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銀塩写真とデジタル写真と画像生成AI

写真専門学校を中退して郷里に戻り、20歳から約10年間ほど写真の現像所に勤めていた。わたしは今56歳だから、もう25年以上昔の話だ。

当時は写真といえばフィルムで撮って印画紙にプリントするのが当たり前だったが、家庭用ビデオカメラの普及でビデオへの移行がはじまり、1995年からパソコンが個人に普及し始め2000年くらいからカメラ付きケータイが爆発的に普及したことで、銀塩写真は息の根を止められた感がある。
ケータイで撮ってケータイやパソコンで見る文化とでも言えばいいだろうか。写真を見るために紙に出力する必要がなくなったのだ。

話がずれるが、この時にはわたしは次の職場に移っていたので、運よく「勤めていた会社が倒産」という最悪なシナリオは経験せずに済んだ。


銀塩写真からデジタル写真になって、いわゆる一般の人が写真を撮るハードルは確実に下がったように思う。

ケータイの画質に我慢できなかった人達(アマチュアカメラマンなど)は狼狽えた。それまでの価値観を根底からひっくり返されてしまったわけだから、戸惑いは大きかったし反発も大きかった。

でも一般の人からすれば福音だ。
高価で重たいカメラを首から下げて(またはカメラを手に握りしめて)歩かなくても、いつも持っているケータイにカメラが付いている。
気が向いた時にケータイを取り出していつでも撮れる。
36枚撮りカラーフィルム1本+現像・プリント代で約2,000円かかっていたのが、カメラ付きケータイだけでよくなったわけだからお金もかからない。


特に今は、スマホで撮ってスマホで見る時代だ。
毎年のように、内蔵されているカメラの性能は飛躍的に良くなり、液晶画面は高輝度高彩度の大画面になっている。
カメラの画素数は2400万画素くらいは普通だし(センサーサイズを無視した話ならウチの持っているZ50の2088万画素より多い)、液晶は昔のE版(82.5mm✕117mm)とほぼ同じ大きさだし、ピンチイン/アウトで拡大も縮小もできる。
他人に見せるのはメールで送るなりSNSで共有なりすればいい。

出力する必要がまったくない。


そんな時代なわけだが、最近は、若い人の間でプリントを楽しむ流れというのもあるらしい。
代表的なのが富士フィルムのチェキだ。もう何年も前から「エモい」と人気で、フィルムは常に品薄状態らしい。

おっさん的にはこのエモいという感覚がよくわからないので困ってしまう。
知ってる言葉だとフォトジェニック(写真的な・写真映えする)が似てるのかなぁと思ったらそうでもないらしく、もっと色んな感情をひっくるめて「エモい」と言うらしい。ニホンゴムズカシイ。


また、フィルムカメラとオールドレンズを使ってオシャレな写真を撮る人もそこそこいるらしい。
シャープ過ぎない…というかピントがキッチリきてなくてもOKみたいな感じで、色調はたいてい青みがかっていたり緑がかっていたりする。

うーん、これもやっぱりよくわからん(笑)
怒られるのを承知で正直に言うと「期限の切れたフィルム級にカラーバランスが崩れてるように見える」し、「フィルム使ってもオールドレンズ使ってもピントはもっときっちり出る」と思えてしまう。
「YとM足してDももう少し上げて…」とかいらないことも考えてしまう。


もちろん、それがいけないというつもりはないので誤解なきよう。
単純にわたしの感性がついていけてないだけだと思う。
職業として10年間毎日1万枚くらいプリントしてたわけで、そういう風に頭が固まってしまってるんです。ゆるしてつかーさい。


実は最近の画像生成AIの流れを受けて「ひょっとしたら銀塩写真が少し盛り返すんじゃないだろうか」なんてことを密かに思っていたりする。
以前のような勢いにはならないと思うけれど。

画像生成AIが吐き出す写真風の画は、もう結構たいしたところまで来ていると思う。女性が写っているといわゆる「マスピ顔」で不気味の谷を感じてしまいすぐ分かるものが多いが、風景だけなら簡単に見分けがつかない。
そんなものを相手にするわけだから、写真を撮る人は写真が持っている独自性を全面に押し出していくしかないのではないか、と思っている。


銀塩写真の特徴として「画像の改ざんがし辛い」ことが挙げられる。
特にプリントせずプロジェクターで投影して見るポジフィルムは画像の改ざんがとても難しい。
どのくらい証拠能力があるかと言うと、30年くらい前の警察の検視解剖の写真はポジフィルムで撮られてたくらいだ。現像してたワシが言うんだから間違いない(今のことは知らん)。


「これはわたしが撮ったものですよ」というオリジナリティを証明する必要は、多分この先増えてくるんじゃなかろうかと思う。
これは確実にここにありましたよ、とか、この時間にこの場所で確実に撮ったものですよ、とか。

デジタルデータなら写っているものを消したりするのも容易にできる。存在しないものをあたかもそこに元々あったようにすることもできる。Photoshop の 生成塗りつぶし機能なんてその最たる例だと思う。

電子透かしのような証明が強固になればそれが一番いいのかもしれないが、オリジナリティの証明証拠性という点では銀塩写真は見直されて良いのではないか、と思う。


あとは産業としてペイできるかどうかだが、これは厳しそうだ。
何気なく8✕10 20枚入りのポジの値段を調べてコーヒー吹きそうになった。ほぼ新品のミラーレス1眼入門機のボディと同じ値段だ。

フィルムを作れるメーカー自体がなくなってしまってるから、仕方ない話ではあるわな。


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