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無計画が生んだ山(20230410)

積読の山が成長する一方で、読むスピードが買うスピードに全く追いつかない。全部の本をひとつの山に重ねているわけではないので正確にはわからないが少なくとも標高1メートルはゆうに超えている筈だ。(ヘッダーの写真はその一部。およそ標高40cm。)

その時に欲しい本を後先考えずに買い、その結果が山となって部屋の片隅に鎮座している人は少なくないだろう。己の無計画さがそのまま形になって訴えてくる。
例えば今のように日記を書いていて、言葉が浮かばず手を止めて考えるとき、必ず癖で右隣を見る。そこにある本の山と目が合って、まるで他人事のように笑ってしまう。おいおい大変なことになってるぞと。笑い事ではない。

私は必ず毎週一冊は本を購入している。そう心に決めているのではなく、なぜか本を買わないと居れないのだ。読みたい本が尽きないということも勿論あるのだが、新しく本を購入することが私にとってストレス発散行為なのだと思う。
私は本屋が大好きだ。仕事帰りに本屋に足を運ぼうと思い立った瞬間からもう嬉しくてたまらない。本屋で過ごす時間が、空気が癒しなのだ。
入店すると少なくとも1時間は歩き回ってしまう。納得できる本と出会えるまで時間を忘れて背表紙を眺めてまわる。何も買わずに店を後にするわけにはいかない。その自分の中の謎の義務が私に山を作らせているのだろう。

とにかく、積読を崩すことに徹するべきだ。今の私は本を読む時間が少なすぎる。1日のスケジュールを円に書いて予定と実際で比較して無駄な時間を読書に充てるべきだ。

とりあえず休日の予定の骨組みとなるものを書いた。活動の枠にその日その日でやることを決める。主に散歩、絵、映画、ゲーム、読書、掃除で埋まるだろう。しかしチラッとスマホを確認した際にうっかりTwitterやYouTubeを開く可能性が大いにあるので必ずしも予定通りに完璧にうまくいくわけではない。いや、いくわけがない。実際に試してみて、十分に成し遂げられなかった場合は自分へのペナルティも用意する必要がある。

昨日初めてnoteに日記を投稿したが、早速己の欠陥の話になってしまった。しかし足りないところがあるからこそ日記を始めてしまうのかもしれない。足りない部分を埋めるため、自分と向き合うため、欠陥ありきの日記なのだろうか。

公開するにあたって、あまりパーソナルなことは載せられないと思い、今日考えたことのうち書けることがかなり少なかった。積読のことしか書いていない。しかし日本人の5人に1人は積読に悩まされていると思っているので誰もが共感できるはずだ。

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