生きる意味

人々の中には生きる意味を見失っている人がいる。
それに対する答えとして、「生まれたからとりあえず生きる」とか、「楽しいから生きる」とか、そういう回答もあると思う。
別にそれは否定しない。人それぞれ答えがあっていい。
ただ、私なりの、そしてとりあえず今思っている生きる意味をここに書き付けておこうと思う。

私はかなり苦しかった。なぜかは伏せておくが、精神的にとても苦しかった。
将来が全く見えず、過去を振り返ると後悔ばかり。そんな日々が続いていた。

自分で命を絶つことも考えた。こうやってこうやって...など手順も考えた。
しかし、それでも実行には至らなかった。
歯止めをかける自分がいた。歯止めをかけていたのは、この世への未練だった。

これはあくまで私の願望なので、別にこれが人生の正解とかではないのだが、素敵な女の人と結婚し素敵な家庭を築いたり、自分の好きな勉強を極め好奇心を満たす生活をしたり、音楽を仲間と作りネットに公開し様々な人の心を動かしたり、いろいろなやりたいことが思い起こされた。

ここからが本題なのだが、生きる意味とは、こういったこの世への未練を1つずつ潰していくことだと思う。

悲しいことを言うようだが、私は満足に死ぬために生きていると思う。

今回は、この生への未練によって私の命がつなぎとめられ、いま素晴らしい日々を送っているから未練があってよかったと思えるが、そうは言っても私も人間である以上いずれ死ぬのである。

死ぬ瞬間がどういったものであるかは分からないが、死ぬときにまだ生きていたいと思う気持ちをできるだけ小さく押えたい。

生きているうちにやれることはやり尽くした、もう生きていてもやることがないから死んでもいいや
と思えるようにしたい。

もちろん、やりたいことはつぎつぎと出てくると思う。
それでも、少しでも多くのやりたいことをやり、くたくたになるほど生きることが、死ぬときの未練をなくすことに繋がると思う。

私が死ぬとき、目新しいことが何もなくなった人生に退屈さを感じ、死を受け入れられる状態にすること。
それこそが私の生きる意味なのである。

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