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現象学女子〈29〉矢野君と福田さんをくっつけたいが…

 B組の矢野君は圭ちゃんと金井君の共通の友人だ。私は2年の時同じクラスだった。矢野君は金井君と小学校から同じで、私と圭ちゃんは金井君たちとは別の小学校出身だ。
 矢野君は野球部で、坊主ではないが短髪で、すっきりしている。性格は明朗、闊達、であり正義感も強いがややヒエラルキーを気にするところがある。この前遊園地に行ったとき、これからどうする?次何に乗る?と言ったどれもトントンの広い選択肢の時などに金井君よりも圭ちゃんにやや意見を寄せている節があった。もちろんそれだけではなく、普段の生活でも人を好き嫌いで見るのではなく、高い低いで見る傾向がやや強い。ヒエラルキーを全く気にしない人はいないだろうが、それを意識しているところを悟られるようでは少し脇が甘いかもしれないが、中学生なので可愛げの一つと言えば一つである。強い正義感というのもヒエラルキーへの意識の裏返しでもあろうがもちろんいいところであるので、批判、非難する気は毛頭ない。普段へらへらしている金井君よりよっぽど良い。将来、小学校の教師とかやりそうで、子だくさんな良い父親のイメージがもうはっきりできる。このある種の健全性というものは、一部の安定志向の女子には人気がある。需要と供給である。
 私たちのグループの地味、ロリ、ギャル、あざとい、の中で言えばあざとい担当(本人は自覚がないというのもあざとさの才能であり条件である)の福田さんが矢野君と合いそうであると勝手に私は思っている。であるが、私が福田さんを安定を望む人間だと思っていることになってしまうので、それを福田さんが知ったらどう思うだろうか。「私を見くびらないでほしい」と「私のあざとさはそんなレベルではない(自覚あるわボケ)」と福田さんに思われたら、私の人を見る目もまだまだである。
 逆に矢野君にあんなあざとい子はダメだ。俺に彼女のあざとさが見抜けないと思ったか?と思われるのもまた癪である。てゆーか思ってる。あの明朗、闊達さ、正義感と同時に存在するヒエラルキーへの執着は、内から湧き出てくる純粋な正義感というより、そう見られたい節であるわけでその表面的な自己演出は、逆に言えばやや人間を見る目に鈍感なところがあるからだと私は踏んでいる。
 中3なのでクラスは違っても、もうだいたいの印象というのはみんな持っているはずなのだが、矢野君と福田さんはお互いどう思ってるだろうか?
 他人が見る自分と自分が見る自分というのはたいてい違うものである。低く見積もるときもあれば、何を根拠にそんなに高く見積もれるのかというくらい高く見積もる人もたまにいる。
 大抵は私を含めて少し高く見積もる人が大半ではないか?そしてその意識は自分が誰を好きになるのが妥当か?というものにもつながるし、外から見れば誰と誰がくっつくのが「お似合い」か、という目線の根拠にもなる。そしてその見積もりの齟齬が目線の高さのすれ違いを生み、恋愛成就の妨げによくなっている。つまり、あいつとお似合いだと思われているのか、俺(私)は!ということで怒りの原因にもなったりしている。
 チャイムが鳴った。
 国語の中間考査が終わった。私はテストを15分で終えてたので、気づいたらこんなことを考えていた…


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