シュークリームのクリーム


今日、仕事の休憩時間にシュークリームを食べた。
甘いものの中でも、シュークリームが、特に皮が薄くてモチっとして、クリームにバニラビーンズが入っているやつが好きだ。

シュークリームの中でもサービス精神旺盛なシュークリームは、クリームが得てしてパンパンに詰まっている。
嬉しい反面、かじろうとするとシュークリームの中の空間が狭まり、クリームが溢れ出して指が大惨事になる(なった)。
対策としては、その状態になったら丸ごとほうばる、少しクリームを吸うなどいくらでもあるはずだ。

そんなことは食べていれば事前に気づけるだろうと言われると思うが、なんせこちとらシュークリームが美味しくて頭の中がお花畑なので反応できないのだ。

この分かっていても反応できない、無意識に反応しないことを選ぶ現象を、シュークリーム現象とこの記事の中では呼ぼうと思う。
早く家出ないと待ち合わせ時間に間に合わないけど、少しだらけてしまい結局タクシー代がもったいないシチュエーションもシュークリーム現象だ。

このシュークリーム現象、一言で言えば油断だと思っている。
頭の中では気づいているが、反応しないのだ。シュークリームのうまさの前では、指が汚れることなど小事なのだ。

たとえばこれが指についたらすごく痛い何かだったり、タクシーの場合でも500万かかる、とかであれば即座に対応するはずだ。
つまり少しの痛みは許容してしまっているのだ。

これはそう、油断だ。油断であり勿体なさの許容であり、経済的に最適ではないのだ。少しの痛みに反応する体力をケチっているとも思う。

こんなことないよ、と思う人も多いと思う。それはリスク感度が高いのだ、それは非常に羨ましい。自分としてもリスク感度が高くなりたいと追い求めた時期もあったが、やがて向いていないことに気づいてやめた。リスクに気をつけようと思っても一向に気がつかないし、むしろそこにばかり気を取られてなにも進まないのだ。

昔は思わなかったが今はこう思う。これで良いと。
自分の特性である油断しやすい、鈍感さは良いところでもある。楽観して少しの摩擦は無視して突き進めるのだ。

別にシュークリーム現象が起きても傷は浅いのでそこは気にせず自分ができること、なるべくなら自分しかできないことをやりたい。
それは一種の自分に対しての許しであり、体力の温存であり、生存戦略でもあるのだ。

ずっと自分の弱みを見て生きるより、強みを伸ばしたい。というのは今風だろうか。

逆に強みではとことんやらないと。生き残っていけない。これからはメリハリをつけて、省エネではなくエネルギー集中で生きていこう。そんな時代のそんな歳なのだと思う。

これからも、シュークリーム現象は終わらない。

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