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〈45〉寺田君は逆転できるか?

 相変わらず芦原君と西崎君は寺田君を中傷し、周りはそれで笑っている。

 芦原君は西崎君と「共同作業」をすることで仲を深められていると思っているらしい。寺田君も一応一緒になって笑ってはいる。逆に言えば彼が笑うことで冗談の範囲として収めていると言ってもいいし、彼が笑って冗談に収めることを見抜いているので標的にしていると言ってもいい。しかし笑いが起こった時、寺田君の目の力は芦原君と西崎君では違う。寺田君は笑いながらも明らかに西崎君に対しては「お前が言うな」という目を一瞬だけする。

 聞けば、寺田君と西崎君は同じ小学校出身で、おそらくその時代、彼らは普通の友達だったか、むしろ寺田君の方が立場が上だったのではないだろうか?しかし中学に上がってから芦原君の登場で、寺田君と西崎君の関係が微妙に変化したようだ。

 芦原君は西崎君に媚びへつらい、寺田君に対しては嘲笑し、明らかな態度の違いを示し、関係に上下を付ける。西崎君は寺田君を守らず、芦原君の寺田君への中傷に同調するが、全ては冗談の範囲として彼らの中では他愛ない休み時間のひと時となっている。

 繰り返すが、寺田君は結局その輪にいるという選択をしている以上、これは本人の意志でもあると言わざるを得ない。

 というのも、西崎君には西崎君でまた男女7,8人のグループが存在している。そのグループには芦原君は存在せず寺田君は存在している。芦原君は西崎君に対してあくまで個人同士の友人であることを望んでいる風である。その方がより特別であるのは確かだし。

 西崎君のグループは同じ小学校出身の男女が中心で(だから寺田君もいる)その中で中学に入ってから仲良くなった子が2人ほどいる感じだ。

 なので芦原君とその子分で構成された芦原一派と男女混合仲良し西崎グループと言うのが存在している。そして寺田君はサッカー部で芦原君と、小学校は西崎君と同じなので、一派とグループのどちらにも入っている。

 芦原君と西崎君は一応仲がいいのにその周りの構成員同士は妙な距離感、あるいは溝のようなものができている。

 それは芦原君の西崎君のへ媚びへつらいという態度が集団同士の上下に直結してしまうため、その関係を西崎グループはそのまま享受しようとするし、芦原一派は「芦原君の懐の深さで、お前らが祭り上げられているだけだから勘違いするなよ」という顔をしている。

 でもどちらかに所属している人間は、自分を何かの中心メンバーだと思っているようである。彼らの自我には何らかの優越感のようなものが存在しているのは確かで、だから寺田君も芦原君に中傷されながらもその場には居続けているみたいだ。

 こうやってみんなそれぞれの自我の中にある価値観が利害を天秤にかけながら「人間関係」というものが形成されている光景が、まるで自然界の捕食シーンのようにけっこう露骨に私の目には繰り広げられている。しかしそれが休み時間の何気ないひと時と言う風になっているのは、結局私含め、その時教室にいた全員が見て見ぬふりをするというのも手伝っている。

 つまり私もその光景を見たという時点で、実は明確に関係している。私も彼らの輪の中に入って「今寺田君を中傷したよね?」とか言えば、少なくとも彼らの行動や発言は変わっていくだろう。

 しかしそう言ったとしたら、せっかく冗談で収まっていたのに余計なお世話、正義のヒーロー気取り、有難迷惑、となってしまうのだろうか?どうだろう…考えすぎなのか?

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