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現象学女子〈42〉私がいじめられたらどうとらえるか

 中学生ともなると、彼らの関係のようにいじめなのかどうなのかはっきりしない、人間をよく見定めてから微妙に相手を傷つけるような、ある種の高度化したことが行われる。だがそこに属す必要がないのに属している以上、周りが不快でも本人たちの了解の範囲内と捉えるしかない。

 私は1年の時、椅子に画びょうの針が上向きの状態で置いてあったことが1度だけある。その時はそれに気づき刺さることはなかったが、私の席は窓際で画びょうがそこに落ちる必然性は全くない場所だった。つまり誰かの意図によるものであったが、その一回で終わっていたので、誰かのいたずらということで自分の中で処理しておいた。しかし今思えば、普通に傷害未遂(そんな罪名があるかは知らんが)でそのまま警察に通報するべきだったと思っている。そして指紋でも取れれば犯人はわかるのだ。その時は何か、ただのいたずらだろうから、学校の中で起こったことだから、義務教育中だからなど、自分の中でことを穏便に済ませようとする心理がなぜか働いてしまった。

 例えば、無視をするとか仲間外れにするというのはもしかしたら、やられてる方に原因がある場合もなくはない。要はその人に何か問題があって、だからみんなその人と関わらないようにしただけが、いじめとして受け取られるということも、もしかしたらあるかもしれない。だが肉体的なダメージを与えようとする、または与えること、あるいは言葉で直接暴言をぶつけるものは、もうこれは、いじめというより立派な犯罪である。なのでもしそういうことが起きればもうその場で警察に通報しようと今は思っている。そもそも学校の中だろうが教師を通す必要なんて別にないのだ。だが女子の中ではあまりそういうことは起きない。そしてそれ以外のネチネチしたものであるならば、私は耐えられる。他の子はどうだろうか?

 私はおそらくその時自分はいじめられてたのではなく、いじめをしなかったという方を見るであろう。私はいじめをしなかったというこんな立派な3年間を過ごしたのである。これは本当にすごいことである。その価値は歳をとればとるほど増すであろう。そしていじめをしたほうは一生復讐の恐怖におびえることになる。私は同窓会に出席して、もしいじめた人がいたら間違いなく

「私のこといじめてたよね?」と言うだろう。

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