四季に巡りて【春】
四季を通して生まれる、誰かの物語――
❀長過ぎた春の先に❀
(二)
男性は、私よりも三つ上で「ヤガミ」さんといった。歳が近い事もあって、ついつい話が弾み、新幹線の中では、思いの外飲んでしまった。京都駅に着く頃には、心地良い眠気も合わさり、今すぐにでもベッドに潜り込みたい程だった。
駅直結のホテルでちょうど良かった。
「すっかり飲みすぎてしまいました。楽しい時間をありがとうございました」
駅構内で、ヤガミさんはそう言いながら、手を差し出した。
「ええ、私も、良い時間を過ごせました」
私は、差し出された手を、握り返す。
「素敵な旅を――」
そして、笑顔で別れた。
翌日は、快晴だった。目的の場所は少し遠かったのだが、天気の良さも相まり、気分は既に最高潮だった。
京都駅烏丸口から八十三のバスに乗車し、一時間弱と徒歩数分。目的のS寺に到着した。景色を観ながらであった為、あっという間に到着した感じがした。
S寺へ続く階段を登り、さほど待たずに入れるとは、やはり平日の旅行はなんて素敵なのだろう。
拝観料を納め部屋に案内されると、鈴虫の鳴き声が心地良く響き渡る。
鈴虫の音色を聴きながら、茶礼を受け、説法を聴く。何とも贅沢な時間だった。
説法の後は、皆、黄色い『幸福御守』を授かろうとしており、私も例に漏れず、授かる。
そうだ、佐和子にも。
と、もう一つ追加した。
そして、自分の御守りだけを手にし、順番が来るのを待つ。
願い…。
私の願いは……。
考えている傍で、何をしてるのだろう、と不思議そうにしている参拝者の目線を感じ、あっという間に自分の番になっている事に気付いた。
少しばかり焦り、それを誤魔化す様に目を閉じ、手を合わせた。
願い事――
と、言って良いのか分からない程の内容ではあるが、心の中で発する。
説明の通り、自分の住所と名前も、神様に伝えた。
S寺の後は嵐山方面を堪能する事にし、夕方になる頃には、心地良い疲労で、バスに揺られていた。
散々歩いた筈なのだが、歩行者を見ていると、無償に街を歩きたい衝動に駆られ、途中でバスを降りた。
珈琲をテイクアウトし、鴨川沿いのベンチに腰を下ろした。丸太のベンチは座り心地が悪く、結局また少し歩いて、座りやすいベンチへ移動した。
もう少しすれば、夕日が見えそうな時間帯だ。
夕日といえば、洸人と付き合い始めた日も、夕日を見ようと、こんなふうにベンチに座っていたんだっけ――
不意に、洸人を思い出した。
その時、
「お嬢さん、お隣、座って良いかしら?」
声がした方を振り向くと、女性が一人、微笑みながら立っていた。
「あ、はい、どうぞ――」
私は、女性が座りやすいよう、少し左に移動した。
「ありがとう。失礼しますね」
女性はゆっくりと、私の右隣に座った。
地元の方だろうか。でも、京言葉では無いような…そう考えて居ると、考えが筒抜けだったかの様に女性は、
「お嬢さんは、こちらへは旅行かしら?私は、旅行ですのよ」
と、優し気な表情で話しかけてきた。
「はい、そうです。京都に、一度来てみたくて、昨日から来ています。一人ですけど」
そう答えると、女性は増々笑顔になり、
「そうなのねえ。私も、一人で来ているのよ」
意外な返答に思えた。
私の勝手な判断だが、とても品のあるその女性は、長年連れ添った御主人と、てっきり夫婦で仲良く旅行に来ていると思ったのだ。
「――主人をね、十年前に亡くしてから、こうして毎年この時期に、京都に来ていますの。このベンチに座って鴨川を見るのも、毎年の恒例ですのよ」
胸の中が、ギューッと、痛くなった。
「…それは…ご愁傷様です。御主人との、思い出の場所なのですね?」
ふふ、そうなの、と、女性は川を眺めた。
「子供に恵まれなかった私達は、旅行が趣味でね。あちこち、色々な所に連れて行って貰ったわ。主人と初めて旅行したのは京都だったのだけど、最後の旅行になった場所も、京都でしたの。旅行から帰ってから、体調を崩して…検査をしてみたら、癌が見つかってね。それから、すぐに…早かったわ…」
安易な言葉でなんて、返せるはずが無かった。
そう思いながら、無言の時が少しの間、流れた。
最愛の人との、突然の別れ。
どれだけ、辛かっただろう。
どれだけ、心細かっただろう。
どれだけ――
涙が、すっと、流れてきた。
「あらあら、ごめんなさいね、何だか、暗い話なんかしてしまって――」
女性からポケットティッシュを差し出され、受け取った。
「…すみません、私…突然…すみません」
「――優しいお嬢さんね」
女性は、私を見つめ、穏やかに微笑んでくれた。
「実はね。京都に来るのは、今回で最後にしようと思って来たのよ。もう、歳ですしね。来年の事も、明日さえ、どうなるかなんてわからないでしょう。施設にも申し込んであってね。帰ったら、そこに入るの。だから、誰かに聞いて貰いたかったのかもしれないわ――」
女性は、川岸や、夕日に染まる空に目をやる。今日が、最後だから。しっかりと、五感に刻むように。
そんな思いが、私にも、伝わってくる。
「聞いて下さった方が、あなたのようなお嬢さんで、良かったわ。ありがとう――」
女性の温かな手が、私の手に、重なった。
続く
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