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現象学女子〈33〉他者

 日曜日、金井君とみるくが家に来た。紅茶とお菓子を出す。金井君は貸してた太宰の本を返しに紙袋に本を入れてきた。学校で返せばいいのに。

 「体育のバスケの松井さん凄かったね」と金井君が言った。体育館の半面では男子もバスケで、松井さんのファイトに男子は釘づけだったらしい。

 「女の敵は女ってなんかの本で読んだ気がする…まあ、あくまで小説の中の架空の登場人物の考えだけど…でも本に書いてあることが現実に起こるとなんかうれしいよ」と金井君が続けて言った。

 「やっぱあれなの?あの競争心は優秀なオスを獲得するために具わった本能なのかしら?」とみるくが言ったので、私はみるくの誘いに乗ることにした。

 「生物学的に見たらそうかもしれないわね。でも本人はただ他者に勝ちたい、勝ったらうれしい、という感情しか認識できてないはずよね。現象学的にはそこが行き止まり。前に言ったけど現象学的には自分にとって認識できる範囲しか現実は存在しないって言ったでしょ?この前のファーストフード店の壁の向こう側に世界があるかどうかは、壁の後ろがその場所から見えない以上、あるかもしれないし、ないかもしれない。ただ私たちは、それがあると確信して生きてるけど、あの確信は本当は記憶や経験に基づく『類推』なのよ。ただそうだろうって思ってるだけ。そして毎回壁の後ろの世界があるからやっぱあるじゃん。だったら、ずっとあるよねって思ってるの」

 「てことは科学も説なの?つまり真実かどうかわからないってこと?」と金井君が言った。

 「厳密言えばそうよ。科学というのは、同じ条件下で同じ結果が出た時にそれを真実と見なすっていういわば『理念』なのよ。でも私だって科学が今も発展している現状を見れば、発展しているということは、科学はいずれ真実にたどり着くという予想、もしくは信頼と言ってもいいわ。そういう感覚は当然あるのよ。でもこの感覚も、科学は発展している、だから今後も発展するだろうという『類推』なのね。てゆーかなんの話だっけ?」

 「絹代ちゃんは本能に忠実。だったかしら」みるくも曖昧に答える。

 「あそうそう。つまり他者に勝ちたい。勝ったらうれしいという感情はなぜ、どこから来たのかは本人にしてみればわからないのよ。でも重要なのはそういう意欲があるってこと。意欲があるってことが生きる上でいかに重要なのかって話は前にしたと思うけど、要はどんなに裕福でも生きる意欲がない人と、どんなに貧しくても何かに対する意欲がある人では、本質的にどちらが本当に『裕福』かってことね」

 「そうか。その意欲の元が『他者』なのか」と金井君が言った。

 「そう。あとは、真と美ね」私はそう答えて紅茶をすすった。

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