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妄想のなかの大江さん

 大江健三郎さんを悼む声が広がっている。

 学生時代を仏文科で過ごしたひとりとして、大江健三郎作品はかじりつくようにして読んだものだった。ぼうっと生きていた身には難解さを感じることもあったが、それこそ祈るようにして夢中で読み進めた記憶がある。

 しかし20年経った今、落ちこぼれ学生であった私が大江さんのことをもっとも強く思い出す瞬間は、ブルボンのお菓子をお店で手にとるときだ。「それはブルボンのお菓子!」と、聞いたことのない大江さんのツッコミが脳内にあらわれ、すこし笑ってしまう。

 この妄想は私が生み出したものではなく、長嶋有氏によるものだ。長嶋氏のエッセイ集『安全な妄想』は、私の「疲れすぎてもう一文字も読みたくない夜に読む本」のうちの一冊で、積年の疲労を吸い取ってくれたかのように、もうよれよれになっている。それほど読み返してきたなかでも、とくにお気に入りの一編が「教養」で、長嶋氏が大江さんと公開対談をしたとき、檀上で彼の脳内で瞬間的に浮かんだ妄想が、上述したブルボンのお菓子のくだりである。

大江さんは僕のため、とてもざっくばらんに接してくれ、おかげでしばらくは順調に対談がつづいたが、僕は油断せずに身がまえながら相槌をうち続けた。
「あなたはフローベールをご存じですか?」不意になにげなく放たれた大江さんの質問に、僕の喉は鳴った。きたな、と。なにか質問がある気がしていたのだ。
 フローベールって、たしか『ボヴァリー夫人』を書いた人だよな。ブルボンのお菓子じゃないよな。

「教養」長嶋有『安全な妄想』(河出書房新社, 2014)

 「ボヴァリー夫人ですよね」と答えるか、いや間違っていたら……と瞬時に繰り広げられる妄想。大江さんの「ご名答!」を引き出せるか、「それはブルボンのお菓子!」と訂正されるか。実際の対談がどうなったかはさておき、この妄想のやり取りが、私のなかの大江健三郎像を大転換させてくれた。

 学生時代は、自分ごときが「大江健三郎が好き」などとはとても言えないような空気があったし、今でもそうだ。相当の知識と教養がないと語れない存在。でも、この妄想のなかの大江さんはひょうきんで、懐の深い大先生のような雰囲気を醸している。私も仏文の教室に戻って、大江さんにいろいろ質問してみたい、思いきり誤訳をして呆れられてみたい、と妄想してしまう。

 今でも、jaguarの車を見かけると「ジャギュア」と呼ぶし(『叫び声』より)、やりきれないときは「なにくそ、なにくそ!」(『静かな生活』より)と傍点つきで踏ん張る。大江作品から学んだことはもっといろいろあるはずだけれど、日々の生活のなかに、妄想のなかにふと立ちあらわれる大江さんの影は、とてもいとしい。


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