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現象学女子〈36〉物とは意味のことである

 「もしうちが火事なって扉に火が回って扉からは脱出できないとします。窓は開閉式じゃなくて嵌め殺し窓でそれを割って脱出しようとするとき、割るのにちょうどいい物を探したらこいつがあるわけ」と私はギターを指さした。みんながそれを見る。

 「その時、こいつは『何』になるかしら?」と私はみんなを見た。そしたらみるくが

 「ハンマー?」と答えた

 「そう。その瞬間、ギターはハンマーとか鈍器として私の前に存在しているの。こいつのネックをもって窓にボディをスイングしてぶつけるために。これが何を意味してるかというと、物って言うのは、それ自体としてそのまま存在してるんじゃなくて『こちらの必要性に応じて』存在してるってことなの」

 「はあ」「ほう」「うん」「おう」とみんながそれぞれの返事をする。

 「もう一つ例を言うと、猫が教室に入ってきたとするわね。それで猫は机に乗っかったとします。この時、私たちにとって机って言うのはそこで勉強したり、給食を食べたりする場所だけど、少なくてもペンでノートに書き込むような勉強の概念がない猫にとっては机が『ちょっと高い床』になるわよね?つまり猫にとっては机って言うのは存在しないのよ。私も猫も同じものを見ていてもそれぞれの必要性が違うので、目の前の机は、私にとっては『机』で猫にとっては『床』になったりするの。つまり物って言うのは実は『意味』のことなの。それを踏まえて次のステップにいくわね」

 「はい×4」

 「例えば河原に落ちてる石があるわよね。これは科学者にとってはどんな成分から成り立っているかを調べたりするものかもしれないわよね?あるいは、芸術家にとってはそれに色を塗ったり削ったりすることによって作品のキャンバスのようなものになるかもしれない。また建築家にとってはそれを積み上げることによって建物の土台としての材料になるかもしれない。また工業会社にとってはそこから資源を取り出して商売にするかもしれない。この時、石というのはどれが正しい姿と言えるかしら?」

 「ああ、全部ってことね。要は普通は科学的な目線だけが正しいもののように思うけどってことか」と金井君が言った。

 「そうよ!だからその人の必要性によって石って言うのはその都度いろんな姿を現すの。現象学で一番大事なのはいつも言ってるように、それがそれ自体としてそのままの状態で存在するっていう観念をまず捨てることなの。そうすると現実って言うのは自分の外側にそれ自体として存在するんじゃなくて自分の必要性に応じてその姿を現すものなのよ。って言うことをハイデガーっておっさんが物と人とのこういった関係性を解き明かしたのよ。つまり物って言うのは規定される側で人って言うのは規定する側って言う関係性。わかるかしら?」

 「とにかく自分と外側の世界はコインの表と裏のようなトントンの関係ではないってことでしょ?世界の中に人間がいるんじゃなくて、人間側が常に世界を作っててその逆は存在しないっていうことね。双方向じゃなくて一方向のイメージね」と福田さんが言った。

 「そう!そういうこと!あくまで現象学的にはだけど。いいかしら?繰り返すけどだから物は人間にとってそれ自体で存在するんじゃなくて常になんらかの『意味』として存在してるっていうのはそういうことなの。ていうことはつまり物がそうであるならば、逆に言えば意味として人間にとって存在しているものはすべて人間側のあり方によって変化するって言うことなの!ここが一番大事よ!」と私は言って

 「んでそれを踏まえて結婚ってことなんだけど」と続けた。

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