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現象学女子〈49〉こうして距離は生まれる

 河野さんは女優を目指している。一応劇団なのか事務所的なものに所属している。しかし正直外見に華がある感じではないのであまり何かに出演したという話は聞かない。レッスン料という名目でお金だけとる事務所もあるらしいので気を付けたほうがいいとは思っている。

 とにかく彼女は意欲は凄いある。

 普通何かやりたいことがあったり、引き付けるもの、好きなものが最初にあるからそれに向かって、そういうものに少しでも近づこうとするのが意欲となる。

 でも彼女を見ると意欲だけが先に存在しその発露として、女優を目指すと言った順番になっている感じがしばらく接しているとしてくるのである。

 しかしそれでいいと思う。人間、意欲があることに理由なんていらないのである。生きてるから意欲があるでいいのである。意欲こそ生きてる証である。やりたいことなど後付けで全然いいのである。これは私も見習いたいところである。

 というのも彼女はよく「表現したい」と言っていた。「○○を表現したい」ならわかる。要は表現することをしたいと言いたいんだろうが、この目的語を伴わないで放置された「表現」と言う言葉の裏には実は「ちやほやされたい」が入ってる匂いがもうプンプンする。

 自分の下心を高尚な言葉で覆い隠す事は、人間がよくやることである。でもそれでもいいのである。ある意味かわいいではないか。本当にそう思う。ちやほやされたいなんて普通正直に言えない。

 それでも私は彼女を肯定的にとらえられるし、面白い。どこが面白いかと言うとこのちやほやされたいという自己承認欲求が意欲を満たす理由になっているところである。

 先ほども言ったが、普通は自己承認欲求があってその後にそれを満たす「何か」をするものであるが、彼女の場合「意欲」が先にあって、その「意欲」を満たすために自己承認欲求というものを使っている感じがして、普通の人間と何かが逆になっているところが面白いのである。それだけ力が溢れ出ているのが、私からしたらなんかすげーなという印象になってそれはそれでよかったのである。

 しかしである。

 これは河野さんから直接聞いたわけじゃなく、彼女の仲のいい子から聞いた話なので、実際真偽は不明である。でもその子が言うには河野さんはある女優の舞台を見に行ったらしい。そして花束を渡すためにその女優の楽屋に行こうとしら警備員に止められ「関係者の方ですか?」と聞かれたらしいのだが、「はい」と答えて中に入って花束を渡したそうだ。もちろん事務所に所属していると言ってもその女優とは全く何の関係ないところである。つまりこれは立派な不法侵入であって、犯罪である。警備員も中学生の女子だったのであまり警戒してなかったのかもしれない。

 繰り返すが真偽のほどは不明であるが、私はその時以前のいじめを受けた話から意識下にしまわれていた違和感が顔をだし、そこで何かと固く結びついた感覚がしたのである。

 意欲の横溢が暴走に変わっている。正直不法侵入という罪名は知らなくても社会のルールとして当然知っていなければならない。

 だが彼女はまだ中学生だし、過ちを犯さない人間などいない。幸い大事にはならなかったようだし、そもそも無関係の私がとやかくいう気はさらさらないし、彼女の悪い噂を流すつもりもなければ、彼女を糾弾するつもりもない。

 一方で以前の違和感が彼女のやんちゃな部分と結びついた時、私の気持ちも、「あ、これはちょっとあかんな」に変わったのである。

 そして私の中の「これはあかんな」が彼女との会話の内容をはっきり変えた。

 彼女の話は誘導したい方向がはっきりしているために合わせやすいと言えば合わせやすいので、だから接しやすいという印象があったが、そのころから私は彼女の誘導したい方向に合わせなくなるようになり、しかも「女優になることがいかに難しいか」などということを言うようになっていた。

 実際事実として女優になりたい人全員が女優にはなれないだろう。だから私は当然の事実を言ったまでであるが、しかし彼女の言ってほしいこととは明らかに違うのはわかっていた。それでも彼女を応援しているからこそ心配しているのだという風を装い、親身の皮をかぶって「あえて厳しいこと」を言っている感じを出していたら、自然と彼女から話しかけられなくなっていた。私は彼女の望まぬ正論をぶつけることで彼女から距離をとられるという距離のとり方で一歩関係に余白を作ったのだ。

 もちろん今も友達と言えば友達である。

 というか同じ小学校出身の子、1,2年が同じクラスだった子も広い意味で言えば友達で、逆に言えば仲の悪い子などいない。

 妃願望アホ女子も西崎と対等アピール女子も腹の底では馬鹿にしていても、表面的には何の問題もなく明るく接せられている。 

 私は河野さんを今でも応援しつつも少し距離のある所から見ていたいのである。

 河野さんと廊下ですれ違う瞬間に今のことを思い出し、私は軽く河野さんに手を振ってすれ違った。

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