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SO(重要な他者)としての友人関係

 significant other(シグニフィカント・アザー)とは、広く「大切な人」を意味する英語だ。ややかしこまった表現なので、これを省略して、インターネットなどではSOと表記することもある。特別ひねった省略の仕方ではなくて、辞典にも載っているし、Wikipediaの記事にも書かれている。
 この省略形を代名詞的に熱心に使って広めていきたいというよりは、SO と友人という親密な他者の捉え方が自分にとっては楽なんだね、と言う気づきについて、名前や表現に焦点を当てながら書いていく。



significant other って何なのか

 まず significant other が何かというと、広義な説明と狭義な説明とで受ける印象が違ったので二通りの説明をする。

 広義には、先に書いた通り「大切な人」のことを指す。英語で significant(シグニフィカント)は「意味のある」「影響力のある」など、other(アザー)は「他者」と訳される。
 たとえば、結婚式やパーティーの招待状で書かれることがある Bring your significant other. は、「大切な人と出席してね」という意味になる。恋人とか配偶者とかパートナーとか友達とか、とにかく親しい任意の誰かを一人連れてきていいよ、みたいなことだ。

 狭義には、よく使われる日本語訳に「重要な他者」というものがあるのでそれで説明する。
 重要な他者というのは心理学とか社会学で使われる関係性についてのことばで、ある人の生き方に大きな影響を与える具体的な誰かのことを指す。両親とか配偶者とか先生とか、家族や親戚など、特に身近な人であることが多い。
 ある人と他人との間に心理的な距離があるとして、ある人から見て最もその距離が近い存在。かつ、その人に対して影響力があり、重要な誰かのことを指す。

 訳し方によっては素っ気ない感じもする other だけど、これは自分と対になる一方としての「他者」であることを忘れてはいけない。「ふたつのうちの片方」という意味もあるので、ふたりでひとつ的な、一心同体のペアを前提とした可愛げを持つ単語だったりする。
 総合して、広義な説明でいう「大切な人」も、狭義な説明でいう「重要な他者」くらいに近しい存在と捉えることができる。その誰かが自分にとって大切であることを説明しつつ、その距離感や大切さ、重要さは人によって異なる場合があるということだ。


三人称としてのSO

 significant other は三人称だ。話し手と聞き手が居たとして、話し手でも聞き手でもない誰かを説明するときに使う。だから、たとえば「あの人は私のSOです」と言うことがあっても、「あなたは私のSOです」とは表現しない。
 つまり、SOは自認するものでも誰かに役割を当てはめるものでもない。そう呼ぶために同意を得るものでもなく、相手が自分についてどう感じているかとかは関係ない。自分から見た他者との距離感の程度について考えたときに自ずと判明するものだ。

 ここでもうひとつポイントなのは、other には性別がないことだ。彼でも彼女でもなく他者は他者であって、話し手でも聞き手でもない誰かなら誰でも当てはまる可能性がある。これが使いやすさの一因だろう。
 先に挙げた招待状の例なんかは、たぶん量産して大勢に配る必要があるから性別を限定しない上に関係性も特定しない書き方が主流になったんじゃないかと想像する。

 SOは誰かを大切にする方法も、誰かが重要である理由も、誰かの性別も問わない。間口が広くて奥行きのある表現なのだ。


クワロマンティック的なSOの存在

 ところで、私は基本的に誰かのセクシーさに惹かれることがない。同時に、自分が大切だと思う他人に対して抱く好意を”単なる”友情とは呼ばないけど、恋愛とも呼ばない(正直、区別のつけようがないじゃないかと思っているし、区別するのはナンセンスだとも思っている)。
 これについて説明を求められたときは、クワロマンティックという名前のラベルを使うことがある。クワロマンティックの大まかな説明はこんな感じだ。

自分が感じる魅力のちがいを区別できない人、自分が魅力を感じているのかわからない人、恋愛的魅力や性的魅力は自分に関係がないと思う人。

アシュリー・マーデル『13歳から知っておきたいLGBT+』(2017)

 このクワロマンティックを紐解く日本語の文献として、中村香住の「クワロマンティック宣言」がある。ここでは、著者のクワロマンティック的な実践を紹介する章のはじめの方にこう書かれてている。

まず、私は自分にとってとくに大切な人たちのことを、現時点ではいったん暫定的に、「重要な他者」という名称で呼ぶことにしている。

中村香住「クワロマンティック宣言 「恋愛的魅力」は意味をなさない!」(2021)   

 ここで「重要な他者」といえば、たぶん important person(重要人物)ではなく significant other(大切な人)を指しているんだろうな、と私は解釈しているのだけど、何が言いたいかというと、SOが割合に便利な名前だということだ。
 あなたの大切な誰かを、恋人とも配偶者とも彼氏とも彼女ともパートナーとも呼ばずに「大切な人」であることを示すことができる。友達と呼ぶには味気なく距離が遠すぎるように思われる人に対して使うにはちょうどいい表現だ。

 SOは曖昧だからこそ包括的で、しかも「大切な人」を示す名前として使われてきた。個人的には、自分が抱くクワロマンティック的な愛情の大きさや親密さの度合いを説明するのにとても便利だから、より広く、より手軽に使われればいいのにと思う。


クィアプラトニック的なSOの存在

 ちなみに、先に挙げた「クワロマンティック宣言」の一文には脚注が付いていて、「重要な他者」に類する表現として「クィアプラトニック」を引用している。
 queerplatonic(クィアプラトニック)は関係性の名前で、恋愛に意味を見出さない人々に重宝されてきた。定義というか、ひとつの説明の仕方としてこんなものがある。

これは、お互いに献身的な長期にわたる関係で、二人の間には恋愛感情はありませんが、いわゆる友情関係とは違った強さの、とても強い感情が存在します。

ジュリー・ソンドラ・デッカー『見えない性的指向 アセクシュアルのすべて――誰にも性的魅力を感じない私たちについて』(2019)

 クィアプラトニックも実はそんなにマイナーな名前じゃない。私が物事の普及の程度を測るときの一種の指針として使っているからという理由で繰り返しになるけど、これもWikipediaの記事がある。あと、恋愛的魅力や性的魅力を感じないアセクシャルの人々のネットワークとして有名な Asexual Visibility and Education Network のサイトでも「恋愛的な関係も性的な関係も持ちたくなくて、友情だけがいいんです。こういうのってありでしょうか?」という話題で言及されている。

 恋愛自体に意味を見出さない人々にとって、恋愛的な関係を前提とした名前(恋人とか彼氏とか彼女とか)にも同じく意味がない。
 私は誰かと親密になりたいときに恋人になりたいのか、友人になりたいのかと悩むことがある(実はいまいち違いがわからない)けど、「じゃあいっそのこと恋人になりなさいよ」と言われたら嫌な顔をすると思う。どちらでもなく完成している感情や関係についてどちらかに当てはめた名前をつける行為は乱暴で、実態を無視しているのと同じだからだ。

 クィアプラトニックな関係のことは queerplatonic relationship(クィアプラトニック・リレーションシップ)といって、省略するときには QPR と表記する。クィアプラトニックな結びつきのことを指す queerplatonic partnership(クィアプラトニック・パートナーシップ)の省略形、QPP も存在する。

 名前には意味がないと考える人もいるけど、名前が存在することの意味は重い。人間の長い思考と存在の証明だとすら言えると思う。名前がないものは存在を見逃されてしまうことがままあるし、すでにある名前を使ったラベリングには実態の振り幅を覆い隠してしまうリスクが伴う。
 だからこそ、親密だけど恋愛的ではない関係性にクィアプラトニックという名前がつけられた。この名前が必要とされてきた証左ともいえるはずだ。


SOとしての友人関係

 私にとってSOに抱くクワロマンティック的な愛情はクィアプラトニックという名前の関係と相性がいい。
 自分が誰かの恋人(もしくは彼女とか彼氏とかパートナーとか)になることに抵抗がある。友情とも恋愛とも言い切れない好意を誰かに抱いたとして、恋愛自体に興味がない以上、恋愛が前提の関係とされる「恋人」という名前は私の実態にそぐわないからだ。

 先に書いたAVENのサイトにあった「恋愛的な関係も性的な関係も持ちたくなくて、友情だけがいいんです」という立場に当てはまるのが私だ。お互いにSOだと感じる人と、一般に想像されるよりも強固な友情を持ち寄れたら素敵だろうなと感じている。
 その上で、想像する。クワロマンティック的な愛情を持ち寄って重要な他者とクィアプラトニックな関係を築いたとして、聞き手に私の正確な意図が通じないであろうリスクを取りつつも、私はきっとその人を「友人」と呼ぶ。

 その人が自分のSOであることを本人以外に触れ回るのは個人的な心理の核心に触れるのであまり気が進まなくて、すでにある名前の中では実態から大きく外れない(広義には内包されているかもしれない)ものだからだ。 
 ただし、その人が自分にとって無二の人であることを表明するささやかな主張として、あえて複数形の「友達」とは使い分けて単数で話すかもしれない。そして、もしかしたら本人に「あなたを重要な他者だと感じているので、他の人には使わない呼び方で表現したい」と、勇気を出して打ち明けるかも。

 自分にとってのSOを「友人」として紹介すること。将来SOになるかもしれない誰かにプレゼントできる”特別”は今のところ些細なものしかないけど、もしそのときがきたら、私がいかに「友人」を慕っていてどれだけ大切に思っているのかを本人に聞いてもらいたい。



あとがき

 「友人」は三人称だ。話し手と聞き手が居たとして、話し手でも聞き手でもない誰かを説明するときに使う。代名詞的に、彼氏とか彼女とか恋人とか配偶者とかパートナーとかと同じく、話し手にも聞き手にもそこに誰かひとりの人物を想像させる力もある。
 事実、少しは理想と違うことに対する諦めもある。一番いいのは唯一無二性のある強い友情を交わす相手を指す、普及した名前があることだ。だからこれはその準備として、ここに「友人」を大切な人を指す名前として使う人がいる可能性を書いておいた。

 上には書かなかったけど、QPP をクィアプラトニック・パートナーシップではなくクィアプラトニック・パートナーと読んで三人称とする向きもある。この意味が通じる人を相手にするときはこの名前を使うこともあるかもしれない。


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