体力の減退

※この記事はオードリー若林さんの同名のエッセイの構成や主張を転用しています。自分の練習とリスペクトを込めて

【起】減退
今年で33歳、肉体的に、精神的にパワーが落ちてきたことを感じる。
若い時なら一晩寝たら風邪なんて絶対に治ったがいまは2日でも3日でもこじらせている。
よる12時になったら強制的に電源が落ちるように眠くなったり、
何もしなくてもやせ型だったのに、お腹もポッコリ出てきている。

性欲も低下してきたのだろう、女性と話しても緊張しなくなった。
どう見られても良くなったのだろう。
ただこれが性欲だけではなく、前進する意欲、夢を見ようとする意欲減退にもつながっていないかすごく心配だ。

【承】ネガティブには体力を使う
最初に実感したのは、後輩から自分の仕事をしてきされても受け入れられるようになったことや、
自分がカバーできない仕事があっても「専門外だから」と思ってしまったことだ。
前ならば悔しいと思っていたことが、そんな気力も湧いてこないのだ。

20代のころ、自分が失敗したことをクヨクヨと気にしながら生きてきた。
そんなことがなければ、もっと割り切って楽しく過ごせていたかもしれないと思った。
ネガティブは有り余る体力だ。

自分の体面を気にしすぎて人とうまく話せない自分。
その自意識はありあまる体力だと思う。

可能性うんぬんを語る余地は日に日に狭くなり、
能力も可能性もある後輩に突き上げられるようになった。
自分のできることに集中して、やりきるだけで精一杯になった。

昔は家に帰って眠れないくらい反省していたのに、今は疲れてすぐ寝るし、寝る前は何も考えないでいいように漫画を読んでいる。

【転】プレッシャーで目を覚ませ
そんな自分が、今度転職することになった。
自分の実力以上の、チャレンジングな大役を仰せつかるこっとなった。

いくら天才を諦めたぼくでも、
信頼してくれて仲間に引き入れてくれた社長に、成果で返さなければならないという強いプレッシャーを感じる。
有能であると思われたいとあがくつもりはないが、期待以上の働きをしなければという責任感が、ありがたいことに心の底から湧いて出てきてくれたのである。

どうすれば自分が成果を出せるだろうか、それをどのように人に伝えていけばよいのだろうか。
これまでも言語化しようとしていたことはあったが、ここまでの切迫感をもって考えたのは初めてのことだ。
自分はずっと自意識と、自己顕示欲と、承認欲求を満たすために仕事をしてきたんだろう、と気づいた。

かたちだけ取り繕った資料、あいまいな言い回しで分かったよう気にさせるミーティング。
そんな仕事のための仕事にならないように心がけて日々働いている。
文化祭のような、スポーツのような「結果」「モノ」が伴うことをやろう。この切迫感は自分をどこまで連れて行ってくれるだろうか。

【結】上ではなく前を向く
まだチャレンジにワクワクできるなら、自分は大丈夫だと思う。
これから2年間突き進んだ先に、その後の25年~50年の人生の初心が見える予感がする。
エネルギーを「上」に向けられなくなったら終わりではない。
「正面」に向ける方が、今に向けたり自分に向けたりする方が、奥が深いのだと思う。

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