみれば世の中のすべての本、映画、絵画、音楽、建物、服飾などの始まりは不可能性にある。いったいこんな本が、映画が、建物ができるのか。みんなが使うものになれるのか。神ではないから、人間はそんな一抹の不安を抱いて仕事に着手する。これはこの時代に甘楽図必要なもの、あるいはとても役に立つもの、あるいはないよりはましなものになるのではないかと、その不可能性と少しずつ妥協してゆく。
昨日はアイデアの段階だったけれど今日はこれまで自分なりに準備してきたものを存分に発揮する。人間はそんなふううに、昨日まで存在しなかったものを今日創り出すこともできるし、逆に今日まで存在していたものを明日消滅させることもできる。人間の気持ち次第で世の中は一瞬ごとに変化する。多くの人がいろいろな着想をして作業をすいこうするから、世の中は少しもじっとしていない。それが生きて働く世の中というものなのだろう。日常は毎日同じ様に見えてもこの世に変化しないものなど存在しない。人間は少しずつ何かをしなくてはいられない動物だからだ。
 少なくとも私達に夢があるならば、すぐには実現できそうになくても、いつか芽が出る。毎日少しずつその方向に動いてさえいれば。その可能性に向かって進むいささかの妥協が私たちの人生を、私たちの住む世の中をどれほど変化させるだろう。
 生前、ノーベル文学賞候補に挙がっていた頃、地球上でもっとも優れた小説家と言われたほどの才能と独自の文体を持っていた三島由紀夫ですら、小説を書くたびにに思った。自分が小説をかくなんて、あり得ない。
 私も思う。この本もすでに最終段階に来ている。ほんとに出版されるんだな。びっくりだ。キノは深い淵に渦巻いていた河の水が、今日は急流になって流れてゆく。少しずつ水の量を増やしていけば流れが変わる。それぞれが持つ大きな、あるいは小さい志や夢、どれも不可能に見えるけれど、世の中は動かす方向に動く。それはほんとだ。


さらばよと 別し時に 言はませば
われも涙に おぼほれはまし
(別れる時にさよならと言ってくれたのなら涙を流せたのですが、何も言わないから泣くことすらできないでいます。)伊勢「後撰和歌集」


ピリオド

アンニョン(安寧)!
元気でいてね。別れる時、韓国ではそんなメッセージを込めた挨拶をする。
Goodbye!
神があなたと共にいますよに。英語圏では’God be with you' の縮約語を使う。
再見!
また会いましょう。情に厚い中国人は名残惜しさを込めてそう挨拶する。
さようなら!
日本語の〈さようなら〉は、〈さらば〉〈さようであれば〉から来ている。〈それでは〉〈そうしないといけないのであれば〉といった表現が繰り返されるうちに、別れの挨拶になった。最近では、軽く「じゃあね」と言う。別れながら、今日のこの瞬間にピリオドを打つのだ。〈また会おう〉〈神のご加護がありますように〉〈お元気で〉というようなメッセージなしに、ただあっさり背を向ける。
「私たちは、今回はここまでです。さようなら」
簡潔を身上とする日本人らし挨拶だ。自分の意思より森羅万象をつかさどる強大な力を信じ、そういうことなら仕方ないと受け入れる気持ちがこもっている。ちょっと冷たく思えるかもしれないけれど、別れが簡潔なのと同じ様に、大きな問題やよろ込日もいつもすべて過ぎ去るだろうという思いが根底にある。小さなことに一喜一憂しないとでも言うか。
 伊勢は言う。あなたが別れの挨拶もせずに去ってしまったせいで、私は未練が残っているのですよ。出会いも関係も仕事も恋も、きっぱりとしてこそ気持ちが安らかになるのに。はっきりさせましょう。私たち、ほんとにこれで終わりですか?ちゃんと言ってください。そうしないと、新たな出発もできません。
 さあ、それでは、この本はここまで。次の本でまた会いましょう。
 皆さん、どうかお元気で。
 サヨナラ、そしてアンニョン。



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